置き忘れの防止には手荷物を一カ所にまとめて置くこと。これは、セカンド・バッグの置き忘れを何度も繰り返し、冷や汗を散々搔いた末に辿り着いた鉄則です。
この鉄則を十分理解しているつもりでも依然としてポカを繰り返しています。幸いなことに実損被害をこれまで免れていることから今だに懲りていないようなのです。どうやらこれも老いなのでしょうか?
ついこの間はビニール傘を置き忘れてしまいました。ゴミ拾いコースの道傍に無造作に捨てられていた傘ですが、広げてみたらまだ十分使える新品だったのでシメシメと持ち帰ることにしました。
そのままゴミ拾いを続けながらしばらく歩いて行くと、歩道下の土手の法面にゴミが散らかっていました。早速それらを始末しようと、ゴミ拾いグッズを土手上の欄干の足下に置き、件の傘は欄干の手すりに掛けて置いて、おもむろに法面を下りたのです。
お察しのように、作業を終えたら見事に件の傘だけ置き忘れていました。そのことに気づかされたのは20分ぐらい経ってベンチで休憩していたときです。慌てて来た道を戻ったのですが、歩き始めて直ぐに置き忘れた場所の見当が付き無事回収できました。
忘れ物があるときは、“虫の知らせ” とでも言うのでしょうか、妙に不穏な感覚が湧いてきます。この妙に不穏な感覚は物を忘れた場合に限ってのことで、言葉を忘れて出て来ない場合にはこれとは別の違和感が湧いてきます。この傘のときも同じで妙に不穏な感覚がありましたが、晴れた日でしたしゴミ拾いグッズも揃っていたので気に留めなかったのだと思います。
同じ日に同じようなことがもう一度ありました。
海辺にある建造物の隅は吹きだまりになりがちです。建物の仕切の金網がその吹きだまりになっていて、台風で吹き飛ばされた建材(断熱材?)の断片がそこに散らばっていました。
近くのベンチで休んでいるときそれがどうにも気になり、それらの断片を拾い集めて大型のゴミ袋に詰めて置くことにしました。その作業を終えて件のベンチに戻ったとき、大事なトングがないことに気づかされました。
トングも念のために建材拾いに持って行ったのですが、出番がなかったので現場の金網に立てかけて置いたのです。このときも気づかされたのは休憩中のことでした。
何か置き忘れがあった場合、どうやら身体の奥の方でちゃんと覚えているようなのです。そして第六感とでも言うべき妙な違和感によってそれを知らせてくれるようです。
ただし、この違和感はボンヤリと知らせてくれるのみで、ハッキリ何であるかを思い出せるのは後になって似た状況に置かれたときだけのようです。たとえ老いたとしても、そんな原始的な仕組みが身体には備わっているように思えてなりません。
せっかく拾った傘にしろ大事なトングにしろ手放したら忘れてしまうのが当たり前、このコマッタ法則こそ何とかして手放すべき対象なのでしょうネ。
* * * * *
もうじき断酒歴5年となるので、大事なことを新たに覚えて記憶する方は大分マシになってきたと思っています。その一方で、記憶を呼び起こす方の置き忘れや物忘れは依然としてひどい状態のままです。
ところで、痴呆症か否かを診断する際の目安は、物忘れを自覚し具体的で実効的な対策を自分でどう立てているかにあるのだそうです。この診断法を肝に銘じ、違和感だけに頼ることなくどんな具体的で実効的な対策を取るかが今問われているのだと思っています。
それはそうと、私にとってもう一つ手放すべき対象は長年偏って刷り込まれてきた見方・考え方、すなわち “認知のゆがみ” です。ところが、これも十分わかっていながら、なかなか手放せないままでいます。
そうではあっても、自分はとかく偏った見方・考え方をしがちなのだ、と自覚しているだけでもかなりの程度自制が効くことが最近わかってきました。“認知のゆがみ” は後天性の属性ですから、こんな自制も本来備わっている原始的な感覚の為せる技かと、勝手な屁理屈を捏ねては悦に入っている私です。
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この鉄則を十分理解しているつもりでも依然としてポカを繰り返しています。幸いなことに実損被害をこれまで免れていることから今だに懲りていないようなのです。どうやらこれも老いなのでしょうか?
