歌舞伎役者が殴られたのは地図北側の遊び人の町、六本木に近い西麻布。
その南方、地下鉄日比谷線広尾に近い南麻布は大使館の街となる。
都立中央図書館もある有栖川の宮記念公園の北?側には11月30日に45歳となった秋篠宮の長男悠仁チャンが生まれた愛育病院がある。
有栖川の宮記念公園の入口に近いこのカフェは外国人(大使館関係)がとても好むところ。
東京の紅葉は黒ずんでイマ2。
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あっ 新幹線だ!と子供が叫ぶことは1964年以来続いている。
あっ スカイツリーだと叫ぶことが始まりつつある。
JR錦糸町のプラットホームからも結構よく見える。
高いだけのことがある。
エッフェル塔の真似といわれる東京タワーよりこちらの方が独自性もあってよいように思
われてきた。少しアップ。
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不思議だ。行こうと思えばすぐにでもいけるのになぜか億劫で行かない場所がある。
その理由は、ちょっと奥に位置するから、ただそれだけ。
東京都の場合でもそうだ。
23区内ですらそうだ。世田谷区の等々力渓谷。実際に行くまで長い年月を要した。
23区外になるとなおさら。町田市の白洲正子邸。京都に行くよりハードルが高かった。
1993年に亡くなった井伏氏について、今になっても新資料が出てくるのは嬉しい。 . . . 本文を読む
鴨長明を語るとき、あるいは紅葉の風景のスポットとして下鴨神社の小川がクローズアップされる。
神社は交通の激しい大通りに面していて、そのギャップに戸惑うほど。
小川の実物は写真ほどは風情がない。もう少し努力して欲しいが。
神職の人が中でいかに神道が仏教に較べて長所があるか、力説していた。
だけど、鴨長明は神道から仏道に一種の改宗をしたのだし、自分を捨てたような下鴨神社へのうらみつらみを随分述 . . . 本文を読む
10月25日のニュース”大仏殿で発見の刀は1250年間不明であった正倉院の宝物であった”に関連して思い出した歴史ミステリー?の本は
梓澤要さんの『正倉院の秘宝』であった。
光明皇后は世間の言うように聖武天皇を終生愛したわけではなく、だから寝台も含めて正倉院に送り込んだとか言っていたようだ。
アズサワカナメって男かと思っていたけど女性でした。明大で考古学を勉強した方で、確かに基礎力がおありになる . . . 本文を読む
10月25日の”大仏殿で発見の刀は1250年間不明であった正倉院の宝物であった”とのニュースにロマンを感じた。
ちょっと前に図書館で正倉院除物の刀(もしかして今回の刀かも)を題材とする古代史ミステリーを立ち読みしたところだったのでなおさら。
其の本(題名も著者名も失念。割と厚い本)では名のない寒村の荒れ寺に長年保存されていたことになっていて、歴史学者、写真家その他の面白そうな人間がうごめき、恋愛 . . . 本文を読む
先週のNHK大河ドラマ(龍馬伝)をご覧になっただろうか(2010.10.17)。
海援隊のいろは丸が徳川紀州藩船明光丸と衝突した事件をあつかったもの。
脱藩浪士の集まりに過ぎない竜馬の海援隊は格違いの御三家に臆することなく法令、証拠書類、弁舌を駆使して実損4万両を超える8万両を払わせることになったものである。
竜馬のかっこよいせりふはどうも尖閣諸島問題での漁船衝突に対するふがいない日本政府へ . . . 本文を読む
たまたま神田の古書店店頭で、新潮社の「新潮日本文学アルバム井伏鱒二(1994年)」を手に入れた。
薄いけど、はじめて見る写真が多くーだからアルバムなんだろうけどー内容もよく、とてもいい本だと思う。
其の中に鞆の浦近辺の写真・記事が多いことに気が付いた。「鞆の津、鞆町、仙酔島」など。
広島あたりの人にとってはかけがえのない場所のようだ。
ところでこの地名、どこかで聞いたことがあるような。
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近畿圏にお住まいの方は別として、京都市街の北方向へ行く事は少ないのではないか。
絵画、版画等で見ることの多かった伊根の舟屋、いつかはと思っていたので今回行って見る事にした(2010.9.19)。
途中の天の橋立も含め、水は透き通るほど綺麗で、俗化もさほど感じられず、良かった。
丹後半島まで、途中の山は深く、人も少なく京都府といっても京都のイメージから遠い。このことを知る上でも意義深かった。
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過度ともいえる熊野への礼賛。
が、熊野本宮大社を見て、がっかりしたことは申し上げた。
その帰り、水害で流失されるまであった千年前の旧跡がすぐそばにあるとの看板を見て歩いて行ってみた。
よかった。
後で建てた鳥居しかめぼしいものはないが、アウラを感じた。
そうか、ここに何度も天皇,上皇が行幸したのだ。
下級貴族藤原定家も役目としてぶつぶつ言いながら来ている。
それらの「気」がまだ充ちている気がす . . . 本文を読む