今日は母の90歳の誕生日
久しぶりにグループホームから実家に帰ってきました
数えで90歳の去年は入退院の繰り返しで卒寿のお祝いどころでは無く
特に昨年の夏から秋は意識も低下し、危ない状態で
『いよいよ、か…』と覚悟を決めたほどでした
でも流山中央病院での的確な治療と親身なケアのお陰で奇跡の復活を果たし
今は普通に会話も出来るし、支えてもらいながら
歩くことも出来るようになりました
ホッとして今年、ようやくお祝いのパーティです
認知症が進んでしまい、私と姉のことはかろうじて覚えているのですが
私が結婚してることも、当然私の夫のことも
孫である二人の息子達のこともすっかり忘れてしまったので
親子水入らず、ということで母娘三人でお祝いしました
島屋フードメゾン内のお寿司屋さん「寿司岩」で
三人前を一盛りで作ってもらいました
大皿を持って行って、それに作ってもらおうとしたら
今は保健所の指導で、持込のお皿に盛ることが出来ないそうで
仕方なく帰ってから盛り直しました
後は「日本ばし大増」の煮物盛り合わせと切り昆布の煮付け
「西利」のお漬物、島屋で苺も買いました
お寿司もお惣菜もお漬物もとっても美味しかったです
予約しておいたミレーのケーキ
お寿司だの、果物だの、お惣菜だのと持ち物が多いため
ケーキの持ち方が悪く傾いてしまい、
せっかくの正面が悲惨な状態になってしまいましたが
記念なので一応、写真に収めました
「文面はどうなさいますか?」と聞かれ、名前は無いとしても
「おばあちゃん」にしようか「おかあさん」にしようか迷ったけど
母娘だけだから、と「おかあさん」にしてもらいました
でもこうやって改めて見てみると、
ズ~ッと「ばぁばぁ」とか「おばあちゃん」とか呼んでいたから
「おかあさん」と書くのは久しぶりで、ちょっと不思議な気がしました
最後に私の母です
私の古い友人もこのブログを見てくれているのでそのまま顔を出しました
去年の入退院の繰り返しですっかり痩せてしまいましたが
食欲は旺盛で、今日も一番たくさん食べました
グループホームでは、本当に良くしてもらっているようで
三年前、父がなくなった直後は
「お父さん、早く私も連れてって」とお仏壇の前で手を合わせていましたが
今日は「お父さん、もう少し長生きさせてください」と言っていました(笑)
そういう気持ちになってくれて、嬉しく思いました
平成17年に父が倒れ、翌年母も倒れ、二人とも要介護状態になり
そんな中で私が手術したり、父が亡くなったり
その後母の入退院と、とんでもなく大変な4年間でしたが、
今年になってちょっと落ち着いてホッとしています
特別な宗教心は無いけれど、
こうやって母のお誕生日を平和に迎えられて、
神様ありがとう、と思いました
久しぶりにグループホームから実家に帰ってきました
数えで90歳の去年は入退院の繰り返しで卒寿のお祝いどころでは無く
特に昨年の夏から秋は意識も低下し、危ない状態で
『いよいよ、か…』と覚悟を決めたほどでした
でも流山中央病院での的確な治療と親身なケアのお陰で奇跡の復活を果たし
今は普通に会話も出来るし、支えてもらいながら
歩くことも出来るようになりました
ホッとして今年、ようやくお祝いのパーティです
認知症が進んでしまい、私と姉のことはかろうじて覚えているのですが
私が結婚してることも、当然私の夫のことも
孫である二人の息子達のこともすっかり忘れてしまったので
親子水入らず、ということで母娘三人でお祝いしました
島屋フードメゾン内のお寿司屋さん「寿司岩」で
三人前を一盛りで作ってもらいました
大皿を持って行って、それに作ってもらおうとしたら
今は保健所の指導で、持込のお皿に盛ることが出来ないそうで
仕方なく帰ってから盛り直しました
後は「日本ばし大増」の煮物盛り合わせと切り昆布の煮付け
「西利」のお漬物、島屋で苺も買いました
お寿司もお惣菜もお漬物もとっても美味しかったです
予約しておいたミレーのケーキ
お寿司だの、果物だの、お惣菜だのと持ち物が多いため
ケーキの持ち方が悪く傾いてしまい、
せっかくの正面が悲惨な状態になってしまいましたが
記念なので一応、写真に収めました
「文面はどうなさいますか?」と聞かれ、名前は無いとしても
「おばあちゃん」にしようか「おかあさん」にしようか迷ったけど
母娘だけだから、と「おかあさん」にしてもらいました
でもこうやって改めて見てみると、
ズ~ッと「ばぁばぁ」とか「おばあちゃん」とか呼んでいたから
「おかあさん」と書くのは久しぶりで、ちょっと不思議な気がしました
最後に私の母です
私の古い友人もこのブログを見てくれているのでそのまま顔を出しました
去年の入退院の繰り返しですっかり痩せてしまいましたが
食欲は旺盛で、今日も一番たくさん食べました
グループホームでは、本当に良くしてもらっているようで
三年前、父がなくなった直後は
「お父さん、早く私も連れてって」とお仏壇の前で手を合わせていましたが
今日は「お父さん、もう少し長生きさせてください」と言っていました(笑)
そういう気持ちになってくれて、嬉しく思いました
平成17年に父が倒れ、翌年母も倒れ、二人とも要介護状態になり
そんな中で私が手術したり、父が亡くなったり
その後母の入退院と、とんでもなく大変な4年間でしたが、
今年になってちょっと落ち着いてホッとしています
特別な宗教心は無いけれど、
こうやって母のお誕生日を平和に迎えられて、
神様ありがとう、と思いました
ヾ(´・∀・)ノ << Happy Birthdy♪
何度も「いよいよか…」と覚悟をしては、回復してくれる。親と別れる心の準備ができていないのを神様が知っているようです。
本当に、ありがたいですね
そうですか。やはり少しずつ過去に戻っていくのでしょうか。
母が入院中、同室の80代の女性は何処かが痛かったらしく「お母ちゃ~ん、痛いよォ、痛いよォ、お母ちゃ~ん、何処にいるのォ~!」と叫んでいて、あまりにうるさいので看護婦さんに「○○さ~ん、お母さんはここにはいませんよォ~」って慰められていました(笑)
人は最期を迎える段階になると赤ちゃんに帰る、なんてことも言われてますが、ホントなんだなぁと思いました
>太田焼きそばマンさん
わざわざコメントありがとうございま~す
>こまちゃんさん
本当に介護は大変な世界ですよね。お互い身体に気をつけて頑張っていきましょうね