南アルプスでは、同級生のI手がリーダーを務めるパーティーと会うことができました。
互いに無事を喜び合うとともに、今後の合宿の成功を願いながら別れました。
南アルプスの白根三山を無事登り終えた私たちは、甲斐駒岳へも足を伸ばす予定でしたが、天候等を考慮し自転車を停めている広河原まで降りて富士五湖を目指すことにしました。
広河原からの下りは野呂川、早川沿いにひたすら南下します。
道路は舗装されておらず、照明のない真っ暗なトンネルが幾つも続く大変な悪路でした。
出口が見えないトンネルばかりで、トンネル内で自転車のライトを点灯しても光は闇に吸い込まれてしまうのです。
頭にヘッドランプを付けても同じことで、凸凹道を進む振動でヘッドランプが鼻までズレ落ち目を塞ぎ、仕舞いには首まで落ちて役に立たないのです。
漆黒の闇を、生まれて初めて経験しました。
真っ直ぐ進んでいるかどうかも分からず、岩壁にブチ当たる恐怖と大きな水溜りか溝に落ちる恐怖と闘いながら6人で励まし合いながらトンネルを抜けるのでした。
早川が富士川と合流するのが身延町まで降りてきました。
私たちは富士五湖の一つで、最も東に位置する本栖湖までの最後の坂道を登り返したのでした。
坂道を登り終えたところにあるトンネルを抜けると、正面に本栖湖の湖面が広がりその向こうに、薄っすらではありましたが大きな富士山が見えたのです。
そして、私たち6人を労うように湖の上に淡い虹がかかったのでした。
私たちは、思わず "バンザーイ” と両手を上げて叫びました。
その時、写してもらったのがコレです。
汗と埃にまみれながらの放浪の旅であったことが分かっていただけると思います。
ちょっと “危ない人たち” にも見えますが…
本栖湖の次は精進湖、そして西湖、さらに河口湖まで、見え隠れする富士山を従えて自転車を走らせました。
河口湖に架かる大きな橋の上から、しばらくの間、風を切って走り去る車や湖面を裂いて進むモーターボートを見ていました。
そこには、今まで私たち6人が汗と埃にまみれ、もがくように進んできた世界とは全く別の世界が存在しているように思えてなりませんでした。
ちょうどその頃に、富士山の砂走りで大規模な落石事故が起き富士山へ登ることはせず、静岡駅から九州への帰路に着いたのでした。
< 完 >
PS. 私たちが静岡駅の地下街で食事をとり帰路に着いた日と前後して、駅ではガス爆破事故が起こり多くの方が犠牲になられたのでした。
私たちはその事故のことを帰宅後に知ることとなります。
富士山での落石事故といい、静岡駅での爆破事故といい、他人事とは捉えられないものを感じました。
1980年の夏のことでした…
でも、「照明のない真っ暗なトンネルを必死で抜けたこと」は私の記憶から全く飛んでいました。この記事を掲載してくれてありがとう。青春時代がよみがえりました。
takatoriasiaさんの「蓼科高原」のブログも拝見しました。
ぜひ実現しましょう!幹事は私がやりますよ。八ヶ岳にも登り、麓の野天風呂にも浸かりましょう!小淵沢にあるというM田氏の別荘にも押しかけましょう!