サキシアは生まれつき、顔にアザがあった。
ひんやりと薄青い、滑らかなアザだ。
額から左目を囲むように、清らかにくすんでいた。
サキシアはそれを、あまり気にすることなく、幼少期を過ごした。
移動用の馬を持つものさえ少ない、ひなびた村だ。
隣近所だけの小さな世界では、最初からそれが、当たり前だったからだ。
父は腕の良い家具職人だったが、あまり裕福ではなかった。
それでもサキシアの将来を思い、学校に通わせることにした。
初等部五年、中等部三年を優秀な成績で終え、教育部に進めれば、二年で教師になることが出来る。
一人で生きていくには、確実な手だてだった。
学校は隣町にしかなかった。
子供の足ではゆうに一時間以上かかる距離を、サキシアは父と歩いた。
明日からはこの道を、一人で通わなければならない。
サキシアの村から学校に通うのは『お金持ち仲間』の男の子ばかりだったからだ。
隣町は大きかった。
高い建物が並んでいて、道が広い。
一際大きな家に見とれたり、たまに通る馬車を目で追ったりしているうちに、学校に着いた。
「おっきいね、お父さん。こんなにおっきい木の建物があるんだね」
興奮気味のサキシアに、父が言った。
「お前はここで、頑張って勉強するんだよ。そして教師になるんだ。一人で生きていけるように」
「一人で?私は結婚しないの?」
サキシアが驚いて見上げると、父親は少し困った様子で、
「するともしないとも限らないさ」
と、言った。
「おはよう」
と言いながらサキシアが教室に入っていくと、中の子供達が一斉にそちらを見た。
皆一様に驚いた顔をして、互いにひそひそ話し合う。
返事をしたのは三人だった。
大きな赤いリボンを二つ、髪に着けている女の子が、サキシアの前に来た。
「ねえ、その顔、どうしたの?」
「顔?」
「目の回り、青いじゃない」
「ああこれ。生まれつきなの」
「へえ」
その女の子は、勝ち誇るように、言った。
「かわいそうねえ」
サキシアが戸惑っていると、前の扉から、女が入ってきた。
目も体も細い。
教壇に立ち、生徒達に着席を促す。
「初めまして。私はカドワといいます。これから一年、貴方達に色々教えていきます。皆さん仲良く一緒に学んで下さい。特に見た目や貧しさで、差別することがないように」
血の気が引くような思いで、サキシアは覚った。
父が言っていたのは、このことだったのだ。
サキシアは背筋を伸ばし、授業を受けた。
学んだことを思い出しながら帰り、家に着いたら確認する。
同級生にからかわれても放っておいた。
『貧しい』家でも『無理して』学校に通っているのは、『顔にアザがある』からなのだ。
それは教師になる為で、同級生と遊ぶ為ではない。
サキシアは、そう自分に言い聞かせていた。
そのまま三ヶ月耐えていると、面と向かって馬鹿にされることはなくなった。
そしてある日、生徒達に厚紙が配られた。
「今日はお友達の顔を描いてみましょう。好きな子と、二人一組になって」
サキシアは困った。
このクラスは女子五人、男子十五人なのだ。
一人余ったサキシアに、ギャンが言った。
「俺が組んでやるよ」
「ありがとう」
サキシアは訝りながらもほっとした。
嬉しかった。
けれど仕上がった絵には、サキシアの左目と、アザだけが描いてあり、題名が入っていた。
『青のサキシア』
教師はギャンに両手を出させ、棒で叩いた。
その日からサキシアは、『青のサキシア』と影口を叩かれるようになった。
一部の教師でさえ、そう呼んでいることを知った時、サキシアは全てを割り切ってしまうことにした。
毅然とさえしていれば、負ける気がしなかった。
サキシアは孤独なまま、成績優秀者に与えられる青い花のバッチの全てを、手にしていった。
やがて『青のサキシア』の『青』は、『よくも悪くも際立っている』という意味に、変わっていった。
サキシアが十五歳になり、中等科を卒業する年に、父親が亡くなった。
