おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

総武本線「旭駅」~「飯岡刑部灯台」。その6。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-30 18:33:46 | 銚子往還

そろそろ昼飯時。旭駅周辺で買い物ができず、ここまで。帰りのバス時間も考え、刑部灯台から帰途へ。

「上永井公園 飯岡刑部岬展望館 ~光と風~ 」

この展望館は、千葉県立九十九里自然公園内に位置し、自然とふれあう活動の場として平成13年3月にオープンしました。

展望館のある刑部岬からの眺望は、「日本の夕陽百選」「日本の旭百選」「日本夜景遺産」「日本夜景百選」「ちば眺望百景」「関東の富士見百景」に選定されています。空気の澄んだ晴天時には、水平線に浮かぶ富士山や夕陽に映える富士山のシルエットを見ることができます。特に2月下旬には父子山頂に夕陽が沈む「ダイヤモンド富士」という珍しい現象が見られます。

ここ刑部岬からいすみ市太東岬に至る約66㎞の九十九里浜は、ハマヒルガオなどの植物群落のある美しい海岸として「日本の白砂青松100選」日本の渚百選」に指定されています。この海岸は、昔から海水浴場、地引き網、海釣り場等に利用され、近年は年間を通して、サーフィン等のマリンスポーツの場としても親しまれています。

「刑部岬」の由来

この地名は、平安時代末期に飯岡の海岸近くにあったとされる佐貫城の城主片岡常春に仕えていた家老鬼越刑部栄定の居宅が、この岬の崖下近くにあったことから呼ばれるようになったといわれています。常春は軍記物で「源義経四天王」として登場する人気者です。

屏風ヶ浦

展望館のある刑部岬から銚子市名洗まで約10㎞にわたり高さ35~60mの断崖絶壁が続いています。太平洋のていへうようの荒波がつくり出した海食崖が屏風ヶ浦です。その雄大な景観がイギリスのドーバー海峡に似ていることから、「東洋のドーバー」と呼ばれています。

  

「つなみ避難場所 上永井公園」。標高65.9m。

地点標示「標高 66.24m 日本橋から 108㎞」。

                         「飯岡灯台線拡幅改良工事竣工碑」。

(旧)飯岡町のマンホール。

屏風ヶ浦の絶壁の上に立つ飯岡灯台、そこから眺めた飯岡の港、はるか彼方まで続く九十九里浜をデザイン。灯台の手前には町の木「クロマツ」。右端に飯岡町の町章。用途は不明。

※2005年(平成17年)7月1日、(旧)旭市と香取郡干潟町(ひかたまち)、海上郡海上町(うなかみまち)・飯岡町が対等合併し新しい旭市となった。

「海辺里」。ここで昼食。

海鮮ちらし寿司。地魚づくし。

しらすのお吸い物もおいしい。お土産に「さば寿司」を購入しました。これもたいそう美味でした。

少しくつろいで、「国道126号」沿いにある旭駅行きの千葉交通バス「灯台入り口」まで。

左下からカエルのの鳴き声が、湿地帯・水たまりから聞こえてきます。

       

遙か遠くに水平線が。

                   飯岡漁港の方向。

「国道126号」銚子方向。

大きなお屋敷。

「国道126号」に合流。

バス停「灯台入口」。→「飯岡灯台」「屏風ヶ浦」。 

飯岡から旭駅に。

次回は、「飯岡刑部灯台」下から銚子に向けて歩きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その5。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-29 13:37:28 | 銚子往還

飯岡漁港・刑部岬付近の今昔。

                      (現在)砂州が沖に伸びています。

                     (1880年代)岬のような地形ではありません。

100年間の海岸地形の変化は著しい。港湾施設の建設などで潮流の変化があったことも、大津波の一因になったのでは?

         

                  

     

「・・・自宅兼店舗は、海に向いた玄関から津波が入り周囲の壁を壊して突き抜けていた。幸い家族は避難して無事だったので、しばらくは友人やボランティアの力を借りて私は週末だけ帰り片付けを手伝った。再建に時間がかかったが12月にオープン。私は郷里に戻り父と二人で店を経営してゆく決心をした。経営は難しいが、私なりにインスタグラムやフェイスブックなどを活用して、会席料理をもっと気軽に若い人に楽しんでもらえるよう頑張る。」

