おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。その8。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

2023-07-31 18:38:05 | ローカル鉄道

広がる田園風景。

「鹿島旭」。

一面、サツマイモ畑が広がる。この付近は、サツマイモの産地。

茨城産「芋甘納豆」。別の機会にセットで購入。たいへん美味しい。

車外は、暑そう。

           

車内は、部活帰りの高校生でいっぱい。

空はますます高く、青く。

右側に水面が見えています。

一面の田んぼ。

「北浦湖畔」。※一駅前の「新鉾田」も大きな駅です。

「大洋」。「大洋村」。

※息子の高校時代の友人の家族がここに別荘を持っていて、何度か車で出かけたことがあったようです。現在、「大洋村」という地名は無く、大洋村は平成17年(2005)に鉾田町、旭村と合併し、鉾田市となっています。

息子が行っていた頃から20年近く経った別荘地は、今。

「Wikipedia」によると、

バブル期には乱開発により小規模な別荘地が続々と造成され、鉾田市が2018年に行った調査では鉾田市内の空き家の内、約8割が旧大洋村に集中していたが、その数約2700戸であった。昭和期に鹿嶋市は「鹿嶋開発」という名の工業用地としての開発が進んだが、事業用地の展開を見込んだ東京の不動産業者によって隣接する大洋村でも多くの山林が買われた。その後、開発は大洋村までは到達せず、別荘地として開発された経緯がある。こうした別荘地は、主にターゲットを週末を利用する都内のサラリーマンに的を絞っていた関係で土地も小規模で、建物も貧弱であったため、その後、放置される物件が多くなり、現状は放置された建物から建具が盗まれるなど治安も悪化し荒廃している

茨城県鉾田市。ここにかつて存在した「大洋村」では、バブル期に小規模な別荘地が乱開発された。しかし、現在その多くは空き家になり、中には既に崩壊した別荘もあるという。「限界別荘地」で今、何が起こっているのか?「限界ニュータウン探訪記」でおなじみ、吉川祐介さんと共に潜入、実態に迫る。(「youtube」より)

           

                    

            

                     現状。

それでも生活を楽しんでいる方も。 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/85/e219fe9196cd8999aa154f4cb18e9fa4.png">

※新型コロナ禍によって、田舎暮らしが見直され、状況に変化もあるようですが。          

みんなはどこまで乗るのだろう?

まっすぐ進む線路(振り返る)

「鹿島灘(かしまなだ)」。

            使わていない線路。

日本一長い駅名。

          「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまええき)」。

同駅が日本一の称号を手に入れてからわずか2年後、1992年に誕生した熊本県の南阿蘇鉄道南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が誕生し、日本一の座を二分する形となりました。また、島根県の一畑電車の北松江線古江駅が「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」に改称するなど、一時は日本一の座を明け渡すこともありました。しかしその後、「松江イングリッシュガーデン前駅」へと改称したことで、「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」は再び日本一長い名前の駅へと返り咲いたのです。表記上では熊本県に一文字差で短いですが、読み仮名は22文字と同数のため、日本一の称号を二分することになっています。

駅の近くには市営公園「大野潮騒はまなす公園」があり、360度のパノラマが楽しめる宇宙展望台やジャンボすべり台などがあり、観光名所となっています。

(この項、「」HPより)

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ローカル私鉄の旅。その7。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

2023-07-30 13:42:36 | ローカル鉄道

「大洗駅」に到着。

この駅。この路線の中では、大きな駅。いろいろな車両が停まっています。

        

水戸から大洗までは、けっこう列車が出ています。

海水浴シーズンですが、平日のせいか、降りる人はほとんどいません。

広大な砂浜に覆われた遠浅のビーチ。
海水浴場はユニバーサルビーチとしても有名。夏の海水浴はもちろん、サーフィンなどのマリンスポーツも楽しめます。

(「よかっぺ大洗ー大洗観光協会ー」HPより)

※奥に見える船は三井商船「サンフラワー号」。大洗から北海道・苫小牧を結ぶフェリー。

         

また、「アクアワールド大洗水族館」があります。

 

     

                            (「」HPより)

ここで、30分以上停車。その事情を運転士や駅員さんが何やら説明しますが、ちょっと判読不明。上り列車が到着しないらしい、いや大洗駅構内での点検作業? 

