30年前の1月17日。
阪神・淡路大震災が起きた日の私は37歳で、短歌に目覚めて
2年が過ぎたばかりの頃だった。
何をどう詠めば読者の心が動く作品が出来上がるのかと
悩んでいた頃で、結局、震災に関する歌は詠めなかった。
仮に詠んだとしても愚作しか詠めなかっただろう、とわかる。
14年前、東日本大震災・巨大津波・原発事故が起きた。
その時は所属していた短歌結社を退会していた。なので、
災害に関連した歌を詠みはしたが、未発表のままである。
どうせなら、このまま震災の歌は詠まずに死にたいものだ。
それが68歳の今の私の願いである。
でも、いつかは、南海トラフ巨大地震は起きる。
だから実際に起きたらどうするか、以前から決めている。
想定している巨大地震(震度6か7)が本当に起きたなら、
7日以内に電気が通ずるとは100%思っていない。
水はなんとかなるけれど、手持ちの食料が尽きたら、農家
以外は先ず手に入れられないだろう。
だから数日間はラジオ等で状況を収集して、脱出した方が
いいと判断したら、バイクにキャンプ道具と重要物を積み、
私は松山市を脱出することにしている。
私のバイクには必ず3ℓ以上のガソリンが残っているので、
最低でも140キロは走れる。
ということは、広島県・尾道市や香川県・高松市は楽勝。
生き残った橋か、生き残ったフェリーから本土に上陸して、
最悪の場合は父の実家(茨城県)に行くと決めている。
住んでいるマンションの被害が酷ければ、もう価値が無いの
だから、保険だけ頂戴して棄てるのみ(笑)
産まれた土地に執着があると私のようなドライな切り替えは
難しいのかもしれない。だからこそ考えておく必要があるの
だろう、と私は結論するのだ。
老人になっても、何処にでも行ける、何処ででも暮らせる
タフな精神は必要である。猫じゃないんだからね。
【補足】テレビで冬に大地震が起きた際の暖房の取り方を
やっていたが、私は(あほくさ)と嗤っている。
カセットガス暖房を買え、と広告しているのと同じなのだ。
あんなもの、数時間しかガスはもたないのだから、意味が
ない。カセットガスコンロで食事を作るのが本筋である。
実は、真冬の災害は凌ぎやすく、真夏の災害の方が厄介
なのは、少し想像すればわかること。
真冬なら、布団があるし、着込めば済む。冷蔵庫の食品も
腐りにくいから、食べ物も数日間ならどの家も大丈夫。
家が潰れて服や布団が無くても、必ず他人がくれる。
だが、夏の暑さだけは凌ぎようがない。
だから災害を想定する場合は夏に重きをおくべきなのだ。
【追記】歌人・佐佐木頼綱君が、30年前に詠まれた優れた
短歌をXに載せてくれている。その中から、誰にでも理解
できる二首を選び、ここでも紹介したい。
・一夜明け瓦礫の底にくぐもれる起こす主なき
目覚ましのベル 岡田淳
・温かいもつ鍋囲み朝鮮も日本もない
避難所の中 鄭点連