“底着き” とは普通、アルコール依存症の専門医療機関を受診せざるを得なくなった頃に経験する過酷で最悪の酒害体験のことを言います。
一方で “底着き体験” を経験しているから断酒を継続できたと言う人がいれば、他方で “底着き体験” を経験したと言っていた人がアッケナク再飲酒してしまう例もあります。
私は、“底着き” には “身体的な底着き” と、情動に係る “精神的な底着き” と二つあるのではないかと考えるに至りました。“底着き” とは何なのか、再び考えてみます。(前回からの続きです。)
完全退職する半年前に自分専用のパソコンを入手して以来、自室でAV動画サイトを時々覗くようになってしまいました。まだ後ろめたさがあり、暇つぶしに毛の生えたような状態でどうにか留まっていました。それが完全退職後の無聊にかこつけ、妻が出勤するや一人発泡酒を片手に頻繁に無料AV動画サイトを観るようになってしまいました。
アルコール漬けのエロ動画三昧とでも言うのでしょうか、あたかも胡散臭い危険ドラッグを肴に酒を飲むといった塩梅だったと思います。断酒を始めた後は、幸い毎日通院の緊張感もあって、しばらくはAV動画から遠のいていました。が、図らずもヒョンナことから寝た子を起こしてしまい、AV動画に嵌ってしまったのです。
家族の中にいても依然として残る疎外感、「断酒を続けなければならない。再飲酒してはいけない」という強迫感、さらに「医療スタッフに “恋心” など絶対に抱いてはならない」という強い自制も加わり、これらが強いストレスとなって性的妄想を掻き立てたのだと思います。
性欲を煽るような、得体の知れない、モヤモヤしたものに雁字搦めにされた状態で、俗に言う “憑きモノ” に囚われたという表現がピッタリの精神状態でした。自分ではあまり意識していなかったのですが、断酒の継続によほど危機感を持っていたのだと思います。困ったときの神頼みならぬ “性的 shelter ” 頼みです。危機の際のお決まりの避難先が、この時はAV動画への傾倒でした。年甲斐もない悩みに、恥ずかしさが先立って医師に相談することもできませんでした。
どうにもならない状況だったので、しばらくして仕方なしに始めたのがAV動画作品の品定めでした。しかも場面展開ごと要点をすべて書き出した上での批評でした。
最初は、性器の部位ごとの特徴を分類することから始め、次いで体位の分類と継続時間、迫真的演技の有無、さらにカメラアングルや編集技術の巧拙など、制作技術の分析にまで及びました。動画を途中で頻繁に止め、特定場面までの所要上映時間をチェックしながらの作業でした。
半ばヤケクソで始めた行動でしたが・・・、20本以上の作品に試みたころ、驚くべき心境の変化が訪れました。エロティックとか、卑猥とか、性的興奮が刺激される感覚がすっかり消え失せ、単にヒトの生物学的生殖行為、つまり交尾の客観的映像記録としか見えなくなったのです。
さらに驚くべきことは、長年溜まりに溜まったモヤモヤしたものが消えてなくなり、平穏な心理状態となれました。同時に、真綿のような薄物のヴェールで長年脳が覆われていた感覚も消えました。正確を期してありのままに書くと次のような次第になります。
「(いつもと違う感じがしたので)そう言えばちょっと前まで、ずっとシビレのような変な感覚があったなぁ~」と初めて気付いたのです。
“憑きモノが落ちた” とはこのことかと思いました。何とも摩訶不思議で神秘的とも言える体験でした。継続断酒を始めて10ヵ月目のことでした。
この出来事があってからというもの、アルコール依存症の回復とは一体何が目安となるのか、回復するまで他にどんな離脱症状を覚悟しておくべきかに関心が向くようになりました。一時は、早くも回復したのかと錯覚したほどだったのです。断酒に囚われてばかりの状態から明らかに闘病意識が変化し始めていました。医師の診察を受ける都度、手を変え品を変え何を目安に回復と診断するのか質問攻めにしたものです。
意識の変化と一体のものかもしれませんが、この体験が転機となって、まるで傍から自分自身を客観的に見ているかのように、気持ち(感情)の変化がリアルタイムで自覚できるようにもなりました。たったこれだけのことで結果的に感情を自制できてしまうのが不思議です。ドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)をはっきり自覚するようになったのはこの時期からでした。“正気に戻る” とはこんなことかもしれません。
