一つ一つの門や建物に名前は表示されていないので、これはなんなのかとても分かりに
くい。
その点京都御所ははっきりして助かるところだ。
上の写真は多分、女院御所の切手御門を移築した旧林丘寺表総門だと思う。
見学者が入るのはこれではなく、反対側にある中門の方だ。
笠松 昔書院があったところには笠松が植えられている。
中御茶屋には二つの建物がある。
中門を入って手前、笠松に近いのが楽只軒(らくしけん)。
楽只軒一の間には吉野の桜が描かれている。
狩野探幽の息子探信の作。
光子内親王の居室にふさわしい女性的な感じの良い絵だと思う。
もう一つが楽只軒(らくしけん)と雁行して建つ客殿。
三大名棚の一つ、霞だながあるが、山荘にふさわしくないと識者の評価はイマイチの模
様。
もともと東福門院(徳川和子)の御所からの移築だからでしょう。
鯉 逃げないように網が描かれている。
この立ち入り禁止の階段は林丘寺へ通じるもの(おそらく)。
明治に入って政府に返還した部分が大きいとはいえ、林丘寺まだ門跡寺院として存立して
いる。
ここで、クエスチオンが湧く。拝観料をとる観光寺でなく、檀家を抱える葬式寺院でも
ないひっそりしたお寺ってどうやって生計を立てているのだろうか。憲法89条の制約があ
り、宮内庁が補助金を出すことは考えられないし。
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