ついこの間はビニール傘を置き忘れてしまいました。ゴミ拾いコースの道傍に無造作に捨てられていた傘ですが、広げてみたらまだ十分使える新品だったのでシメシメと持ち帰ることにしました。
そのままゴミ拾いを続けながらしばらく歩いて行くと、歩道下の土手の法面にゴミが散らかっていました。早速それらを始末しようと、ゴミ拾いグッズを土手上の欄干の足下に置き、件の傘は欄干の手すりに掛けて置いて、おもむろに法面を下りたのです。
お察しのように、作業を終えたら見事に件の傘だけ置き忘れていました。そのことに気づかされたのは20分ぐらい経ってベンチで休憩していたときです。慌てて来た道を戻ったのですが、歩き始めて直ぐに置き忘れた場所の見当が付き無事回収できました。
忘れ物があるときは、“虫の知らせ” とでも言うのでしょうか、妙に不穏な感覚が湧いてきます。この妙に不穏な感覚は物を忘れた場合に限ってのことで、言葉を忘れて出て来ない場合にはこれとは別の違和感が湧いてきます。この傘のときも同じで妙に不穏な感覚がありましたが、晴れた日でしたしゴミ拾いグッズも揃っていたので気に留めなかったのだと思います。
同じ日に同じようなことがもう一度ありました。
海辺にある建造物の隅は吹きだまりになりがちです。建物の仕切の金網がその吹きだまりになっていて、台風で吹き飛ばされた建材(断熱材?)の断片がそこに散らばっていました。
近くのベンチで休んでいるときそれがどうにも気になり、それらの断片を拾い集めて大型のゴミ袋に詰めて置くことにしました。その作業を終えて件のベンチに戻ったとき、大事なトングがないことに気づかされました。
トングも念のために建材拾いに持って行ったのですが、出番がなかったので現場の金網に立てかけて置いたのです。このときも気づかされたのは休憩中のことでした。
何か置き忘れがあった場合、どうやら身体の奥の方でちゃんと覚えているようなのです。そして第六感とでも言うべき妙な違和感によってそれを知らせてくれるようです。
ただし、この違和感はボンヤリと知らせてくれるのみで、ハッキリ何であるかを思い出せるのは後になって似た状況に置かれたときだけのようです。たとえ老いたとしても、そんな原始的な仕組みが身体には備わっているように思えてなりません。
せっかく拾った傘にしろ大事なトングにしろ手放したら忘れてしまうのが当たり前、このコマッタ法則こそ何とかして手放すべき対象なのでしょうネ。
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もうじき断酒歴5年となるので、大事なことを新たに覚えて記憶する方は大分マシになってきたと思っています。その一方で、記憶を呼び起こす方の置き忘れや物忘れは依然としてひどい状態のままです。
ところで、痴呆症か否かを診断する際の目安は、物忘れを自覚し具体的で実効的な対策を自分でどう立てているかにあるのだそうです。この診断法を肝に銘じ、違和感だけに頼ることなくどんな具体的で実効的な対策を取るかが今問われているのだと思っています。
それはそうと、私にとってもう一つ手放すべき対象は長年偏って刷り込まれてきた見方・考え方、すなわち “認知のゆがみ” です。ところが、これも十分わかっていながら、なかなか手放せないままでいます。
そうではあっても、自分はとかく偏った見方・考え方をしがちなのだ、と自覚しているだけでもかなりの程度自制が効くことが最近わかってきました。“認知のゆがみ” は後天性の属性ですから、こんな自制も本来備わっている原始的な感覚の為せる技かと、勝手な屁理屈を捏ねては悦に入っている私です。
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