おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)

2024-07-28 13:39:36 | 元荒川

白岡市のマンホール。

抽象的な「家族」を中央に配置。 その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。

「篠津一号橋」。「星川」。

              

星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。

橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。

けっこうな回り道。

「蓮田白岡環境センター」。

右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、

やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。

       

産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。

星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。

上流に橋が見えてきます。

橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。

※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水路の完成と共に周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀と表示されている。

左折し、元荒川に架かる橋へ。

                    「根金(ねかね)橋」。

ここまで小1時間。もう汗びしょびしょ。

ここからは土手の道を歩くことになりますが。

振り返る。

この先は木陰のない土手歩き。

しばらく、小休止。この先どうしようか。

この付近を通るバス停の時刻を調べると、「蓮田駅」行きが、あと10分くらいで来るらしい。

ということで、ここで中止。蓮田駅まで戻ってきました。

この時期。炎天下の土手歩きは危険、危険。

この先は、涼しくなってからにしよう、と。

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7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)

2024-07-27 17:30:43 | 隅田川

向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?

ところが、どこを見渡してもいません。

親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?

そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。

帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。

こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。

園内には、

風鈴が涼しそうな音色を響かせています。

         

           

足下には木漏れ陽。 

炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。

そしてザクロの実が一つ。

朝顔展の準備が始まっています。

            

売店には「氷」の旗が。

この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。

アゲハチョウの姿が(↓)。

遠くにスカイツリー。

今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになるはずです。

間近で眺める機会もなさそうなので、開会前の様子を野次馬根性で行ってみます。

工事中の隅田公園(墨田区側)は立ち入り禁止のようです。

隅田堤も規制線が張られ、もう厳重警戒中。

シートが置かれ、番をする人も。

いつ頃かシートを敷いたのでしょうか? 

                    もう宴会をしている人たちも。

TV中継の準備中。

その向こうには、スカイツリー。

桜橋脇の打ち上げ地点の準備も着々と。

下流を望む。

何だかゴロゴロ雷の音が聞こえてきます。足立のときのように直前で中止にならないよう。

「隅田川花火大会」。

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宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)

2024-07-26 18:34:16 | 元荒川

7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。

「八幡橋」方向。

             

かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな? と       

「さくらロードガーデン」。

川べりも歩けそうです。

左手に解説板があります。

                        「茅野(かやの)の渡し」。

現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました

渡しは対岸の二軒の家で交替に行われ、舟はそれぞれが持っていました。当番が向こう側の時には手を叩いたりして合図し、向こうから舟を持ってきてもらいました。大正初期で一銭だったといいます。この渡し場は下流に大正一二年五月に八幡橋が架橋されると次第に利用者は無くなりました。

なお、当地で船頭を行っていた杉崎家には「円空仏」が伝わっており、これは渡船の渡し賃として円空からいただいたものだと伝えられています。

対岸(蓮田市側)を望む。

この付近の今昔。

                                                                

(1880年代)渡し場がある。白岡側は砂地。        (現在)白岡側は住宅地。上は「星川」。

右手から「星川」が合流。

              

元荒川上流へ行くには、星川沿いを迂回します。

元荒川の下流を望む。

コスモスが咲き始めています。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9b/33f8bf051d33043b49b557f9b3e62683.jpg">

※星川は熊谷市上川上を起点とし、白岡市西で元荒川と合流する延長約34km、流域面積約45平方kmの利根川水系の1級河川である。起点から小見(行田市)までを上星川といい、小見から上大崎(久喜市)の16間堤までを見沼代用水といい、16間堤から元荒川合流点までを下星川という。見沼代用水が伊澤弥惣兵衛為永によって半年間の短い工期で完成できた理由の一つはこの星川を利用したことであると言われている。

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東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-24 15:39:40 | 元荒川

「東北新幹線」。

白岡町(白岡市)の表示が。

※「白岡市」

白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。

昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。
誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。
このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。

交通面では、都心まで40分程度で結ぶJR宇都宮線が南北に走り、白岡駅、新白岡駅には上下線とも1日100本前後の電車が停車し、通勤・通学の足となっており、東京都心まで約40キロメートルに位置し、ベットタウンとして発展してきました。

また、東北道、国道122号、県道8路線が市内を通過し、東北道久喜インターチェンジや圏央道白岡菖蒲インターチェンジにも良好なアクセスが可能であることから、広域的な交通利便性に富んでいます。

特産品の「梨」は県内有数の埼玉梨の主産地であり、4月中旬には市内の梨園が梨の花で白一色となります。
白岡市は、『みんなでつくる 自然と利便性の調和したまち しらおか』をスローガンに、自然と調和した新しいまちづくりに取り組んでいます。

(この項、「」HPより)

対岸は、蓮田市。

     東北新幹線・橋梁。

             水位計。

振り返ると通り過ぎるところ。屋根しか見えませんが。

上流に「八幡橋」が見えてきます。

           

叢の中に石碑と解説版。

          

対岸は蓮田市貝塚で、以前この地は「八幡(やわた)の渡し場」があった。明治43年に白岡駅が開業を始め、駅周辺の商家を中心に近隣の有志の援助を受け、大正12年に「八幡橋」を架けた。現在の永久橋は平成6年に架け換えられたものである。(「白岡市」HPより)

※渡しの仕事は「かっこし(川越し)の家」の屋号で呼ばれる早川家で行っていた。

左手には「元荒川架橋記念碑」が残っている。

上流方向。

今回は、ここまで。宇都宮線「白岡駅」に向かいます。炎天下、けっこう歩きました。

白岡駅前に大きな石碑。

旧国鉄東北線白岡駅は、明治43年2月11日に開業しました。本碑は、その開業を記念して同年5月、白岡駅前に建てられました。
撰文と書は中島撫山。篆額は亀田雲鵬。裏面には、本碑建設のための寄付者氏名が列記されています。

白岡駅と車站之碑 
 明治維新後、国は輸送手段の一大改革として鉄道建設を推進し、その一環として1885年(明治18)7月、日本鉄道会社により大宮-宇都宮間が開通しました。 しかしその際、白岡駅は設置されませんでした。
 そのため、地元有志は交通の利便化と産業の振興を願って、日本鉄道や帝国議会に駅の設置を請願市、駅用地の寄付も行いました。しかし、その後の日露戦争(1904~1905)で設置は遅れ、再三の請願の結果、1910年(明治43)2月11日になってようやく駅が開設されました。駅名は白岡八幡宮から名をとって「白岡駅」とされました。
 「新設白岡車站之碑」は駅開設の5月に立てられたもので、開設までの苦労や、駅開設後に人々が利益追求に走ることを心配する内容などが、久喜の漢学者中島撫山の撰文により刻まれています。また、記念碑の寄付人名には久喜、岩槻、蓮田の人々も含まれ、周辺地域の人々も白岡駅開設に関心の高かったことがうかがえます。
   平成13年6月    白岡町教育委員会

【新設白岡車站之記】 明治43年(1910)建立。高さ 364cm。

「白岡駅」ホーム。

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東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-23 18:35:57 | 元荒川

日差しが強くなってきます。

木々があるので、

                 歩くのにはちょうどいい。

ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。

次の橋に近づきます。

振り返る。この先には運動公園はなさそう。

広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。

「新今宮橋」。

下流方向。

             

上流方向。

大きくて見事なサボテン。

水管橋。

蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。

「今宮橋」・今宮けやき通り。

     下流方向。

上流側から橋を望む。

川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。

                                これがけっこう長い。

この付近から白岡市入り。

対岸に東北新幹線。

この付近の今昔。

                                                                                                                       

(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。          (現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市。 

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