おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その8。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-31 18:44:08 | 房総東往還

この付近から「伊南房州通往還」(旧道)のようです。

       

この先で国道128号を横断します。

「助八そば鴨川店」。

海から離れた道を進みます。左奥に水平線。

静かでのどかな田園風景。

右手に山が迫る。

この地域は、純農村地域? 

        新興住宅地の雰囲気も。

振り返る。

この道が、かつては主要道であったことがわかります。

                              水準点(15.5)。

旧家の趣のおうち。

集落に入っていきます。

木造の素敵なおうち。

「←180m江見海岸」。

             海岸方向。

この付近の今昔。

                             (現在)国道128号線(赤線)が東西に直線で延びる。

                             (1880年代)東側にずれがある。岩場続きの海岸。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-30 18:14:33 | 房総東往還

この先、内房線と国道128号を陸橋で越えていきます。

スイセン。

            

内房線。「」方向。

振り返る。

左奥に内房線「山生(やもうめ)橋梁」。

途中、露出した岩に、貝の化石の跡があります。※剥がれた部分に貝。

この先、旧道は右に折れて進みますが、右折せずにそのまま歩いてしまいました。

この付近の今昔。

                             (1880年代)太線が「伊南房州通往還」。直角に曲がる道筋。

                             (現在)赤い線が国道128号。現在の旧道は複雑に進む。

※「江見太夫崎」は町村合併で付けられたもので、もともとは、「太夫﨑(村)」であった。                           

そして、

「道の駅 鴨川オーシャンパーク」脇へ。

     旧道は、この施設の向こう側、海側を進んでいきます。

旧道方向。

ユニークな建物。

鴨川オーシャンパークは、南房総の観光の主要幹線となる国道128号線沿いにあり、鴨川のとれたての海の幸、山の幸を販売する物産館や、昔の磯を再現した千年磯、青空市場、休憩所などがあります。鴨川オーシャンパークは、文字通り豊かな自然や温暖な気候に育まれた鴨川の魅力である「海」と「花」を基本テーマにしています。
 ここは、訪れる人々に憩いとやすらぎのひとときをつくる観光拠点づくりを目指すとともに、地場産業や文化、芸術分野との連携を図ることで地域の総合的な活性化と交流の場を目的とした海浜型リゾートパークです。

(この項、「」HPより)

そのまま「国道128号」を歩くことに。

右側の橋は? 名馬川に架かる橋。

         ※「国道128号」の旧道の一部だと思われますが。

「太夫崎漁港」。

バス停「名馬橋」。

この地名も頼朝伝説にちなみます。そこで、まとめて。

源頼朝と鴨川

  • 治承4(1180)年、伊豆で反平家の兵を挙げた源 頼朝は、相模(サガミ)の石橋山の戦いに敗れて、真名鶴岬(マナヅルミサキ)(現神奈川県真鶴)から小舟で逃れ、安房国平北(ヘイホク)郡猟島(現鋸南町(キョナンマチ)竜島)に上陸して再挙を図ったという史実は、良く知られています。
  • 猟島に上陸したのが8月29日(旧暦)のことで、それから9月13日までの14日間、安房に留まり、安房、上総の武士団を集め、13日に安房を出立して上総に向かったといいます。
  • この14日間の安房に於ける頼朝の行動に関連して、頼朝にまつわる話がいくつか市内に伝えられています。
  1. 一戦場 =頼朝が安房に上陸した4日後の9月3日のたそがれ時に、平氏に心を寄せていた当地の住人、長狭六郎常伴(ナガサロクロウツネトモ)は、頼朝を討とうと企て、宿所を襲ったが、頼朝の従者、三浦義澄(ミウラヨシズミ)らに討ち取られたといいます。この戦いがどこで行われたか明らかではありませんが、市内貝渚(カイスカ)に「一戦場(イッセンバ)」という地名があり、その場所とする伝承があります。
  2. 仁右衛門島 =石橋山の戦いに敗れた頼朝は、わずかの兵を引き連れて波太(ナブト)(現鴨川市太海浜(フトミハマ))の仁右衛門島(ニエモンジマ)に上陸しました。島主の仁右衛門は、頼朝一行を厚くもてなし、その再挙を助けました。喜んだ頼朝は、仁右衛門に「平野(ヒラノ)」の姓と島周辺の漁業権を与えたといいます。
  3. 名馬太夫黒 =頼朝が再挙を図って太夫崎(タユウザキ)(現鴨川市江見(エミ)太夫崎)まで来た時に、たまたま岩に蹄の跡(馬蹄石)を見つけました。このあたりに良い馬がいるのではないかと捜したところ、近くの洞穴で黒い毛並みの立派な馬を見つけました。そこで地名を採って、この馬に「太夫黒(タユウグロ)」と名を付け、頼朝の乗馬となりました。後に、磨墨(スルスミ)と呼ばれました。洞穴の前を流れる小川を「名馬川(メイバガワ)」といいます。
  4. 旗かけ松 =頼朝は、安房から上総に兵を進めるため、東条広場(現鴨川市広場)の松崎(マツザキ)(待崎(マッサキ))に至り、傍らの松に源氏の白旗を掲げて上総介平広常(カズサノスケタイラノヒロツネ)の到着を待ったところから、この名があるといわれています。
    この松はその後、天保(テンポウ)の旱魃(カンバツ)で枯れたので松のあった所に石碑を建てました。石碑の正面に「頼朝公旗掛松(ヨリトモコウハタカケマツ)」、裏面に「文久2年秋9月これを建てる」と刻まれています。