AV動画の内容を文章化する以前から私が実践していたことを挙げておきます。継続断酒3ヵ月目ぐらいから、酒害とみられる諸症状と断酒後に経験した症状の変化を文章で記録し始めました。継続断酒6ヵ月目ぐらいからは、自助会AAのミーティングに毎回参加することも始めました。もちろん毎日通院も当然励行していました。薬剤の使用状況については、精神安定剤ジアゼパムは継続断酒2 . 5ヵ月で、抗酒剤シアナマイドは継続断酒9 . 5ヵ月でそれぞれ中止していました。
「AV動画など性的なものに全く興味がなくなってしまった」と主治医に相談したところ、一言「年齢(とし)のせいで、老いて枯れたんじゃないの!?」と冗談半分に言われてしまいました。そこで、“憑きモノが落ちた” と実感するに至った経緯を詳しく話すと、恐らく “言語化” の効用だろうと説明してくれました。叙述作業に集中したことで、前頭葉の機能がフル回転し活性化した結果だということです。
種々の話を勘案すると、次のようになります。まずは、継続断酒を開始したことでアルコールの供給が完全に遮断され、アルコールの影響下にあった体内秩序に変化が始まります。短期間の急性離脱症状から健常な状態へと回復する変化です。ヒトの身体にはホメオスターシス(homeostasis)という内部環境を一定の状態に維持する仕組みがあります。このお蔭で生命を維持する内臓機能などはアルコールの害毒から素早く回復できるのです。身体的な機能回復に比べ、脳の機能回復は緩やかで時間がかかるようです。脳内環境は精巧かつ繊細過ぎてホメオスターシスの維持機能が虚弱なのかもしれません。
本能的な情動を支配しているのは大脳旧皮質辺縁系の扁桃体で、それが暴走しないよう理性的に制御しているのが大脳新皮質の前頭葉です。飲酒すると、ほろ酔い⇒酩酊⇒昏睡の順で酔いが回ってきます。酔い方の順からみて、生命維持に関与する部位に近い辺縁系の方がアルコールの害を受けにくく(記憶の保管庫、海馬は障害を受けやすいのですが・・・)、もう一方の前頭葉の方はアルコールの影響を受けやすいと考えられています。アルコール依存症者で前頭葉の委縮が確認されていることが、その恰好の証左です。酔いの回りの速さばかりでなく、機能回復の速さにおいても、前頭葉と辺縁系との間に差があっても不思議ではありません。
そこで私は次のような仮説を考えてみました。前頭葉と辺縁系とではその機能の回復速度に差があり、前頭葉の機能回復速度の方が遅いと仮定してみました。すると、回復速度のズレは脳内環境のバランスに微妙な揺らぎをもたらすと考えることができます。ドライドランクや、時に一過性に襲って来る不吉な胸のザワザワ感は、このバランスの揺らぎが現れたものと考えられます。
アルコール依存症者は誰でも皆、断酒を継続中にドライドランクや一過性の酷いザワザワ感を幾度となく経験します。脳内環境が微妙な状態にあるだけに、殊のほかストレスに弱く、敏感になっているからではないでしょうか?
毎日通院による生活リズムの立て直しと、酒害体験を叙述する作業や定期的に自助会AAのミーティングへ参加したお蔭で、私の場合は前頭葉の機能が正常化へ向かう軌道を加速中だったのだと思います。言い換えると、ドライドランクへと急速に移行中(?)だったとも言えます。ドライドランクのせいで柄にもなく恋心を抱いてしまい、それはならじと自制を強いたことが却って強いストレスになったものと思われます。そのストレスで脳内環境のバランスの揺らぎが増幅され、ついには性的妄想に至ったのだと思います。
どうにもならなくなって、仕方なく言語化作業に集中したことが幸いし、思いがけず性的妄想から脱却できたのでしょう。AV動画を叙述するという、言語を駆使した理性的作業に没頭したことが前頭葉を活性化し、本能的な情動を適切に制御する本来の機能が一気に回復したのだと考えられます。“瓢箪から駒” とはこのようなことを言うのでしょうか。私に起こった心境の劇的変化は、こう解釈するととても分かりやすくなります。
“底着き” には、本格的回復への第一歩の意味もあります。断酒の継続で回復へと向かう過程には以下の4段階があると言われています。( )内に示された継続断酒の期間は、あくまでも目安です。
【アルコール依存症の回復プロセスと心構え】
移行期(継続断酒1年ぐらいまで):酒に対する敗北を認め、アルコール依存
症だと受け入れる。
初期(継続断酒1~3年):回復したと過信しない。自助会に加入する。
心身の不調を飲まずに乗り切る。
中期(継続断酒3~5年):夫婦関係・親子関係、周囲との関係を立て直す。
発展期(継続断酒5~7年以降):自分を労わる。新しい価値観を見出し、
人生の変化を受け入れる。
(通院中の専門クリニックの教育資料から)