「大地震の日は飯岡中学校で帰りのホームルームの最中だった。津波が来るかもしれないと言うので先生方の引率でスポーツ公園に避難した。帰宅後避難の準備をして玄関を開けたら、すでに津波が来ていて立ちつくすしかなかったのを覚えている。その後、東北の被災地でボランティア活動をする中で、規模の大小にかかわらず、被災者は心に傷を負っているから、心の復興が大切だと思うようになった。成人を機に、飯岡のために何かしようとSNSでよびかけたところ15人ほどが賛同してくれた。市の協力を得て、震災の紙芝居や防災パンフレットの配布、小学校での防災教室などを行ってきた。・・・」

「大震災に遭ったのは小学3年の時だった。3階に避難したとき窓から見た海は、真っ黒い波が黄色の建物を飲み込んでいく光景だった。次々と避難する人達が集まってきて、担架で運ばれる人もいた。父が迎えに来てくれて自宅に戻った。自宅は大きな被害はなかったが、友だちのおじいさんが津波で亡くなったことはショックだった。日が経つにつれ、地震や災害のニュースを見るたび、津波が建物をのみ込む光景や津波が人の命を奪ったことがフラッシュバックして恐怖心がよみがえる。・・・」

「3月11日は銚子の市場に入ったところで大地震に遭った。2回目の地震で大津波警報が出たので自分の店の船が繋いである飯岡漁港に戻ったのは4時くらいだった。港は引き波のあとで海底が見え船が何艘も横倒しになっていた。持ち船の一艘は祖父が津波をぬって沖に出していて助かった。もう一艘に父と二人で乗り込み、ロープで固定したがすぐに第二波が押し寄せ、港の中で渦を巻き始めた。ロープは切れ、船は渦に巻かれて死ぬかと思うほど怖かった。・・・忍耐の11年間だったが、主力商品を増やしたり、産直やネット販売など工夫しながら飯岡の地場産業を守っていくつもである」

「・・・防潮堤のかさ上げ、河川開口部のゲートフラップ、復興住宅も竣工しました。グループ補助金などにより産業も復興しました。津波避難道路の用地取得も進んでいます。皆様のご協力、ご理解のたまものです。防災・減災のためには事前の計画・準備が重要です。しかしながら、市役所だけでは災害を防ぐことはできません。皆様の自助、共助、日常の備えをお願いします。市民の絆、人と人とのつながり、チーム旭で安全安心のまちづくりおをすすめましょう。」(旭市長 米本弥一郎)

(「復興かわら版いいおか津波」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その4。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-28 16:47:45 | 銚子往還

断崖絶壁の下は、

              大海原が広がる。

           

                           刑部岬の先端。

「屏風ヶ浦と刑部岬」。

飯岡台地が断崖となって太平洋に落ち込む屏風ヶ浦は、高さ60m、現在地には飯岡灯台がたち、刑部岬と呼ばれている。灯台周辺は公園に指定されており、水平線と九十九里浜が織りなす眺望は、昼夜を問わず絶景であり人気が高い。

ここ刑部岬から銚子市名洗にかけて、高さ40~50mの絶壁が屏風のように約10㎞にわたり続いており、屏風ヶ浦は俗に「東洋のドーバー」と呼ばれています。太平洋の荒波が直接打ち寄せるため、その浸食により形成されたもので、700年余りに約6㎞近く陸地が後退したといわれています。

平安時代末期にはこの地に源義経の四天王の一人、片岡常春が佐貫城をかまえていたが、その城跡は激しい浸食による海岸線の後退で今では海中に没してしまい、昔の姿はありません。わずかに地名でサヌキとして残っております。

文豪山本有三の小説「波」に出てくる「ビョウブのように突っ立った岩」とは主人公が盛岡出身で飯岡の海を紹介しているところです。

※ドーバー海峡の両側の英仏とも海底含め同じ岩石であるチョークでできており、海峡になる前の氷期は地続きであったと考えられる。これより北海側に存在した氷河との間に、ライン川やテムズ川から流れてきた水が湖を形成したが、何らかの作用で決壊し浸食した所が現在の海峡で、氷河期後に海面下に没したものと推定されている。

(この項、「Wikipedia」より)

国内初の着床式の沖合洋上風力発電所(↓)。
2009年8月より、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下、NEDO)の公募事業として研究を開始し、風況・海象の把握、海洋構造物が環境に与える影響などについて調査を行ってきました。
2013年1月からは、NEDOと共同で本設備による実証試験を実施し、2019年1月1日より商用運転を開始。

