プリウスと風景

私にとっての「銀河鉄道」プリウスで旅へ、そして自由な思考表明をと考えています

北里柴三郎と森鴎外、 小泉八雲と夏目漱石

2024年07月05日 |  エッセイ
 新紙幣の発行に関して、なにかと北里柴三郎と森鴎外の関係性が話題となっている。
 昨日のラジオ放送では脚気の原因に関して北里柴三郎の説(正しい)に関して東大医学部守旧派の妨害が取りざたされ、あの神聖不可侵の真・善とされてきた森鴎外もその一翼を担う位置にあったことが言及されていた。
 全く知らなかったがどうやらそれは真実であったようだ。
くだらない現在の受験エンタメ界の中で最高の位置におかれる理三出身の大先輩、軍医の最高位に出世し、なおかつ文学でも名作を表した超人と絶賛するひとばかり。
鴎外を語るとき、汚点ともいえる話題は忖度して避ける傾向にあったのか。

 たまたま目にした本(小泉八雲 日本の心 和田久みつ監訳 平成15年発行 彩図社)の「年譜」に大学との関連で次のような記述があった。
 小泉八雲の帰化(1896年、45歳)と前後して、帝国大学から英語英文学の講師として招きたいとの話が持ちかけられた。はじめは断ったが、東京帝大文科大学長の外山正一が礼を尽くして招聘したため、神戸から上京しその任に就いた(週12時間授業、月給400円)。
 授業は熱心かつ奥深いもので学生の尊敬を集めていたが、留学を終えた日本人学者たちが教壇に立つようになっていた1903年、突然東京帝国大学から八雲のもとに解雇通知が届いた。小山内薫ら英文科の学生たちは処分に抗議し留任運動を始めた。
八雲の後任は夏目漱石。

 北里に援助を行ったのは慶大であり、1904年から八雲を迎えたのは早大(週4時間で年2千円)というのは興味深い。

徳島大、山梨大、埼玉大出身者にノーベル賞取得者が出ているが理三出身ゼロは祟りですかね。
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