7月8日にあった安倍元首相銃撃事件の報道は、当初は、奈良県警の警備上の失態や安倍氏の功績に焦点を当てるものが多かったような印象があったが、容疑者の母親が統一教会の信者で多額の寄附を行って家庭崩壊を招いたことを容疑者が長年にわたって恨みに思い、安倍氏が統一教会を日本に招き入れた岸元首相の孫であることや、安倍氏自身も統一教会の関連団体の行事にビデオメッセージを送っていたこと。統一教会の幹部の襲撃が難しく思えたことなどから安倍氏にターゲットを絞り付け狙った末の犯行であることが、段々と明らかになってきた。
特に、ここ数日の報道では、容疑者の幼少期からの悲惨な境遇を中心に、親戚の証言や、容疑者自身が送った手紙、ツイッターといったものが繰り返し報道され、一方では、自民党などの政党に組織的に浸透を図っていった統一教会の手法も報ぜられるなどで、聞きようによっては、恰も、山上容疑者が勧善懲悪のヒーローであるかのようにも受け取られかねないものもある。
これに対して、つい最近まで、韓国人に対して数々のヘイト活動を行って来た保守系団体からは、反応が無いか、または、意図的に沈黙しているようにも見られる。一方、この間、統一教会が日本で悪質商法や高額寄附などで多額の金集めをし、また、日本人女性を韓国人男性と結婚させて、お金と女性を韓国に送り込むという手法を取っているとも報道されている。
日本人は、一昔前までは、赤穂浪士の討ち入りや曽我兄弟の仇討ちなどの物語を好み、テレビドラマや映画などが繰り返し作られてきた。現状の報道から日本人の多くの人々が受け取っていると思われるのは、日本人を食い物にするキリスト教を隠れ物にした統一教会という悪の集団と、それを選挙などにおける無償のボランティアとして利用してきた自民党の一部の政治家達という構図であり、山上容疑者の家族を破綻に追い込んだだけではなく、数十年にわたって同人の家庭と同様な悲劇を数多く作り出して日本人を食い物にしてきた統一教会と、これに対して立ち上がった山上容疑者という物語であり、ともすれば、彼をヒーロー視しかねないところがある。
勿論、報道では、彼がヒーローであるとは口が裂けても言わないし、必ず、「どんな理由があっても暴力はいけない」と付け加えられてはいる。また、仮に、これらの報道を目にした国民にインタビューしたとしても、表立って、彼がした行為を肯定する者はいないだろう。しかし、本音ではどうなのか。保守系団体にしても、いくら統一教会系団体が対共産主義運動に名前を連ねているからとしても、統一教会のやってきた不法行為に口をつぐみ、安倍元首相の功績のみを語るのであれば、民心は離れていくばかりではなかろうか。
「恨」という感情は、何も韓民族に特有のものではなく、古来、韓半島からの渡来人を受け入れて来た我が国にも存在するものであり、ここ数十年の低経済成長の中で貧富の差が拡大し、ロスジェネ世代などでは、まともな就職や結婚もできず、容疑者の家庭のように、宗教活動を隠れ蓑にした洗脳活動により家庭崩壊に至り、家族が自殺などに追い込まれるなどした者の持つ感情としては、「恨」しかないのではなかろうか。
もっとも、私は、無政府主義者ではないし、無敵の者でもない。秩序を愛し、平和を尊ぶ者で、この事件のもたらす負の影響をひたすら憂う者である。それだけに、報道する側も、面白半分、興味半分で報道することは止めて欲しい。少なくとも、その報道を目にした者に、どのような影響を与えるかまでも想像して欲しい。