プリウスと風景

私にとっての「銀河鉄道」プリウスで旅へ、そして自由な思考表明をと考えています

大学のブランディングにプラスかマイナスか 【1】スポーツ選手の優待入学

2024年05月28日 |  エッセイ
ブランディングの定義

 ブランディングという言葉が流行っている。なんとなくわかっているようではっきりしない。
ウイキペディアも一応の説明はしてくれているが、三井住友銀行Business Navi の次の言い回しの方がすっきりする。

「ブランディングは、ブランドの価値を高め、顧客や取引先と社会全体に、自社と自社の商品やサービスを「独自のもの」として認識してもらい、他社と差別化を図る取組です。
 ターゲットが自社独自の商品を魅力的であると感じてくれるように、消費者や顧客に対して企業イメージや自分たちが伝えたいメッセージを訴求していくことも大切になります。」

ブランディングが叫ばれるようになったわけ
ブランディングが叫ばれるようになったのは一般論としては次の様に言えよう。
「市場の飽和とともに商品やサービスのコモディティ化が進み、機能や性能だけで他社と差別化を図るのが難しい時代となっています。インターネットの普及で情報にアクセスしやすくなった現代では、消費者の比較検討の選択肢も大きく広がっており、自社の商品が選択肢の一つとなることも容易ではありません。拮抗する商品群の中で自社の商品を選んでもらうには、これまでとは異なる施策が必要です。」

 市場の飽和の例として日本では、出生人口の減少で遠くない将来、全国に800もある大学は入学者の確保もできずやっていけなくなることがあげられる。

ここで、大学入試について一般入試以外の方法がとられることがめだっているが、それはブランディングの思想にかなうから良しとするのか、逆にブランドイメージの価値低減に連なるマイナスのことかを考えてみたい。

   スポーツ能力・実績に富む学生生徒の優先入力

 典型例が青学の箱根駅伝だ。青学というと青山/表参道に位置する女性受けのするおしゃれな都会風大学というイメージだった。それが度重なるマラソン好成績と監督の発信力でガラッと変わった。大学全体の知名度、イメージ、就職の向上にも寄与し、他大学への影響力も大で、うちも、と行動に移すところがかなり出ている。
国立大学だって筑波大学のサッカー、私立の名門高校でも慶応高校の野球部などにその傾向がみられている。

(批判の論調)
専門学校、職業訓練校ではない学校で一般の学生なら入試不合格になるのにたまたま特殊領域で能力、実績があるからと言って入学が認められるというのはおかしい、合法的裏口入学ではないか。
それが許されるなら漫談、ダンス、歌がうまいだけでも、いや多額の寄付をして学校に貢献するだけでも入れるべきことになる。スポーツ、芸事だけではない。広く社会貢献度の高い事柄に従事していたあるいは従事する蓋然性の高い者にも同様の恩典を与えるべきことになる。とにかく一般入試科目以外の何かを考慮するとしてそこに差異、差別があるのはおかしい。
   こう考えていくと客観的評価、社会的公平という観点からは最低限高校生、大学生として共通の履修科目にある科目を広く学習することが前提にあるべきでそれへの資質・意欲が欠けることが分かっていながらも可とするのはおかしく学問に対する冒とくでもある。
   スポーツ選手の立場からしても、公式のスポーツ大会であの子は家が貧しく満足に練習する時間がなかったからとか、この子は親がその種目に多額の寄付をしたからと言って採点に加算したらどうか。発展途上国の選手にはタイムを0.X秒減ずるべきだなどとしたらどうか。スポーツ精神への冒涜だと憤るはずだ。

   いわゆるお勉強は大嫌い、朝から晩まで球を追いかけているのが大好きだというのだって肩身を狭くする必要は全くない。一種ドイツ的なマイスターを目指すコースとしてそのラインでの高い尊敬と経済的地位が与えられるようにするのが筋だろう。実際、野球やサッカー界ではそうなっているではないか。

(反批判の論調)

 スポーツを売りにすること、学校の宣伝に使うことのどこが悪いのか。
進学校(高校)は難関大学合格者数を増やすため近くない2時間近くかかる地域からも筋のいい子を集め、高校で習うべき内容を中学時に済ませる(中高一貫)など受験技術の指導習得に明け暮れているが、これは野球やサッカーのうまい生徒を全国から集め、寮に住まわせ全国大会上位を目指すのと同じこと。
 生き残りをかける私学としては甲子園で優勝することも東大合格者数でベストテンに入ることもそんなに変わりはない。いや甲子園で優勝すること(毎年1校)より毎年3千人が合格できる東大、京大に入れる方がはるかに簡単で確率が高い。
 実際、かっては、底辺校としてさげすまれてきた学校で近時急に株が上がっている私学があるがそのほとんどが東大その他の難関大学合格者数を売りにしている学校だ。
   学校のブランディング方策として運動神経に優れているものを集めること、学業に優れているものを集めること双方があってよいし、それは学校の選択の問題。
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