山本健吉氏は続けて次のように言う。
それ(龍安寺方丈の庭)は見るためだけの庭であって、その意味では額縁によって切り取ら
れた絵と変わりはない。
日本の多くの庭は主の生活に融け込んで、その中に自由に出入りすることのできる空間で
あって、見るものとして対象化された作品ではない。
日本の多くの庭の、人の気持ちをくつろがせ、解き放ち、喜戯の心を全身にみなぎらせて
ゆくような要素が、ここにはな . . . 本文を読む
枯山水批判
大佛次郎氏は控えめな批判をなさったが、山本健吉氏はより直截的に批判し、それだけ響
くものが強い。
(以下「日本の庭」より)
石庭といえば、日本の庭の代表のように言われているのはどういう理由によるのだろう。
この庭の絶賛者の一人に志賀直哉氏がある。
氏は言う。「これほどに張りきった感じの強い、広々とした庭を自分は知らない。
(以下、略。「龍安寺の庭」)」 . . . 本文を読む
淡交社の本「終わらない庭」で三島由紀夫、井上靖、大佛次郎がそれぞれ仙洞御所、桂
離宮、修学院離宮について書いている。2007年発行
かなり本格的に、そして長く。
大佛次郎氏が修学院離宮について言うことに、共感し、納得するところも多いので、少し
紹介させていただく。
「他の日本の庭は、茶室が、人間がはいって灰をお起し,炭を入れて釜の湯が鳴り出すま
では死んでいるのと同じなのに、よく . . . 本文を読む
雄滝を見て、その流れを越えて、浴竜池を反時計回りに歩く。
千歳橋
窮邃亭(きゅうすいてい)が立つ中島と万松塢(バンショウウ)を結ぶ橋。
この橋には最初上屋はなかったが後でつけられた。
この中国風の上屋は私の唯一気に入らない最大の欠点と考える。
そういう外国人もいるそうだ。
窮邃亭
一回りする。植栽工事もしていて興味深かった。
船宿
美し . . . 本文を読む
隣雲亭(りんうんてい)
この最高の見晴らしの場に立つ御茶屋は離宮造営前からあったもの(上皇はかってあっ
た円照寺のそばにこれを建てていた。これがそのまま残っているもの。何時建てられたか
は不明とのこと。ただし1678年放火があり、再建)
表に2室、裏に3室ある。
表2室の北と西の二面は軒の深い土庇(つちひさし)になっており、よく写真が写されてい
る。
隣雲亭洗詩台(せんしだい . . . 本文を読む
1日で修学院離宮を見るというのは、1日でオルセーとルーブル美術館を見るようで混乱
してしまう。
地図を見ながら出ないと。
中御茶屋を出て松並木を通って向かう。
有名な4段の堰堤を左手に見ながら進む。
途中には畑が目に入る。
登って行くと隣雲亭の前に出る。
視界が開け、あの有名な湖が見える。
ここは下御茶屋から40メートルほど上り、京都タワーより高いと . . . 本文を読む
2012年1月3日(火)朝、箱根駅伝でも見るかとTVをつけたら、
ギョギョギョ!
修学院離宮をやっていた。
ウーン、われわれ一般参観者と違っていいアングル、いい場所、よい照明?で撮ってあっ
た。
うらやましく思うし、普段見えないところを克明に紹介してくれているのだから感謝しな
ければとも思う。
題名は「天上の王朝美 京都・修学院離宮」
王朝美というとらえ方、そうレッテルを張る人が多 . . . 本文を読む
一つ一つの門や建物に名前は表示されていないので、これはなんなのかとても分かりに
くい。
その点京都御所ははっきりして助かるところだ。
上の写真は多分、女院御所の切手御門を移築した旧林丘寺表総門だと思う。
見学者が入るのはこれではなく、反対側にある中門の方だ。
笠松 昔書院があったところには笠松が植えられている。
中御茶屋には二つの建物が . . . 本文を読む
下御茶屋についての駄文アップから大分時間が経ってしまった。
この間、ベルサイユ宮殿も行き、改めて日本の庭園の良さを再認識。
そこで修学院離宮の続きを「中御茶屋から」
中御茶屋は後水尾上皇の皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年に造営された朱宮
(あけのみや)御所が前身。
朱宮御所は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められ、
明治18年に、楽只軒(らくしけん)と客殿を含 . . . 本文を読む
瀬戸内寂聴の自己正当化・肯定的論調・生き方、納得できない点があるけど、それはそ
れとして文庫本に修学院周辺という一節があり、
人の感じるところって変わらないなと思われ、また共感するところが多かった。
三度行ったみたいだけど
農業風景までも庭造りに含めている壮大さ
途中の松並木の魅力
後水尾上皇の資質を挙げている。
「ガイドが話していた雪景色が絶景だとこの庭や池のほとりを幻に描いてみ . . . 本文を読む