能登地震では、現段階では、100数十人が死亡し、200人くらいが行方不明ということであるが、自宅が損壊し、身内が亡くなった人々にとって、発災直後の今は、呆然として出来事を消化しきれなかったり、生きて行くことに精一杯であるかもしれないが、むしろ、日にちが経ち、少し落ち着いてくると、過去の思い出が蘇ったり、将来への不安に押し潰されそうにと、日を追うごとに大変な出来事が待っているだろう。まして、冬場は寒い場所でもあり、働く先なども限られた田舎でもある。高齢化率も、場所によっては5割を超えている地域もあるとのこと。しかし、他の地域に住む人々にとっては、今でこそ、関心もあるが、月日が経過すると関心も薄れがちになっていくだろう。政府は、自助・共助というが、能登半島などの元々貧しかった地域で、高齢者に対して自助などと言われてもどうしようもない。他の地域に身内でもいれば、少しは助けにはなるだろうが、そういう人達ばかりではない。東京都などは、公営住宅を一年限定で貸すと言っているが、例え、政府の支援金の数百万があっても、他の地域、とりわけ都会などでの生活費の高さ等を考えると、暗澹とした不安しかないだろう。仮に、地元の市町村で生活するにしても、生活上必要なインフラの復旧には何年もかかるだろうし、仮設住宅などに入居出来ても、高齢者の孤独死が増えるだけだろう。
私は、今回の能登地震は、地下深くの流体が断層に作用して、最近は特に地震回数と強度が増えていたのであるから、ある程度は、この規模での地震が近く発生するということが予測しようと思えば予測できたと思うが、しかし、政府や自治体は、一部の学者が言っていることとして、大した対策を取ろうとはしてこなかったと考えている。例えば、住民に、震度7程度の地震が起きた時の被害想定と、この地域の既存の住宅などの耐震程度の低さなどが住民には十分には伝わっていなかったと思う。その意味で、政府や地震学会にも責任が大きい。この種の災害では、地元に補助金を投じて、地元で何とかしろというのが今までの政府のやり方ではあるが、地域の特性と将来性などを見た場合、何とか出来るという限界を超えてはいないだろうか。一方では、一部で反対もある関西万博を大金を使って建設中でもある。能登半島の貧しい人びとを見殺しにして、何が万博なんだろうかと思うのは私だけなんだろうか。