(この項、「」HPより)

旧道方向へ進みます。

             ※この道は旧道(「伊南房州通往還」)ではないようです。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-29 18:35:36 | 房総東往還

浅間宮の常夜燈。

左はツナツリ(綱吊り)で、昔はここに大きな「綱吊りの松」があり、この先の「天面(あまつら)村」への悪病・悪霊などの侵入を防いでいたという。

※「綱吊り」=「道切り」

道切り
疫病が流行らないように行うところが一般的ですが、災いを封じると豊作になるという考えから、五穀豊穣を願って道切りを行うところもあります。正月から2月にかけて多く行われます。疫病神は道を通ってやってやってくると考えられていたので、むらの出入り口にあたる道で行われました。
藁の大蛇(市川市国府台 辻切り)
わらの大蛇
(市川市国府台 辻切り)
しめ縄・手桶・サイコロ・蛸(飯岡町三川浜 辻切り)
しめ縄・手桶・サイコロ・蛸
(飯岡町三川浜 辻切り)
男女一対の武者人形(君津市大坂鴨畑 人形だんご)
男女一対の武者人形
(君津市大坂鴨畑 人形だんご)
大草履(富津市関尻 綱つり)
大草履
(富津市関尻 綱つり)
千葉県「道切り」分布図
道切りの形は、百足や蛇や龍の形をした太綱をむら境の木に掛けるタイプや、綱を道を横切るようにわたし、男女一対の人形や蛸や海老、草履など様々なものを吊り下げるタイプ、また鹿島人形やお札を立てるタイプなどがあります。

(この項、「」HPより)

左下の道路には、

「高波注意」。

         

集落に入ります。

           

掲示板「はば採り解禁日・・・」 「はば」って何?

ハバノリ

藻綱カヤモノリ目カヤモノリ科セイヨウハバノリ属に分類される一年生の海藻である。(「Wikipedia」より)

 

生態系も海苔と同じように、秋頃になると胞子を出して、晩秋に発芽し、冬から春の海水温が冷たい時期に生育します。

日本の全域の沿岸の岩場で自然に生育しており、千葉県では岩場が多い勝浦・鴨川・南房総や銚子方面などで採取されることが多いようです。岩海苔と間違えられることも多いようですが、正確には「岩コンブ」ですね。