私は現在、継続断酒2年弱です(丸2年に1週間足りません)。現在の心境を上の基準に当てはめてみると、私は初期段階を乗り越えた位置にいるようです。
今では飲まないでいる方が自然ですし、「~しなければならない」という強迫感からも解放されました。囚われない自由な発想もできるようになりました。“憑きモノ” が落ちたと実感した後の一時期、これで回復できたと過信してしまいましたが、今はそれも自戒しています。妻との関係や親子関係を含め、周囲との関係の立て直しは、その入り口に立ったばかりと思っています。
アルコールが毒であると認識させてくれた断酒開始前後の体験は、確かに “底着き” と呼べる体験でした。“憑きモノ” が落ちたと実感した神秘的な体験も、“底着き” と言うべき画期的な体験だったと考えています。私はこれらの両方を経験した者として、両者ともに “底着き” だったと考えることにしました。
“底着き” には “身体的底着き” と、情動に係る “精神的底着き” の2種類があり、“身体的底着き” の後を襲う “精神的底着き” を経て、初めて確実な回復過程が始まるのだと考えています。
下記の4つの記事も併せてご参照ください。
「私の底着き体験・断酒の原点」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/b398995e4348d76c198f521a06c83f42
「アルコール依存症へ辿った道筋(その8)物の怪(“妄想”)が性欲を煽る?」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/9dbdc05e1e5f679230b7a9ef8f310852
「回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/ddae0e4381793bed7cd7607a548fe937
「幽霊の正体見たり枯れ尾花(憑きモノ体験)」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/e6d66171af7053484b60ba7b32b2f6a2
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完全退職する半年前に自分専用のパソコンを入手して以来、自室でAV動画サイトを時々覗くようになってしまいました。まだ後ろめたさがあり、暇つぶしに毛の生えたような状態でどうにか留まっていました。それが完全退職後の無聊にかこつけ、妻が出勤するや一人発泡酒を片手に頻繁に無料AV動画サイトを観るようになってしまいました。
アルコール漬けのエロ動画三昧とでも言うのでしょうか、あたかも胡散臭い危険ドラッグを肴に酒を飲むといった塩梅だったと思います。断酒を始めた後は、幸い毎日通院の緊張感もあって、しばらくはAV動画から遠のいていました。が、図らずもヒョンナことから寝た子を起こしてしまい、AV動画に嵌ってしまったのです。
家族の中にいても依然として残る疎外感、「断酒を続けなければならない。再飲酒してはいけない」という強迫感、さらに「医療スタッフに “恋心” など絶対に抱いてはならない」という強い自制も加わり、これらが強いストレスとなって性的妄想を掻き立てたのだと思います。
性欲を煽るような、得体の知れない、モヤモヤしたものに雁字搦めにされた状態で、俗に言う “憑きモノ” に囚われたという表現がピッタリの精神状態でした。自分ではあまり意識していなかったのですが、断酒の継続によほど危機感を持っていたのだと思います。困ったときの神頼みならぬ “性的 shelter ” 頼みです。危機の際のお決まりの避難先が、この時はAV動画への傾倒でした。年甲斐もない悩みに、恥ずかしさが先立って医師に相談することもできませんでした。
どうにもならない状況だったので、しばらくして仕方なしに始めたのがAV動画作品の品定めでした。しかも場面展開ごと要点をすべて書き出した上での批評でした。
最初は、性器の部位ごとの特徴を分類することから始め、次いで体位の分類と継続時間、迫真的演技の有無、さらにカメラアングルや編集技術の巧拙など、制作技術の分析にまで及びました。動画を途中で頻繁に止め、特定場面までの所要上映時間をチェックしながらの作業でした。
半ばヤケクソで始めた行動でしたが・・・、20本以上の作品に試みたころ、驚くべき心境の変化が訪れました。エロティックとか、卑猥とか、性的興奮が刺激される感覚がすっかり消え失せ、単にヒトの生物学的生殖行為、つまり交尾の客観的映像記録としか見えなくなったのです。