乗客の皆さんは、悠然としている感じ。

運転士さんも、しばし列車から離れて、

都内の電車では考えられない、のんびりムード。

    駅弁の広告。

やっと出発! 11:45。

             奥に見えるのは、「大洗マリンタワー」。

部活帰りの高校生がたくさん。

海岸線は望めず。

「涸沼(ひぬま)」。

遠くにチラッと。

                                          (「歴史的農業環境閲覧システム」より)

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ローカル私鉄の旅。その6。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」。「JR鹿島線」

2023-07-29 13:18:38 | ローカル鉄道

7月28日(金)快晴。

今回は、JR水戸駅から出ている「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」の旅。

JR「北千住」から常磐線で「水戸」まで、約2時間。

「鹿島神宮駅」からは、JR「鹿島線」(まだ乗ったことがなかった。)で佐原駅まで。そこから成田線で成田まで行き、京成線に乗り換える予定。北千住から水戸・大洗を通って、佐原・成田、京成とぐるっと回ってくる感じ。

※JR鹿島線は「鹿島サッカースタジアム」まで乗り入れて、パスモなどICカードが使えます。一方、「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」は、ICカードが使えず、現金で。

従って、「鹿島サッカースタジアム」から「鹿島神宮」まではJRの有人駅でカード精算というかたちになります。

水戸から鹿島神宮までは、片道1,400円。「鹿島サッカースタジアム」から「鹿島神宮」間はICカードで189円。

         一両編成の気動車でワンマンカー。単線。

沿線案内図。

  

水戸 - 大洗間

水戸の近郊エリアとして通勤・通学や、水族館(アクアワールド・大洗)や大洗マリンタワー大洗サンビーチ大洗シーサイドステーションといったマリンレジャースポットが多数点在する大洗へのアクセスに利用される。

この区間の運転本数は1時間に2 - 3本ほどあり、第三セクターの地方鉄道線としては比較的列車密度が高い。水戸 - 大洗間の区間列車が約半数を占めており、旅客輸送において大洗駅は重要な拠点駅となっている。

大洗 - 新鉾田間

この区間は鹿島灘の海岸線に沿って進むが、5kmほど距離を置いて走行するため、車窓から太平洋が映る区間はない。農地が続く平地を直線状に路線が敷かれ、駅間距離も5kmほどと長いために、ローカル線の気動車ながら走行速度は高い。大洗より南は、列車本数は1時間に1本ほどと少なくなる。特に概ね9時台から13時台は2時間に1本と間隔が大きく開く。

新鉾田駅は途中駅としては大洗駅に次いで利用者数が多く、大洗鹿島線における拠点駅の一つである。大洗鹿島線の開通によって、鉾田市(開通当時は鉾田町)から水戸市までの移動時間が大幅に短縮された。鉾田市には鹿島鉄道(旧関東鉄道鉾田線、2007年廃止)の鉾田駅があり、鉾田市にとっては大洗鹿島線は初めての鉄道路線ではなかったが、開通時は大洗町と同様に地元からの歓迎を受けた。大洗鹿島線の新鉾田駅と鹿島鉄道の鉾田駅(現在はバスターミナルのみ存続)は、道のりで2kmほど離れている。

新鉾田 - 鹿島サッカースタジアム間

北浦と鹿島灘の間を走行し、大洋 - 鹿島サッカースタジアム間は鹿島灘の沿岸から2kmほどの距離を置いて走行する。

大洗鹿島線の終点は鹿島サッカースタジアム駅だが、カシマサッカースタジアムでの試合開催日以外は旅客営業を行なわないため通過する臨時駅である。大洋 - 鹿島サッカースタジアム間は、県道242号と並行する。

鹿島サッカースタジアム - 鹿島神宮間は東日本旅客鉄道(JR東日本)鹿島線に乗り入れる。

(この項、「Wikipedia」より)

JR水戸駅構内。

上記にもあるように、乗客は地元の高校生など、地元密着型の路線という雰囲気。

観光客が多かった「いすみ鉄道」とは、かなり趣を異にする印象です。

夏休み期間中で平日の午前中の時間帯だったので、空いているが、学校がある時や通勤時間帯はけっこう混んでいそうな。

しばらくは高架線が続く。「那珂川」に合流する「桜川」。

      

            

東水戸駅。上りが到着しないので、しばらく停車。

          乗客は皆さん落ち着いた雰囲気。

水戸駅方向を振り返る。

しばらくすると、田園風景が広がってきます。

右は「東水戸高速道路」。         

             奥には那珂川に架かる「新那珂川大橋」。橋長533mの斜張橋。

             (「ものつくり大学」HPより)

踏切がない高架なので、けっこう速度が早い感じ。

  景色は抜群。

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ローカル私鉄の旅。その5。小湊鐵道・いすみ鉄道。

2023-07-28 18:56:47 | ローカル鉄道

遠ざかる「大多喜城」(中央奥)。

                        

 「国吉駅」に着くと、駅弁などを売るおやじさんたちが入ってきます。

・・・

急行列車が到着するとホームから「べんとぉ〜べんとぉ〜」の声が。

ここではいすみ鉄道応援団の皆さんによる、駅弁の立ち売りが行われているのです。昭和時代の駅では当たり前だった光景。まさにタイムスリップした気分です。

「国吉駅」で発売されている駅弁は「いすみのたこめし」。

古くから蛸つぼ漁が行われてきたこの辺りでは「たこめし」が漁師のまかない飯だったそう。コリコリ食感のたこの身がたっぷり。たこの味もご飯にしっかり染み込んでいます。

おかずには、房総半島の郷土料理「なめろう」を焼いた「さんが焼き」。魚のハンバーグみたいな味と食感ですが、大葉の風味がいい感じに効いています。美味しかった!