はばのりは数日間天日干しされて乾燥し、このように販売されています。

形は少し縦長の大きい海苔のように見えますが、焼いていない状態です。

炙って揉むと少し深い緑色になってバラバラに崩れやすくなりますので鰹節を一緒に入れてお雑煮に入れて一緒に食べる。

これが千葉県東部地域、特に山武地域から市原あたり(さんぶちいき=九十九里から東金)の習わしで、年越し・年始の郷土料理として昔から親しまれています。

※静岡県の下田・熱海などの三浦半島方面でも食す文化があるようです。


出典:農林水産省Webサイト

これは自身のまたはその家の成長を祈願して、1年中「ハバ」をきかせる=幅を利かせる と、ゲンを担いだ縁起物としてありがたくいただくわけです。

ハバノリ自体はもともと、海辺の村人などが板海苔の代用品としてハバノリを刻み海苔状に薄く梳きそれを板状に乾燥させて自家用として食べていたものだそうで、とても素朴な海産物でした。現代に流通しているハバノリもそうなのですが、穴や形状は通常の黒い海苔と比べるとだいぶデコボコで穴だらけのイメージではあります。

なんと、1枚あたり1000円から2000円程度が一般流通での平均相場です。

どんなお味なの?

味、気になりますよね。

ちょっと塩っぱい薄い昆布を食べているような感じです。

と、まぁコンブの仲間を薄く梳いて作っているのだから当たり前なのですが…

私も千葉県民(市川市生まれ/市川育ち)でありますが、父も母も東京生まれ下町育ちでしたもので、鶏だしのシンプルな澄んだ色のお雑煮で育ちました。

ハバのりも食卓で食べる機会は何度もあって、当店で商品として取り扱うようになってからは特に食べるようになりました。

ちょっと炙って食べるとこれはまさに「海のおつまみ」って感じで、コンブはなかなかそのままでは硬くて食べれないので海をそのまま味わってるって気分。

うん、美味しいんです。

お雑煮だけではなくて、ご飯にかけて食べる なんて方もいらっしゃるそうで。
一度やってみましたがちょっと塩気が多かったけど美味しかったですね。

※「糸青のり」を、はばのりのかさましで入れるご家庭も多くあります。これも香りがよくて美味しいんです。

いくらくらい?どこで買ったら良いの?

海岸上は漁業権がありますので勝手に採取するわけには行かず、養殖も行われていませんので生産量も限られております(年に12月・1月の2回の入札のみと聞いています)。

また今ではハバノリを冬の間に採取する方も非常に少ないため、現地での販売も1枚で1000円前後と非常に高値で取引されております。

長年、召し上がってらっしゃるお客様は「今年の新物はないんですか?」とお問い合わせをいただくことがありますが、新物を年内のうちに入手するのは相当困難かと思います。

海苔と同じように入札制度がございまして、それが12月中頃から終わり頃に行われてそれから袋詰めされて出荷されますから、基本的には年内に一般的に出回るほとんどのハバノリは、採取地である勝浦・鴨川・南房総の海産問屋さんなどから入手されるか、直接伺ってご購入されるかしか方法はないかと思います。

当店で販売しているハバノリは基本的にその年の1月に採れた春物(春はば)になります。これはどの海産問屋さん・海苔屋さんに聞かれても同じようなご回答になるかと思います。

数も多くはなく稀少なものでございまして、毎年のことではございますが価格は不安定でございますので、予めご了承ください。

また当店では毎年10月頃より仕入れ、12月末までに売切。もしくは1月くらいまで在庫があればネットショップのみ販売をしております。

(この項、「美味しいお海苔といえば! 築地 伊藤海苔店 」HPより)

「国道128号」に合流します。

バス停「天面(あまつら)海岸」。

国道を離れ、内房線踏切へ。

「江一号踏切」。

江見駅方向。

「外房黒潮ライン(国道128号)房州大橋」。

右に見える内房線「山生橋梁(やもうめきょうりょう)」は歴史的に貴重な建造物として2012年「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。
山生橋梁は海の上にあることから鉄橋ではなく、国内初の鉄筋コンクリートT型梁形式の橋として大正13年(1924年)に建設されました。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-27 13:47:57 | 房総東往還

この先で、右からくる「国道128号」に合流します。

その先、「房総鴨川温泉 是空-ZEKUU-」。

                             おしゃれなホテル。

              