さらに驚くべきことは、長年溜まりに溜まったモヤモヤしたものが消えてなくなり、平穏な心理状態となれました。同時に、真綿のような薄物のヴェールで長年脳が覆われていた感覚も消えました。正確を期してありのままに書くと次のような次第になります。
「(いつもと違う感じがしたので)そう言えばちょっと前まで、ずっとシビレのような変な感覚があったなぁ~」と初めて気付いたのです。
“憑きモノが落ちた” とはこのことかと思いました。何とも摩訶不思議で神秘的とも言える体験でした。継続断酒を始めて10ヵ月目のことでした。
この出来事があってからというもの、アルコール依存症の回復とは一体何が目安となるのか、回復するまで他にどんな離脱症状を覚悟しておくべきかに関心が向くようになりました。一時は、早くも回復したのかと錯覚したほどだったのです。断酒に囚われてばかりの状態から明らかに闘病意識が変化し始めていました。医師の診察を受ける都度、手を変え品を変え何を目安に回復と診断するのか質問攻めにしたものです。
意識の変化と一体のものかもしれませんが、この体験が転機となって、まるで傍から自分自身を客観的に見ているかのように、気持ち(感情)の変化がリアルタイムで自覚できるようにもなりました。たったこれだけのことで結果的に感情を自制できてしまうのが不思議です。ドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)をはっきり自覚するようになったのはこの時期からでした。“正気に戻る” とはこんなことかもしれません。
AV動画の内容を文章化する以前から私が実践していたことを挙げておきます。継続断酒3ヵ月目ぐらいから、酒害とみられる諸症状と断酒後に経験した症状の変化を文章で記録し始めました。継続断酒6ヵ月目ぐらいからは、自助会AAのミーティングに毎回参加することも始めました。もちろん毎日通院も当然励行していました。薬剤の使用状況については、精神安定剤ジアゼパムは継続断酒2 . 5ヵ月で、抗酒剤シアナマイドは継続断酒9 . 5ヵ月でそれぞれ中止していました。
「AV動画など性的なものに全く興味がなくなってしまった」と主治医に相談したところ、一言「年齢(とし)のせいで、老いて枯れたんじゃないの!?」と冗談半分に言われてしまいました。そこで、“憑きモノが落ちた” と実感するに至った経緯を詳しく話すと、恐らく “言語化” の効用だろうと説明してくれました。叙述作業に集中したことで、前頭葉の機能がフル回転し活性化した結果だということです。
種々の話を勘案すると、次のようになります。まずは、継続断酒を開始したことでアルコールの供給が完全に遮断され、アルコールの影響下にあった体内秩序に変化が始まります。短期間の急性離脱症状から健常な状態へと回復する変化です。ヒトの身体にはホメオスターシス(homeostasis)という内部環境を一定の状態に維持する仕組みがあります。このお蔭で生命を維持する内臓機能などはアルコールの害毒から素早く回復できるのです。身体的な機能回復に比べ、脳の機能回復は緩やかで時間がかかるようです。脳内環境は精巧かつ繊細過ぎてホメオスターシスの維持機能が虚弱なのかもしれません。
本能的な情動を支配しているのは大脳旧皮質辺縁系の扁桃体で、それが暴走しないよう理性的に制御しているのが大脳新皮質の前頭葉です。飲酒すると、ほろ酔い⇒酩酊⇒昏睡の順で酔いが回ってきます。酔い方の順からみて、生命維持に関与する部位に近い辺縁系の方がアルコールの害を受けにくく(記憶の保管庫、海馬は障害を受けやすいのですが・・・)、もう一方の前頭葉の方はアルコールの影響を受けやすいと考えられています。アルコール依存症者で前頭葉の委縮が確認されていることが、その恰好の証左です。酔いの回りの速さばかりでなく、機能回復の速さにおいても、前頭葉と辺縁系との間に差があっても不思議ではありません。
そこで私は次のような仮説を考えてみました。前頭葉と辺縁系とではその機能の回復速度に差があり、前頭葉の機能回復速度の方が遅いと仮定してみました。すると、回復速度のズレは脳内環境のバランスに微妙な揺らぎをもたらすと考えることができます。ドライドランクや、時に一過性に襲って来る不吉な胸のザワザワ感は、このバランスの揺らぎが現れたものと考えられます。
アルコール依存症者は誰でも皆、断酒を継続中にドライドランクや一過性の酷いザワザワ感を幾度となく経験します。脳内環境が微妙な状態にあるだけに、殊のほかストレスに弱く、敏感になっているからではないでしょうか?
