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conscience

my diary

YOASOBIの紅白のパフォーマンスは最高だと思った。

2024年01月01日 | 日記
 何故、日本のみならず世界的にもバズっていたYOASOBIが、レコード大賞には選ばれず、特別国際何とか賞という訳のわからない賞になるんだろうかと疑問に思っていたし、以前からも、レコード大賞の選考には、芸能事務所とテレビ局との力関係や利権関係などの裏があって、一番流行った曲が必ずしも選ばれていないのではないかとも疑ってはいたが、その点では、NHKが、紅白でYOASOBIに、大勢のアイドルグループからなるバックダンサーを従えさせてスタジオで歌わせた姿勢は素晴らしかった。流石に、忖度だらけのTBSとは明らかに異なっていると思ったし、NHKの視聴料金を払っているだけの価値があると考えさせられた。そして、YOASOBIのパフォーマンスも素晴らしく、他の出場歌手の存在が霞んで見えたとすら思えた。
 そういう意味で、去年、政治や芸能界で明らかになったのは、日本のあらゆる社会に、依然として、縁故主義ともいうべき社会構造が残っていて、この村社会に連なることが出来なければ、どのように素晴らしい実力があっても、なかなか表に出てこれず、場合によっては潰されかねないということだった。例えば、自民党政治では、安倍派だけではなく、裏金が広くまかり通っていると疑わざる得ないものがあり、政治資金パーティーなどで集めた裏金は、地元の支持者を作り上げる為の地元培養行為に使用され、場合によっては、買収等で表に出せない資金として使われていて、この為、幾ら、能力があり素晴らしい人でも、資金などが無ければ、自民党候補に勝てない構造であるとすら考えられる。芸能界でも、ジャニーズ事務所のテレビ局やマスコミに対する圧力と、それに忖度して不祥事に目をつぶって来たマスコミという構造があった。このような村社会的構造は、まだまだ、日本社会全体に色濃く残っており、それが、必ずしも合理的でも科学的でも民主的でもなくて、それで物事が決定されてきたのではないかという疑いがある。我が国は、第二次世界大戦で無残に負けて、無条件降伏をして、連合国に国土を占領された経験があっても、このような構造がしぶとく残っていて、それがある意味、社会全体の閉塞感の正体の一つだと思うし、村社会が作り上げたガラパゴス的構造は、高度経済成長が終わり、少子化が進行し、人口の減少が進み、日本社会全体が限りなく縮小しつつある今、日本社会が生き残り得る為の、新奇なアイデアや才能のある人を生かし切れない障害となっているように思う。過去にノーベル賞を取ったような研究者でも、日本社会にいては自由に研究が続けられないという人が何人もいたではないか。
 今回のYOASOBIに対する、一部テレビ局などの対応を見て、これも、完全競争を阻害している「縁故資本主義」の弊害であると考えたのだった。

※ 縁故資本主義とは
 経済効率よりも付き合いのある者の利益を優先する資本主義 / ウィキペディア フリーな 百科事典 
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