方位標。地名に「沖縄」が記されています。

りっぱな記念碑が建っています。

「沖縄飯岡友好交流記念碑」。

飯岡町と沖縄との交流は、平成9年5月に篤志家上原清吾氏が当町を訪れたことに始まります。・・・その後、上原氏は飯岡町の「教育」「福祉」に多額の浄財を寄付されるとともに、飯岡の子供たちが、沖縄の歴史・文化を通じて平和の尊さを学び、沖縄の子供たちと友情を育む交流の機会を与えて下さいました。かくして、この事業は、21世紀の社会を託す飯岡の子供たちに貴重な経験となり、将来を託するところ多大であると思われます。・・・沖縄と飯岡町の友好の絆を更に深めるため、この沖縄飯岡友好交流記念碑を建立するものであります。

「飯岡刑部岬展望館」。

 遠くに続く「九十九里浜」。

        

                        

・・・ 

九十九里浜は、「旭市(旧飯岡町)刑部岬」から「いすみ市(旧岬町)」のあいだ66キロメートルの海岸をいいます。
 源頼朝が太東岬から刑部岬の間を6町を1里とし、1里ごとに矢を立てたところ99本にたっしたことから九十九里とよぶようになりました。

九十九里浜のちょうど真ん中は山武市!?
 1町は約109メートル。計算すると6町×109メートル×99里=64,746メートルでほぼ一致します。
 『蓮沼村由来分地録』に「六町を一里に積り」や九十九の半分にあたる、49本目の矢を蓮沼の箭挿(やさし 矢指ともいう)神社に奉納したと書かれているなど、後世の作為も伺えますが、九十九里浜のへそは山武市蓮沼です。

九十九に関係した地名
九十九里浜には九十九を意識した地名があちこちに見うけられます。山武市のとなりの九十九里町、大網白里町、白子町などがそうです。
 白は百に『一』が足りないことから九十九を指します。ちなみに、九十九歳のお祝いを白寿)と言います。

九十九を「つくも」と読む理由
 百は「もも」とも読みます。つまり百に次ぐ(つぐ)「ツグモ」が訛り(なまり)「ツクモ」と呼ぶようになりました。

九十九のもう一つの意味
 九十九折り(つづらおり)・九十九湾(つくもわん)・九十九島(くじゅうくしま)のように「多く」「たくさん」をさす言葉です。(「山武市・さんむしキッズ」HPより)

・・・

展望館からの飯岡漁港。

このフロアには展示コーナーがあって、13年前の東日本大震災の被害状況が写真展示されています。

当時、旭市が大きな被害を受けたことは知っていましたが、どうして九十九里浜で大きな被害が出たのか、程度で関心がないまま今日まできてしまいました。

ベストアンサー

(「より)

         

報じられないことは「仕方がない」 東北の陰で「忘れられた被災地」は 【#あれから私は】

 それから10年。今もさまざまな活動が地元で続いている。昨今、高齢化や新型コロナ禍の影響も受けているが、自分たちの暮らす地域で起きた出来事や教訓を先につないでいこうという思いは変わらない。

(2021年3月6日 14:00 |「千葉日報」銚子・海匝支局 橋本ひとみ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その3。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-26 18:35:11 | 銚子往還

眼下に「飯岡漁港」が広がります。

飯岡の町並み。

           右奥の遊歩道を上がってきました。

遠く九十九里浜が連なる。

けっこう高台に上がってきます。左手奥が刑部岬の先端。

「飯岡刑部岬展望館」が正面に。

屏風ヶ浦先端に立つ「刑部灯台」。

  

眼下に広がる大海原。

  「希望の鐘」。

        

「打ち上げ花火 下から見るか 横から見るか」ロケ地。   

東日本大震災により大きな被害を受けた本作のロケ地と東日本復興への願いをこめて」と、2011年7月22日から8月31日まで岩井俊二の公式サイトにて、無料で動画配信された

※Aパート、Bパートがあるようです。

Bパート
足をぶつけることなく勝った典道はなずなに「花火大会に二人で行こう」と誘われ、男友達にも「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか?平べったいのか?」と誘われるも、ギリギリまで粘った典道はなずなとの約束を優先し、バスに乗り駅で降りた。なずなは時間が経つにつれ態度を変え駆け落ちせずバスで戻り、学校のプールに忍び込み水遊びをした後、「2学期で会おう」と叶うことのない約束をして典道の元を去っていく。一方祐介達は灯台に向かうも花火はすでに終わってしまった。典道は祭りで彼氏を連れた三浦先生から花火師を紹介してもらい、一発の花火を打ちあげてもらう。典道は下から、祐介達は横から花火を見ることができた。

使われている楽曲は、全曲REMEDIOS(麗美の別名義)によってこの作品のために書き下ろされている。

この作品の撮影はプロデューサーの原田泉がこのドラマのプロットを読み、この町以外にないと断言した千葉県海上郡飯岡町(現在の旭市)で実際に行われた。また、ロケは飯岡町以外に千葉県海上郡海上町(現在の旭市)、旭市の隣の市である銚子市でも行われており、子供たちが通う小学校は銚子市立豊岡小学校で当地の生徒をエキストラに撮影された。

