かって日系アメリカ人学者F.フクシマが「歴史の終わり」を語り、一世を風靡した(1992年)。
すなわち
、
「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。
(ウイキペディアより引用)
ソ連の崩壊という美酒に酔いしれ、米国的文化への自己賛美が強すぎたようだ。その後の世界の実態に鑑み、修正を行っているが基本姿勢は変わらないように見受けられる。
昨今のトランプ政治、それを支える40%近い米国国内の支持を見るとき「歴史の終焉は遠い」どころではなくアメリカ自身の民主主義の危うさを感じてしまう。
「アメリカの歴史・価値観の終焉」の始まりとでも言った方がよいのでは。
ともかく
・学者、芸能人を含め既成権威への根拠のない徹底批判など毛沢東の文化大革命にそっくり。
・国民民度の低さといったら
ホワイトハウスにやってきたウクライナ大統領への「感謝の言葉が足りない」、
「スーツでないその粗末な服装は失礼」など、昔の忠臣蔵映画の吉良上野介による浅野内匠頭いじめのシーンを見ているかのよう。
日本の民主主義は12歳程度などと見下していたがアメリカのレベルはどうなのか。
この際、一つ一つ考えてみたらどうか
・ 何?大統領令って?
閣議決定で成立する日本の政令よりはるかに簡易で危険。勅令ですか。
・ こんな法体系を宮沢、芦部ラインの東大法学部→官僚体制がありがた
かっていたとは。
・ 日本の論調も二大政党制を賛美していたがそのどこが利点なのか。二大
政党制は結局〇か×かの雑すぎる結論に陥り、そこから逸脱する人を増やす
ばかり
・ 大統領制+政治的任用職員の増加は短時間での危険政治即実施に結びついてしまう。
・ 最高裁判事の終身雇用ってどうなのか。その高齢者による判断リスクは二人をひき殺した元工業技術院院長(獄死)どころではないだろう。
・ 放送・新聞に対し政治的立場を明確にすべしとの意見もあるが、内心は別に建前としては公平・中立を旨とし、反対の立場も紹介させる方が結果的に国民のためになるのではないか。
さもなくば、動画、政党機関紙と同様になり、一つしか視聴しない人は日々偏った洗脳工作を受ける結果となってしまう。
FOXテレビを見、福音派の集会・連絡広報を受けている者はそうであろう。
・ 武器をもって抵抗することを権利とし、大統領制が直接民主主義のあらわれとしながらも国民の絶対数を全く比例しない選挙制度に疑問を抱かないのか。
いつまで西部劇時代を引きづっているのか。だらだらと選挙祭りなどせずに電子投票すれば瞬時に結果がわかるのに。
憲法改正をすべて悪とし、結果的に対米屈辱路線を踏襲させる日本人のお花畑思想と変わるところはない。
日本の論客、学者、知識人にトランプ支持者は少なくない。安倍さんがうまくトランプを取り扱えたことからそうなっている傾向があるが、そろそろ変更すべきでは?
何しろトランプはウクライナで突然武器供与、情報提供をストップするばかりではなく、一時期敵国に情報をリークしたり精密機器の効力制限を作動させることもしようとしたらしいし。
さすがの木村太郎もトランプ支持を言わなくなってきた。
南北朝鮮、中国、ロシア同様アメリカも危険! 単純な「平和憲法を守れ」で喜ぶのはこれらの国。
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