夏、花火

2013-07-27 00:11:45 | 日記
夏、エリア紙に花火大会の案内がのっている。遠いところもあるが、うーん、いっぱいある!という感じ。いちばん近いのは、もちろん宇治川の花火大会、8月9日。今年はどうしたらいいだろう。ここ数年は、ひとりでふらっと出かける、という感じ。夕方、「今日、私は元気」ならば、花火の近くまで行く。「ダメな状態」ならば、家の近くの小さな花火で我慢する。一人で花火とは、淋しい女をしている、と思う。でも、その日の気分がわからないので、人と約束するのはイヤ。今年はどうしようかな。花火、私は大好き。本当はやはり、花火の真下、上から光が降ってくるようなところで見たい。でも、人混みが…。去年も、家の近くの見えるところにあたふたと、行ったっけ。もう、花火なんか見なくてもいい、と家に居たのだけれども。家族連れや、友だちどうし来ている中で見た。「見にきてよかった、楽しかった」よ。だから、今年も花火、見にいくのだろうな。一人で見たけど、幸せ。前は子どもと一緒だったとか、よその花火を見たときは、電車が混んでた、とか。夕立の後は時間短縮で、あっという間の連発だったとか、いろいろなことを思いす出すことができるから。いつも思い出すのは、いつだろうか?母と河原の草の上にナイロンのシートをひいて並んで座り、花火を見上げたこと。花火の間になると、私は近く草をむしってた。そして、何故だろう、売り子さんからアイスクリームを買って食べたような気がする、暑い夏の風が吹いていた。


かき氷

2013-07-26 06:35:02 | 日記
朝は、セミの合唱。セミの声は、夏らしくていいですね。娘が「ウチにかき氷器あったっけ?」と私に聞きました。つい、「何するの?」と言ってしまい、娘はプンプン。かき氷か…。あるはずだけど…。娘は探してくれるでしょうか?なんだか私も食べたくなりました。そうそう、あのかき氷はとてもおいしかったです。姑となった人が「暑いし、どうぞ。」と言ってくれたガラス小鉢にのせたスイカの上のかき氷。お砂糖を少しかけてくれて、勧めてくれました。美味しかったなぁ。私は小さなとき、かき氷といえば、あのシロップがけしか知らなかった。選択肢は、3つ。イチゴかメロンか蜜(白の透明)。そして、いつしか、かき氷を家で食べなくなった。(大人になった)時が経ち、あのスイカの上にのかき氷は、たぶん私にとって、道を一緒にする人と食べた夏の思い出の味。

ホオズキ(鬼灯)

2013-07-24 23:54:22 | 日記
ほおずき見つけた。ホオズキ、いいえ、鬼灯でしょうか?この赤いランタン下げるのは、やはり子鬼さんですか?以前、私が住んでいた家の窓の下には、ほおずきがあった。白い花が咲き、ふと気づけば赤い実を付けていた。丸い袋の中にある種を、袋を破らないよう取り出して、ホオズキを笛のように息を吹き込み鳴らそうとしても、中の種を取り出すことは難しい。直ぐ端が破れ、また再度挑戦、ということになった。小さな私に友だちは、ホオズキをどうしたら鳴らせるか、言ってくれても、私は分からず、人がならすのを羨ましく見ていた。ホオズキのその実は、だいだい色でうつくしく、かわいいテルテル坊主のようだった。揺れて、揺れて、鬼灯。怖いような漢字で、夏に似合う。お化け屋敷も夏のもの。「お化け」は、どちらかというと、その場所に居るもの、「幽霊」は、思いを残して死んだ人が、それを伝えたいとさまよっているもの(なので、特定の人に対し姿を現す)。こんな区別?定義を見て、変に納得したことがある。鬼灯は、お化けによく合うかも。お化けと妖怪は、一緒かな?幽霊さんには会いたくないけど、お化けさんには会いたいかも。「人を怖がらせるには、どうしたらよいか?」は、とても魅力的な問いかけ。ワイワイとお化けさんは、互いにこの「(人を)怖いがらせ作戦」を一生懸命に考えてるのでしょうか?でも、ふと思います。人を怖がらせて、人が逃げたら、もう会えない。自分がおどかしたから、そうなったけど、お化けはそこに一人残される。(また、人が来ないかな、と人を待つ。何かひょうきんなお化けさんも、本当はいつも淋しい思いをしているのかもしれません。

蓮畑(その3)

2013-07-23 23:50:28 | 日記
そろそろ、蓮畑の蓮は、花盛りでしょうか?出かける機会がないのが残念です。学校も夏休みになり、セミの声は空から降るように、聞こえる夏。月曜日は土用の丑の日でした。ふと気づけば、スーパーの食料品売り場には、早くも盆菓子が並んでいる。何故でしょう?夏、 8月、という言葉が浮かぶとき、お盆(死んだ人が自分の親しかった人のところに帰ってくる時、戦争、死(生きることができなかった)ということを思うのは、私だけでしょうか?蓮は、お盆のお盛りものを載せる蓮の葉につながり、お盆という言葉は、何か静かな優しい思いを、私に思い出させてくれます。死者の国の食べものを食べなければ、人は迎えに行った人と共に、この世に戻ってくることができるのでしょうか?それとも、人は愛しい人と一緒でも、黄泉の国では生きられないのでしょうか?この世の生をともに過ごした人に会いたいと、心から願えば、その思いは叶えられるのでしょうか?「お盆」に、あなたは私のところに来てくれますか。

蓮畑(その2)

2013-07-22 23:11:58 | 日記
蓮畑で、小さなアマガエルくんに出会った。蓮の花は、もうすぐ見頃。この蓮畑の蓮は、たいてい、薄い桃色。この色が一番、よくある色なのでしようか。「蓮は、根は泥の中にあるが、美しい花を咲かす」(いくら根は泥にまみれようと、咲かす花は汚れない清らかな花)というような文章を見てから、ますます、蓮が好きになりました。仏の居ます蓮華座は、満開の蓮の花びらを表すのでしたっけ。その片手に、蓮のつぼみの茎を持つ如来もいらしたような気がする。
鑑賞用に鉢にある蓮は、確かにきれい。でも、この蓮畑の蓮は、大きな葉が水面から空に突き出ていて、力強く、濃い緑が太陽を取り合いするように、葉を広げている。蓮花も花咲こうとしている花、花びらが散ろうとしている花、あるいは、花の後の蓮の実となるもの、花は思い思い、自由に、空を抜け、その花を天上に向けている。「畑」の蓮、あるいは池にある蓮の自由な強さに、私は惹かれるのかもしれません。花も葉も、真っ直ぐ空に向かっている。蓮のように、強く、そしてただ清らかに生きることができれば、きっと幸せ。