海の絶景を目の前に究極の癒し体験“海旅”を叶える
都心から東京湾アクアライン経由で車を走らせること約1時間半、千葉県鴨川の荒磯に寄り添うように造られた湯宿。この地屈指のオーシャンビューが魅力だ。完全プライベート空間の貸切露天風呂など、館内のあらゆる場所から、海の壮大なパノラマを間近で見渡せる。もちろん、すべての部屋からもこの唯一無二の景色を満喫。なかでも、是空棟に設えられた半露天風呂付きの客室が好評だ。“密”を避けた“おこもりステイ”にも最適。是空でしか味わうことのできない究極の“海旅”を体験したい。(「旅色」HPより)
 
振り返る。
            岸壁上に建つのは、「是空」。
 
国道から右の坂道へ。
                 
                
 
地層が露出しています。
 
海に向かって下っていきます。
 
その途中にある「璃庵」。
水天一碧 
 
             

多くの文人墨客に愛されてきた房総屈指の景勝地、鴨川・太海海岸。
紺碧の海と空が邂逅するこの海辺に鴨川温泉「璃庵」は佇んでいます。
眼前に広がる瑠璃色の情景をプライベートに愉しみながら、贅を尽くした美食と温泉のひとときをお過ごしいただけます。

(この項、「璃庵」HPより)

遠くに海が広がる。
 
              
 
穴の空いた岩が石垣の一部にはめ込まれています。鯛の浦で見つけた岩と同じ?
 
         
 
右手、西院の河原地蔵堂付近から。
 
関東では珍しい賽の河原。岸壁に建てられた堂内には無数のお地蔵様が祀られている。
 
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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-26 18:31:27 | 房総東往還

バス停「仁右衛門島入口」。

左折し、仁右衛門島へ向かいます。

仁右衛門島(にえもんじま)

千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある。全島砂岩よりなる周囲約4kmの島で、千葉県では最も大きな島かつ唯一の有人島である。源頼朝日蓮伝説で知られ、個人所有ではあるが千葉県指定名勝となっているほか、新日本百景にも選ばれている。

島主である平野仁右衛門の名に因み、この名前になったといわれている。夏涼しく冬暖かい風光明媚な自然の楽園。金銀針茄子(キンギンハリナス)という珍しい植物もみられる。島の南側は荒々しい海岸線がみられ、自然の防波堤の役割も果たしている。

《伝説》

代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目。治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられ、現在に至るまで平野仁右衛門一族がこの島を守り伝えている。島の東部には、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟や、日蓮が朝日を拝したと伝えられる神楽岩があり、正一位福女稲荷大明神が祀られている。現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたとされたもので、観光客に公開されている。

《植生》

涼しく暖かく、四季を通じて植生が豊かでが咲き乱れる。特にキンギンナスビ(金銀針茄子)という珍しい植物をはじめ、イソギクハマカンゾウなどの海浜植物、ソテツなどの暖地性植物も豊富に見られる

(この項、「Wikipedia」より)

「仁右衛門島」全景。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)

                             (現在)

漁港として活気のある雰囲気。

                通りには、漁師小屋などが並んでいます。背後には住宅が。

対岸に「仁右衛門島」。

              

北方向。

島への渡し船は運行していないようなので、しばらく眺めて戻ります。

途中で、網の中の干物、カマスのようです。

漁港のはずれにある奇岩と、その上に立つ祠。

                           「龍宮様」。

県道に戻って先に進みます。左下に、

                         「太海フラワーセンター(植物園)」(廃園)。

太海フラワー磯釣りセンター(ふとみフラワーいそづりセンター)

千葉県鴨川市太海浜67番地に位置している観光施設。かつては植物園釣り施設があり、花と海と動物の楽園をコンセプトにしていたが、植物園は閉園となり2023年現在は釣り施設のみの営業となっている。

太平洋に近接し、温暖な気候に恵まれている太海の漁村に面する。特に春は観光客が多く訪れ賑わっていた。

江見町町営の施設として1965年10月に開園。2018年12月31日をもって休園(事実上の閉園)。2021年時点で、セントラルハウス、温室棟は老朽化により大変危険な状況となっており、建物周辺は立入禁止となっている

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