夏、うりを煮る

2013-07-27 23:55:59 | 日記
本日の夕飯には、冷蔵庫に入れてある、昨日作った青うり煮がある。冷たくしとけば、おいしい。お揚げしかいれてないけども、夏の一品。おいしいのだけども、私にとって、何か心がざわめく。その夏、舅(しゅうと)どのが入院している間、姑がウチに泊まりに来た。姑と私の母はその間、おしゃべりをして仲よく過ごしていた。ある朝、私は二人が昼に食べたらいいとうりを煮た。「冷めたら、冷蔵庫に入れて召し上がれ」と、二人に言って出かけた。二人はその日も、いっぱいおしゃべりして過ごしたのだろうか?夕方、私が家に帰ったとき、鍋にあった青うり煮は、食べられることもなく、置かれて、そして傷んで食べられなくなっていた。鍋の中、全部捨てた。むろん、私は怒っていた。それから、数年経ち、母ははっきりと認知症であることがわかった。あの、うり煮を捨てたあの夏、私の母はすでにそうであったのだろうか?「(うり煮)そんなの知らん」と母は言った。でも、台所の流しに冷やしていたのだよ。もう、冷蔵庫にしまわないとわるくなってしまうこと、わからなくなっていたのかなぁ。私が気づかないだけだったのだろうか。


夏、花火

2013-07-27 00:11:45 | 日記
夏、エリア紙に花火大会の案内がのっている。遠いところもあるが、うーん、いっぱいある!という感じ。いちばん近いのは、もちろん宇治川の花火大会、8月9日。今年はどうしたらいいだろう。ここ数年は、ひとりでふらっと出かける、という感じ。夕方、「今日、私は元気」ならば、花火の近くまで行く。「ダメな状態」ならば、家の近くの小さな花火で我慢する。一人で花火とは、淋しい女をしている、と思う。でも、その日の気分がわからないので、人と約束するのはイヤ。今年はどうしようかな。花火、私は大好き。本当はやはり、花火の真下、上から光が降ってくるようなところで見たい。でも、人混みが…。去年も、家の近くの見えるところにあたふたと、行ったっけ。もう、花火なんか見なくてもいい、と家に居たのだけれども。家族連れや、友だちどうし来ている中で見た。「見にきてよかった、楽しかった」よ。だから、今年も花火、見にいくのだろうな。一人で見たけど、幸せ。前は子どもと一緒だったとか、よその花火を見たときは、電車が混んでた、とか。夕立の後は時間短縮で、あっという間の連発だったとか、いろいろなことを思いす出すことができるから。いつも思い出すのは、いつだろうか?母と河原の草の上にナイロンのシートをひいて並んで座り、花火を見上げたこと。花火の間になると、私は近く草をむしってた。そして、何故だろう、売り子さんからアイスクリームを買って食べたような気がする、暑い夏の風が吹いていた。