特に、典道となずなが電車を待つシーンで使われた飯岡駅、典道の自宅として使われた釣具店などは、放送後数年間に渡り、この作品のファンが訪れる姿が見られたという。この地は、この作品の大ファンである山崎貴が監督して2000年に公開された映画『ジュブナイル』の舞台にも使用された。

(この項、「Wikipedia」より)

ちばてつや 「あしたのジョー」・矢吹丈。

※敗戦後、中国・満州から引き揚げてきた、ちばてつやの父親の故郷が飯岡町だった。

東京山谷ドヤ街に、ふらりと一人の少年が現われた。矢吹丈ジョー)と名乗るその少年に一方的に叩きのめされたアル中の元ボクサー・丹下段平は、ジョーと地元暴力団・鬼姫会の連中との乱闘から天性のボクシングセンスを見いだし、一流のボクサーに仕立て上げようと口説き始める。しかしジョーは、自分に向けられる段平の情熱を利用し、小遣いをもらってはドヤ街の子供たちを引き連れて乱行を繰り広げた揚げ句、犯罪にも手を染め、警察に逮捕されて少年鑑別所へと送られてしまった。

そんなジョー宛てに段平から「あしたのために」の書き出しで始まるハガキが届いた。その内容は、左ジャブの打ち方から始まるボクシング技術の講義であった。時間と体力を持て余していたジョーは、そのアドバイスに従ってボクシングの練習に身を入れるようになり、やがて自分のパンチの切れが、今までと比べものにならないほど向上していくのを実感する。

鑑別所から西寛一と共に野菊島の東光特等少年院へ移されたジョーは、豚小屋掃除の際に、西の提案で豚たちを暴れさせ脱走を試みた。しかし、ライバル・力石徹にその邪魔をされてコテンパンに叩きのめされた。その後、小馬鹿にしていた青山とのボクシング対戦で防御法を身に着けたものの、宿命の対決が再戦されないまま力石は先に少年院を出た。遅れて少年院を出たジョーはなんとかプロボクサーライセンスを取り、強引な手腕でウルフ金串との対戦を実現させて、フェザー級からバンタム級へ転向した力石との対戦をも実現する。

減量による力石の変わりようは見られたものではなかったが、激闘の末にジョーは敗れた。しかし、勝った力石は減量の無理がたたって試合終了後に倒れ、そのまま死亡する。力石を死なせたショックで対戦相手の顔面を打てずに満足な試合を行えなくなったジョーは、それでもボクシングを捨て去ることなく、ドサ回りのボクサーに身を落とし罵声を浴びながらも試合を続けるのだった。

ボクシングに対する苦悩の末、強敵カーロスとのスパーリングで顔面を打てないという後遺症を乗り越えて復帰を果たし、本格的にボクシングの道へと足を踏み入れることとなったジョーは、金竜飛ハリマオとの対戦を経て遂に、世界チャンピオンの座を賭け最強のボクサー・ホセ・メンドーサとの闘いに挑んだ。

しかし、パンチドランカーに冒されていたジョーは、善戦むなしくホセに判定負けを喫して敗れ去ってしまう。試合後、ジョーはグローブ葉子に手渡した。灰のように真っ白に燃え尽きたジョー。しかし、その顔には満足げな微笑みがあった。

(この項、「Wikipedia」より)

ということで、けっこう話題が豊富の岬です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その2。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-25 18:33:32 | 銚子往還

飯岡漁港付近の今昔。

      

(1880年代)銚子港への道は、飯岡村(飯岡漁港)を抜けて、北東に向かいます。  

        

(現在)飯岡漁港付近は港湾施設が整備され、道筋は変化していますが、東側には旧道が残っています。

刑部灯台を望む。

 

釣り船が出航。 

           

灯台の方へ向かいます。

この道はかつての往還道。現在は、遊歩道になっています。

山を回り込みながら進む。

右に「海津見神社」。

                 通称「永井の妙見様」。 

急な石段を上っていきます。

坂道を振り返る。かつての往還道になっている。

50mほどの高さを一気に上がり、

                 灯台に向かう舗装道路に出ます。

 

銚子に向かう旧道はここから台地の縁を東に進みますが、次回に回すことにして、刑部灯台に向かいます。

この付近の今昔。  

        (1880年代)            (現在)〇が分岐点。

灯台への上り坂を行くと、絶景が待っていました。                               

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする