HOTなおちゃタイム

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名古屋飛ばし!  のぞみ一番列車 1992年 白い街、名古屋物語

2012-03-05 11:17:08 | 名古屋物語

 

今日もしっかり雨の名古屋地方です。

これで春がすこしづつ、くるんでしょうか

東海道新幹線が14日で20周年を迎えます。

新聞で 「のぞみ20年」 という連載記事が始まりました。

一回目は「一番列車、名古屋飛ばし」です。

私もよくは知らなったのですが、

1992年 3月14日7時14分、、新時代の幕開け! 東京―新大阪2時間30分

一日4本の「のぞみ」・・・その始発は名古屋にとまらなかったんです。

64年の東海道新幹線開業以来初めての通過駅となった。

東海地方では屈辱の「名古屋飛ばし」として記憶に刻まれたと・・・

そう言えば騒いでいたそんな記憶がある・・

今でもそれはこの地方の人々にとって、

海部さんが首相になったことより大きなニュースとして

ランキングされているという。

 

なぜ止まらなかったか?

始発は「東京を朝出て大阪の始業に間に合う」が売り!

1駅停車すると5分のロス。

朝に名古屋から大阪に向かう客は少なくJR東海は問題なしと判断した。、同じ時間帯の「ひかり」もあり

地元の心情は読めなかった

地元の各界から不快感の表明が相次いだ!

当時の公明党の委員長と民社党元委員長が超党派で結束、撤回を図った。

いいですか!谷垣さん、

愛知でこの二つの党が絶対に強かったのは

こいう庶民の意見の代表だったからですよ

私は、「ひかり」にのればいいのに「なぜ?」と思った一人なんですが。

当時バブルのまっ盛り!!

マイケルジャクソンやマドンナ大物が来日

でも、集客施設の乏しい名古屋の公演は飛ばされた

東京、大阪あるいは福岡で公演されたんです。

美術館のおおきな展覧会もなかった!

むか~しむかーし、「ミロのビーナス」も京都まで両親は見に行きました!

名古屋では会場がないと理由で、それは以後も、良くききました。

覚えています。

88年のオリンピックでソウルに敗れ、

堅実なモノづくり気質から、バブルの熱狂に乗り遅れ,

都市競争にも乗れなかった名古屋に。

この新幹線の飛ばしはショックだったらしい。

当時の愛知県知事は

[JR東海が名古屋にとめさせてください』といってくるような地域に

発展させる心中で誓った」

語っている・・

 

保線技術の進歩で、5年後にのぞみが止まり

四万人を収容する名古屋ドームが完成!

05年に、万博が開催決定、中部国際空港が予算化されたんですね。

「元気な名古屋」といわれるようになっていくんですって。

今ある、すばらしい県・市立美術館、芸術劇場など。市民に文化的憩いの場はこういうことが背景だったんですね

そう言えばこのころかな

こんな歌が名古屋は広い道路以外何もない街、「白い街」と歌われたんです

この歌のように、のんびりとした、こんな田舎でした。

 

よんでくださってありがとう。

白い街 歌 石原裕次郎

 


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