母は看病疲れで風邪をこじらせ、治った後も、息を深く吸えなくなった。
収入も母親が刺繍の内職で得る、細々としたものだけになった。
サキシアは進学を諦め、成績次第で職に就けるという、王宮の試験を受けることにした。
侍従長は困っていた。
配属先を決める面接の場に、アザがある者がいたのだ。
目の前に歩み寄り、見直した。
サキシアは圧し殺していた不安が、一気に膨れ上がり、鼓動が強くなる。
「お前の名は?」
「サキシアと申します」
「そのアザはどうした」
「生まれつきでございます」
侍従長が渋い顔をして、書類と照らし合わせる。
サキシアの憤りを、諦めが包み込んだ。
「どうしました。何か問題があるのですか」
上座から張りのある声が響いた。
王妃のダリアだった。
「この者は極めて優秀な成績で試験を通過しております。けれど」
「身辺はどうなのですか?」
「地方の建具屋の娘です。その父親も亡くなって、体の弱い母親と二人暮らしです」
「そうですか。ならば問題はないでしょう。顔で仕事をするわけではありません。いや、かえって良いかもしれない。なに不自由なく育った娘より、様々な気持ちが分かるであろうから」
サキシアはダリアを見た。
この人に尽くそうと思った。
サキシアは王妃の下働きになった。
掃除から始めるのが習わしだった。
サキシアは埃一つ残さぬよう、羽箒と起毛した布を使って、壁を彩る装飾の窪みの一つ一つまで、丁寧に拭き取った。
くすんでいた金属の壺も、必要に応じて液体に浸し、全てピカピカに磨き上げた。
王妃の棟は、薄いベールを剥いだように、明るさを増し、他の棟の女官も、その手法を見習うようになった。
サキシアは人一倍よく動いたので、制服がそじるのも早かった。
サキシアは糸を織り込むように繕い、回りはその見事な仕上がりに驚いた。
やがて繕い物や刺繍を頼まれるようになり、サキシアは快く引き受けた。
全て丁寧に仕上げたが、 それが王妃の品の時は、更に心を込めて針を刺した。
サキシアはある日、王妃が読み終えた本を処分するように言われた。
サキシアは処分する本を頂いてよいか、侍女長を通じて伺いをたて、了承を得た。
本は時折処分され、サキシアの部屋には、本が貯まっていった。
サキシアはそれを、学校や図書館に寄付することを思い付いた。王妃の評判が上がると思ったのだ。
侍女長は再び王妃に伺いをたてた。
「処分するものは、みんな彼女の好きにさせていいわ」
王妃は面倒くさそうに答えた。
そして。
「昇進の時期が来ても、あの娘は下働きのままにしておいて。あのアザを目にすると、ぎょっとするのよ」
そう、付け加えた。
それから八年、第二王子のバシューが十五歳になった。
王は年と共に穏やかになり、王妃と子供達を慈しんだ。
王と睦まじく過ごしていると、王妃はデュエールとのことを夢だったように感じることが出来た。
それはとても魅力的な感覚だった。
そうなるとデュエールからの手紙が邪魔だった。
なのでそれを本に挟んで、処分するよう、侍女に渡した。
紙と革なので、焼却場に回されると思ったのだ。
処分品をサキシアの自由にさせていることなど、とうに忘れていた。
サキシアは勤務終わりに本を渡された。
あてがわれている部屋に戻って、いつもの様に本を開けると、二枚の紙が落ちた。
何気なく拾い上げ、読み進めるうちに、サキシアの手が震えだした。
そしてきっちり紙に包んで、箪笥の奥に仕舞い込んだ。
サキシアはずっと、掃除係のままだった。
サキシアは特に不満にも思わず、受け入れた。
他の係に回ったり、階級が上がったりすれば、外部と接することも増えてしまう。
それを嫌うのは、やむを得ないことに思えたのだ。
そして同時期に入った者や後輩の階級が上がり、もしくは嫁いで辞めていく中、サキシアは『掃除神の遣い』と呼ばれる二十八歳になった。
その年、母親が病に倒れた。
