おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その4。白子宿と川越街道。白子橋。靴が鳴る。(「都県境を探ってみる」第5回目。)

2022-11-15 21:03:50 | 都県境を探る

                           城口橋。

東武線・東京メトロ線の鉄橋。

その手前に、「和光市立旧白子 川児童遊園地」。

その名の通り、旧白子川跡にある、細く曲がりくねった公園。「ウゴウゴ」とかいう遊具があるとか。

                       (「」より)

鉄道橋と併行する「寺前橋」。    

この先にあるお寺(地福寺等)が橋名の由来。

右岸遊歩道脇に、

「白子宿と川越街道」解説碑。

白子宿のおこりは、古く天正15年(1587)後北条氏が新宿を立てた時に始まる。月のうち6回の市日には、どの商人も自由に商売が出来たため近郷近在の人気となった。

江戸時代になって川越街道に上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の6宿が置かれた。当時の白子宿は急坂な大坂と豊富な湧き水が印象づけられ、旅人には、休憩地として欠かせない宿場であった。文化文政年間には江戸の文化人がこの地を通り、「家居よく賑やかなる宿なり、食事売家も多し。」と紀行文に記している。

白子川遊歩道整備事業は、当時の面影を残すため、市制20周年記念事業の一つとして施行したものである。

「四阿」からの白子川。

                   対岸は、和光市白子。

白子橋。

      『靴が鳴る』のプレートが「白子橋」の欄干にはめこまれている。

ここを通る街道は、旧川越街道。以前、歩いた時の記録を再掲。

・・・

白子宿
 川越街道(川越・児玉往還)にあった宿場。現在の埼玉県和光市白子にあたる。
 現在の川越街道旧道と白子川が出会う場所から熊野神社までが中心部と推測される(白子2丁目)。豊富な湧き水を利用した造酒が盛んであった。
 元々白子(シラコ)は「新羅」の転訛で、渡来人らが開いた土地とされ、古代からこの辺り一帯の中心地であったと推測されている。川越街道がこの地に宿場に置いたのも、自然発生的な結果であろう。
 しかし並走するように北側に東武鉄道が開通すると成増駅と和光市駅周辺に賑わいは移り、現在は和光市の町名に残るのみとなっている。当時の面影を残すものは熊野神社や富沢家などを除いてほとんどない。
(この項、「Wikipedia」より)

「白子川」。

「くつがなる」の歌詞。 

                  
1お手(てて)つないで 野道を行(ゆ)けば
 みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
 歌をうたへば 靴が鳴る
 晴れたみ空に 靴が鳴る

2花をつんでは お頭(つむ)にさせば
 みんな可愛(かわ)い うさぎになつて
 はねて踊れば 靴が鳴る
 晴れたみ空に 靴が鳴る

この童謡の作詩家・清水かつら氏と「白子宿」の関係は?

郷土の偉人 童謡詩人 「清水 かつら」
<<< 童謡詩人 清水 かつら >>>(1898年~1951年)
 日本を代表する童謡詩人である清水かつら(本名・桂)は、明治31年(1898年)7月1日に東京本所小名木川(現在の東京都江東区深川)で生まれました。
 子どもの頃から文学に深い興味と優れた理解力があり、商業学校を経て、出版社に入社し、雑誌の編集に携わるかたわら詩作に励みました。
 大正12年(1923年)の関東大震災で家屋・家財を失ったかつらは、母の実家のある新倉村(現和光市下新倉)に身を寄せ、その後、白子村(現和光市白子)に移り住むことになりました。
 昭和26年(1951年)7月4日、病気でこの世を去るまで、この地で武蔵野の自然と子どもの純真さを愛して作詩した数々の童謡は、多くの人々に親しまれています。

代表作
叱られて・靴が鳴る・雀の学校・みどりのそよ風 など

(この項、「」HPより)

・・・

白子橋から白子宿方向を望む。

下流を望む。

先に進みます。

富士食品株式会社パンの直売場。

             けっこうお客さんが来ています。

「東埼(とうさい)橋」「新東埼橋」からは、しばらく白子川が都県境となります。

                上流を望む。

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