毎日通院による生活リズムの立て直しと、酒害体験を叙述する作業や定期的に自助会AAのミーティングへ参加したお蔭で、私の場合は前頭葉の機能が正常化へ向かう軌道を加速中だったのだと思います。言い換えると、ドライドランクへと急速に移行中(?)だったとも言えます。ドライドランクのせいで柄にもなく恋心を抱いてしまい、それはならじと自制を強いたことが却って強いストレスになったものと思われます。そのストレスで脳内環境のバランスの揺らぎが増幅され、ついには性的妄想に至ったのだと思います。
どうにもならなくなって、仕方なく言語化作業に集中したことが幸いし、思いがけず性的妄想から脱却できたのでしょう。AV動画を叙述するという、言語を駆使した理性的作業に没頭したことが前頭葉を活性化し、本能的な情動を適切に制御する本来の機能が一気に回復したのだと考えられます。“瓢箪から駒” とはこのようなことを言うのでしょうか。私に起こった心境の劇的変化は、こう解釈するととても分かりやすくなります。
“底着き” には、本格的回復への第一歩の意味もあります。断酒の継続で回復へと向かう過程には以下の4段階があると言われています。( )内に示された継続断酒の期間は、あくまでも目安です。
【アルコール依存症の回復プロセスと心構え】
移行期(継続断酒1年ぐらいまで):酒に対する敗北を認め、アルコール依存
症だと受け入れる。
初期(継続断酒1~3年):回復したと過信しない。自助会に加入する。
心身の不調を飲まずに乗り切る。
中期(継続断酒3~5年):夫婦関係・親子関係、周囲との関係を立て直す。
発展期(継続断酒5~7年以降):自分を労わる。新しい価値観を見出し、
人生の変化を受け入れる。
(通院中の専門クリニックの教育資料から)
私は現在、継続断酒2年弱です(丸2年に1週間足りません)。現在の心境を上の基準に当てはめてみると、私は初期段階を乗り越えた位置にいるようです。
今では飲まないでいる方が自然ですし、「~しなければならない」という強迫感からも解放されました。囚われない自由な発想もできるようになりました。“憑きモノ” が落ちたと実感した後の一時期、これで回復できたと過信してしまいましたが、今はそれも自戒しています。妻との関係や親子関係を含め、周囲との関係の立て直しは、その入り口に立ったばかりと思っています。
アルコールが毒であると認識させてくれた断酒開始前後の体験は、確かに “底着き” と呼べる体験でした。“憑きモノ” が落ちたと実感した神秘的な体験も、“底着き” と言うべき画期的な体験だったと考えています。私はこれらの両方を経験した者として、両者ともに “底着き” だったと考えることにしました。
“底着き” には “身体的底着き” と、情動に係る “精神的底着き” の2種類があり、“身体的底着き” の後を襲う “精神的底着き” を経て、初めて確実な回復過程が始まるのだと考えています。
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「幽霊の正体見たり枯れ尾花(憑きモノ体験)」
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いつもわかりやすい文章での興味深い記録とそのシェアに感謝です。依存症夫を持つ妻として、理解不可能な事柄を客観的に解説していただいているようで、貴殿のブログには、私が本当に助けていただいています。個々の体験は違っても、そこにある苦悶やチャレンジには普遍性がありますから。うちは移行期なのか初期なのかといったところですが、強制別居から1年半が経ちました。別居初期に比べると当方の精神状態も回復したものの、未だにフラストレーションにまみれる時も多々あります。「放っておこう」とできる時と、放っておいた分の澱のような気持ちをまとめて夫にメールでぶつけてしまうこともあります。スッキリ感と自己嫌悪の狭間で、もやもや感が結局残ります。そんな時、回復プロセスを読み、まだまだこれからだと認識を新たにしたところです。またこの道のり(プロセス)がどういう風にたどるのかわかりませんが、明後日から娘を連れてUAEへ赴任です。クリニックには行けなくなりますが、これからもヒゲジイさんのブログを楽しみにしています。数々のアドバイスありがとうございました。お出会いすることができたことに感謝して。
お互い健康第一で過ごしましょうね。お元気で!(^O^)/
私の手記が貴女様のお役に立てたと思うととても嬉しいです。これからも客観的で正確な記述を心掛けて行こうと思います。
人生は必ず帳尻が合うように出来ている。
近頃、私はこう思えて仕方ありません。
照る日もあれば、曇る日もある。ときには嵐や土砂降りの日もある。
でも、いつまでも続くものはありません。
うまく出来ているものだと思います。
新天地に向かい、娘さんと始められる新しい生活が吉と出ると信じています。
ヒゲジイ
文章を書くことは、もれなく自分との対話が必要となります。
言葉選びなど、脳を相当働かせなければできません。
それが ”言語化” なのだと思います。
少しでもお役に立てたのなら嬉しい限りです。