皆さんもぜひ、駅弁を片手に昭和レトロな急行列車の旅を楽しんでみては!

(この項、「」HPより)

※土日は普通列車でもはんばいしているようです。けっこう「たこめし」や「ポップコーン」を販売、けっこう乗客も購入しています。当方もポップコーンを孫へのお土産に購入しました。

シールは、「大原駅」でもらいました。

終わって帰るとき、乗客に声を掛け、一本締めを乗客ぐるみで。

楽しいひと時でした。

心なしか海岸に近づいてきたような。    

「大原駅」に到着。

         右がJR大原駅、左がいすみ鉄道「大原駅」。帰りは、JR線で帰る予定です。

せっかくですので、大原漁港に行ってみます。

               

漁を終えた小型漁船がたくさん。          

「イセエビ・地だこ」。

JR外房線。

             「大原駅」。

戻るといすみ鉄道の列車。

途中、動画で車窓からの風景のビデオを撮りましたが、そのうち何枚か掲載します。

 

   

   

                 

  

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ローカル私鉄の旅。その4。小湊鐵道・いすみ鉄道。

2023-07-27 18:36:59 | ローカル鉄道

「いすみ鉄道」車内風景。鉄印章が登場」。

            ワンマンバスと同じで、運転席横に出入口があり、清算します。

車外は緑がいっぱい。

             

山深い丘陵地帯が続く。

トーベ・ヤンソンが描くムーミン谷は、山や森、川などの自然に囲まれたのどかで平和な場所。いすみ鉄道も、そんなムーミン谷のようなのどかで美しい風景の中を走ります。いすみ鉄道に乗る際はスマホから目を離し、のんびりと窓の外を眺めてみてはいかがでしょう。豊かな自然が心をほっと癒してくれるはずです。(「いすみ鉄道」HPより)

※かつて運行していた「ムーミン列車」はなくなりました。

山間の風景。

「三育学院大学 久我原」駅。

※「三育学院大学」=看護学部を設置する大学。大多喜町の「久我原キャンパス」と「東京校舎」がある。

      (「同大学」HPより)

いすみ鉄道の駅名には、サブ名が付いています。企業等が協賛している「命名権」のようです。

例:「GSK総元」。GSKとは後藤設備工業の略称で愛媛県松山市に本社、香川県高松市に支店を構える空調・電気設備工事関係の企業。

  「サンテック新田野」。「サンテック」は、総合設備エンジニアリング企業。

周囲が開けてきます。

            

大多喜駅に到着です。

             

鉄道ファンには旧型車両がいまだ現役なのが垂涎の的。

             「奥房総」           

  

大多喜駅。沿線随一の大きな駅。

                             下り線ホーム(上総中野方面)。                                              

この駅名は、「デンタルサポート 大多喜」。

当駅は命名権(ネーミングライツ)により、千葉県内の訪問歯科であるデンタルサポート株式会社が命名権を取得しており、2009年平成21年)9月よりデンタルサポートを冠した愛称が付与され、各種表記に反映されている。当初は1年の契約であったが、さらに契約が延長された。(「Wikipedia」より)

※かつて「デンタルサポート大多喜駅」から「大原駅」の区間で、いすみ鉄道車内にてデンタルサポート株式会社 総合研究所の歯科衛生士による「口腔ケアセミナー」を開催したようです。

「正しい歯磨きの方法、お口のケアの方法、嚥下(えんげ、「飲み下す」の意)体操など、健康のための口腔ケアをいすみ鉄道に乗りながら楽しく学びましょう! 」というコンセプトでした。

大多喜とは

大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏安房里見氏がこの地方で衝突していた。小田喜根古屋城1544年天文13年)武田氏から里見氏の武将正木時茂が取って代わり、里見氏の支配を受けた。1590年天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えてを整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年元禄16年)から松平氏が9代続いたが、大多喜地域の大部分が他藩領、旗本知行地として支配を受けた。明治維新により大多喜県木更津県千葉県と行政区画が変遷し1889年(明治22年)老川村西畑村総元村上瀑村、旧・大多喜町が誕生した。

1935年(昭和10年)5月、大多喜町で建設が進められていた宮田製作所の自転車工場が一部完成。フレームの生産等を始める。工場の動力は地域産の天然ガスが使用された。大多喜地域は次第に衰退し財政力が豊かではなかった。そこで、町村規模の適正化、福祉の推進、地方自治の発展、行財政の強化のため旧5町村が町村合併促進法により合併し、現在の大多喜町が誕生した。

            大多喜城。(「Wikipedia」より)

  

  観光案内図。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/58/f281750cbc628989d56ca439c0156bb5.jpg">「上総中野」行きが出発。

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