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お山にお宮がたちました

兵庫巡礼 ②生田神社

和田神社から車で20分ほどで生田神社に到着しました。
生田神社は、以前双子の姉とお詣りしました。
氣の素晴らしい神社です。

御祭神は稚日女尊。
ワカヒメ様はあまり記紀に出てこないのですが、私の中で、とても気になる女神様であります。
大本教開祖である出口直さんの御魂の神様でした。

以下Wikipediaより

日本神話ではまず、『日本書紀』神代記上七段の第一の一書に登場する。高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだ。
稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなった。
それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまった。
『古事記』では、特に名前は書かれず天の服織女(はたおりめ)が梭で女陰(ほと)を衝いて死んだとあり、同一の伝承と考えられる。

次にこの名前の神が登場するのは人代記に入ってからである。
神功皇后が三韓外征を行う際に審神を行い、その際に「尾田(現、三重県鳥羽市の加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神」として名乗った一柱の神が稚日女尊であるとされており、元々の鎮座地は三重県鳥羽市安楽島の伊射波神社(式内社 粟嶋坐伊射波神社二座 並 大)に比定されている。

神功皇后の三韓外征の帰途、難波へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港(神戸港)に還って占いを行った
そこで稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国にいたい」と神宣があったので、海上五十狭茅に祭らせたとある。これが今日の生田神社である。

和田神社のお隣の三石神社で神功皇后が祀られていましたね💖


神名の「稚日女」は若く瑞々しい日の女神という意味である。
天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。

丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。

こちらは生田の森です。
拝殿裏にそれは美しい森が広がっています。


こういう場所が本当に好きです。
都会の喧騒は苦手で、都会に行っても自然を求めて山や森に向かいます。




姉と御神木。




こちらに座って少しゆっくりしました。
虫の鳴き声、水の音、木の葉の揺れる音、全てが心地良いです。





稲荷社の近くの手水舎が可愛いですね。
お花があると感じが全然違います。




姉は御朱印集めをします。
生田神社でも御朱印を頂いたようなのですが、車に乗って待っていると、若い神官さんがとてもカッコよかったと力説されました😆
品があって、ジャニーズより男前やから見てきいや‼️と言われたのですが、そんなん、えいわ。。。と言って見に行きませんでした。

生田神社にはカッコ良い神主さんがいるかもですよ❣️



生田神社ではお札を買ってまいりました。
こちらのお札、津野山の神様と一緒にお祀りしますね❣️




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