そんなこんなで、私ができた。

わたしの製造過程。さて、構成要素は?

なんとなく

2006-08-18 02:21:30 | 日常雑記
何かを書きたくなったというのは、きっと一日に自分が必要とする会話量というものを今日は満たさなかったからだろう。会話量というか会話によって自分の存在を認めて貰うというか、そういったコミュニケーションが不足しているせい。旅行から帰ってきた家族はいるけれど妙に気を遣ってしまうので、同じ部屋にいて息をするのすら苦しいかんじ。その反面、話し出したらすらすらと言葉が出てくるというのにね。誰かと何かを話したいというのはわかっているというのに、けれど話すのすら面倒くさいというこの矛盾、いや面倒なのは対人対話に生じる気遣いなのか。ああ、だからわたしはパソコンに向かって話しかけているのかな。家の人と話したのは昼の一瞬だけだったことを思い出してみて、実は結構話したほうなんじゃないかと思ったりもする。そもそも家族関係が面倒くさくないものだなんて誰が言い始めたのだろう、完璧な家族を求め始めたのは誰。時代の要請?なんだそれ。完璧は素晴らしいのだと何処の誰が崇め始めたの(完璧は素晴らしいのではなくて、美しいんだよ)。…あれ、そんなこと誰も言っていないのかな。それなら私の勘違いというか希望というか。うーん、不完全なもののほうが得てして魅力的だったり親しみやすいというのに、何なのこれは。不完全な当事者は大変なのよ、ということか。その歪な事態とポジティブに関係ができたらいいね、そう関係しているひとが魅力的なのかもしれない。ありがちな例えだと逆境で頑張っているひと?努力は周囲の共感を呼ぶものであるし(でも不興も買う)。いや、でもこれは不利な立場にいるひとか。まあいいや、どちらにせよ、完全より不完全のほうが周囲から愛されるのに、当事者にはなりたくないね、っていう。わがまま。


なんて、ひとりごとを呟くみたいに書いてみた。
こういうのって、読み手を必要としていないね。
形式にしても内容にしても。

しかし、これだけ改行もなしに書き連ねていると、ちょっと不気味(笑)
なんとなく、こういう内容のほうが、言葉をつなぎやすい。
ただ思いつくままに書いているものだから、いきなり話題が飛ぶ。
そして収拾がつかなくなって、中途に終わる。

それにしても思考のスピードと同じような速度で書くことができるのはすごい。

さあもう寝よう、思考が縺れる。