プリウスと風景

私にとっての「銀河鉄道」プリウスで旅へ、そして自由な思考表明をと考えています

秋篠寺 v2

2015年01月12日 | そうだ京都・奈良へ行こう
「もう12月もなかばを過ぎていたが、その日は太陽の光が春の陽だまりを

思わせるような1日であった。ぼくはふと、秋篠寺を訪ねてみたいという気持ちにとりつかれ

た。」


 こう書き始めるのは奈良本辰也氏の「古都古寺巡礼・秋篠の里を訪ねて」。

私も12月半ば過ぎの19日に訪ねたわけだけど奈良・秋篠寺へ行くまでずいぶんと年月がかかって

しまった。

というのはそれより前に見ておきたいお寺ほかがあまりに多かったからだ。

東大寺、正倉院、興福寺、元興寺、唐招提寺、薬師寺、法華寺、海龍王寺、平城京跡 東院庭園

などなど。

京都から西大寺までは1時間足らずの距離であり、氏はそこから歩いて20分くらいの秋篠寺まで

歩いたようだが、私は大和西大寺駅を降りてバスで向かった。



感じがよいバス1台がやっとの道。



少し歩いて山門に。



実に良い。浄瑠璃寺に似ている。

入って進むと、向こうにも門が見える。あちら南門。入ったのは東門だ。



進行右側には苔がある。

奈良に苔庭があるなんて。





苔庭はかって金堂(焼失)があったところ。

冒頭の写真は今、本堂になっているがかっては講堂だったとのこと(国宝)。技芸天(ぎげいて

ん)が有名だ。

本堂を見るような場所にある休憩所?が面白かった。





苔と白砂利との溶け込むようなもデリケートな関係も神経が行き届いている。

帰り、南門から出てみる。

今はない金堂,東塔、西塔の位置からしてもこちらが正門だろう。





この寺は光仁天皇の勅願として建立されたが、光仁天皇は完成を見るか見ないかのうちに、次の

桓武天皇に位を譲られていて、桓武天皇は、即位されるとすぐ、長岡京の造営にかかったのであ

るから秋篠寺は本当に奈良時代最後のものとなった。

そうした点からいうと、この寺は時代の落日、いや斜陽の一瞬をとどめて、ここにこのように美

しく静まり返っているというとことになるのであろうか、と奈良本氏は書く。


 なんと深い歴史・文学理解力をもち、簡潔で分かりやすい表現をしてくれる人なんだろう。

チャラっぽさのある堀辰雄より一桁各上の感じがする。


地図を今一度。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 門跡寺院の土塀と横線 | トップ | ペール缶ロケットストーブの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

そうだ京都・奈良へ行こう」カテゴリの最新記事