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葬儀を行う理由と行わないワケ【広島市の家族葬・広島市の葬儀 直葬 コロナウイルス対策お葬式は安芸葬祭】

2021年06月26日 11時29分12秒 | お葬式
葬儀を行う理由と行わないワケ【広島市の家族葬・広島市の葬儀 直葬 コロナウイルス対策お葬式は安芸葬祭】



葬儀を行う理由は
ひと言で言いますと
「けじめ」です。

この世でのお別れをする場。
そして感謝を伝える…
人により故人への思いは様々ですが
ひとつの「けじめ」として葬儀は
行われた歴史があると思います。

最近は家族葬が多くなり
一部の方は葬儀社が主導した葬儀
と言われたりしたものですが
家族葬が増加した背景には
世の中の状況が大きく起因しています。

家族葬が定着し始めたころは
リーマンショックの時でした。

それまでは、家族葬に反対する方が多く
「葬儀を告知しないと後に大変なことになる」
という声が多くありました。

葬儀は世の中の成長と共に
派手なったものです。

バブル期の葬儀は
いま考えると本当に派手でした。

小さな葬儀でも
50名以上の方が参列されるのが当たり前で
葬儀費用を決めるにも
「見栄」が見え隠れしたものです。

今のように祭壇が不要…という葬儀は
本当に皆無で、私らが口に出して説明しなくても
祭壇の写真を家族でめくられ
「恥ずかしくないものを」と一喜一憂された時代…
でした。

今では信じられないことですが
当時は、当たり前の光景でした。

棺桶も
「燃やすのだから安くていい」と言う方は
少数派で、「最後だから良い物を」という声が
当たり前でした。

霊柩車の車種も
「親父は外車の乗ったことがないから
リンカーンを」など葬儀費用は葬儀社が
吊り上げなくても勝手に大きくなったものです。

それもこれもすべては…
多くの人が参列される可能性がることに
起因したのは事実です。

正直
「大丈夫かな…」と打ち合わせの時に
冷や冷やしたことは再々あるものです。

それに比較し、家族葬になり
多くの方は、冷静に葬儀を
見つめられることになりました。

「見栄」は必要なくなりました。
そのことから純粋に葬儀の費用にも
無駄を省き、慎重に決められる
ことになったと、私は思います。

葬儀は「見栄」が非常に大きく影響した…
そのため、本来の葬儀を見失っていた。
最近、過去を振り返り、その様に思うものです。

葬儀の不要論は
実は昔から著名人の間では議論されていました。

しかし、広島市内では
その様な議論は、余程のことが無い限り
議論にもなりませんした。

それが今では普通に
「ワシが死んだから火葬だけして、遺骨は散骨して
くれたらいい」と口にされる人が
多くなったのも事実です。

広島市は浄土真宗の勢力が非常に強く
阿弥陀様への信仰、報恩感謝が伝統として根付き
真宗王国は崩壊することはない…
そう感じていました。

しかしながら
葬儀には読経は不要…
と言う方が増え、実はその様な方が
ただ宗教不要論を唱えているのでなく
「浄土真宗はうちの代々の信仰する宗教だが
死んだら極楽に往生するのなら、葬儀に読経は不要だ。
墓も必要ない。毎回の法要も仏縁を通して阿弥陀さんに
感謝するのが主で、故人がその仏縁に合わす…というのは
方便にすぎないと思った」と
自分で真宗を学んだ結果、葬儀に読経は不要…と
家族に伝えられた方もいました。

このことを伝え聞いたとき
葬儀に宗教は不要・・・と
直葬を希望する方には故人崇拝がないのであれば
という思いがあるのだと知りました。

要は宗教をすべて否定するのでなく
宗教を考えた結果、うちの家は浄土真宗…
自分は真宗の考えを否定するが、しかし家族にまで
強制し、宗旨替えするつもりはない。
家族は各々考え、信仰をするもよし…
しかし自分は、その様なことはやめて欲しい。

その様な考えが葬儀に散見するものです。

葬儀を行う意味…
葬儀と言う従来の形式にこだわらず行う意味…

相談を受ける私は
自分の意思を明確にされるのであれば否定しない
その方向で見ているのであります。

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