大きな病院に移せば、なおる見込みもあったが、お金が足りなかった。
給金の殆どを送金していたので、貯えがあまり無かったのだ。
思い悩んだ末、サキシアは前借りを申し込んだが『規律が乱れるから』と、断られた。
三ヶ月後、母親は亡くなった。
葬儀を済ませ、宮殿に戻った暫く後、サキシアは知らない男に呼び止められた。
何か秘密を教えて欲しいというのだ。
サキシアは言下に断った。
年が変わり、サキシアは新入りのマヌアが前借り出来たと、人伝に聞いた。
兄が店を出す助けをするのだという。
サキシアは耳を疑って、侍女長を捜しに行った。
廊下を渡っていると、王妃の声が聞こえて来たので、サキシアは端に寄り、畏まった。
「本当に煩わしいったら。この痒み、なんとかならないのかしら」
王妃は侍女にこぼしながら、サキシアを認めるた。
「ここで何をしているの?」
「侍女長を捜しておりました」
「用件は?」
「前借りは規律の為に認めない、と、聞いておりましたので、マヌアの件を」
「辞められては困るからです」
王妃が苛々と遮った。
「あの娘は器量が良いしまだ若い。嫁ぎ先も働く場もいくらでもあるでしょう。お前とは違うのです。その顔で全く図々しい」
晴れ上がった空の下、真新しい墓標がよく映える。
手紙を売ったお金で買った、立派な墓石だった。
昨日据えたばかりだ。
母親の好んだ、小さな花弁の青紫の花を供え、サキシアの祈りは長い。
蹄の音に祈りを止め、サキシアは振り向いた。
いつものように背筋を伸ばし、さばさばと墓地を出ようとすると、フレイアが馬から下りるのが見えた。
フレイアは馬の背から花を下ろし、サキシアを認めると黙礼した。
「サキシアさん。母の代りに謝らせて頂けませんか?」
サキシアは無表情で見返した。
「何をですか?」
「前借りを許可しなかったせいで、お母上がお亡くなりになってしまった」
「王女様の責ではありませんし、もう、何か変わるものでもありません」
サキシアの口元が僅かに歪む。
フレイアはその笑みに、彼女が手紙を渡したことを、確信した。
「手紙をダコタ殿下に渡しましたね?」
サキシアはくすりと笑い、視線を逸らした。
「王女様がそう決めてらっしゃる以上、私の答えに意味はありません」
「貴女を裁くことも出来るのですよ」
「何の罪ででしょうか?下げ渡された不用品は私の物。文書では頂いておりませんが、周知の事実です。それをねじ曲げてまで、私を裁くおつもりですか?」
サキシアが再び、フレイアを見返す。
「そもそもあの手紙にある事実を、隠しておくことことこそ、民への裏切りではないのですか?」
サキシアは一礼して、フレイアの横を通り過ぎた。
二通のうち一通は、王への懺悔と懇願の手紙だった。
細かいことはぼかしてあって、王妃への手紙と合わせなければ、決定的な証拠にはならない。
サキシアは王への手紙だけをダコタに売ったのだ。
もしも王妃が、謝罪か墓参りに来てくれれば、もう一通の手紙は渡すつもりでいた。
王女を相手にしても、思った程心は晴れなかった。
仮に王妃が来たとしても、あまり変わらなかったかもしれない。
王妃を信じ、懸命に仕えた十四年。
残ったものは、白い墓石だけだ。
けれど、もういい。
全ては終わったのだ。
サキシアは家に戻って、残した手紙を燃やした。
翌日、サキシアは隣町にいた。
八年間通った、学校がある町だ。
村からの道は、昔より整備されてはいたが、それでもかなり荒かった。
子供の足で、毎日よく歩いたものだと思う。
母校を見に来たわけではない。
母親が、仕事を請け負っていた仕立て屋に、お礼と挨拶に来たのだ。
自分の腕も、売り込むつもりだった。
店にいたのは店主の妻のアルムで、心のこもったお悔やみの言葉をくれた。
涙が滲むのを止めるように、サキシアが差し出したショールを見て、アルムが目を輝かせた。
「凄いね!お母さんも上手かったけど、これは本当に凄い!ああ、息子にも見せたいよ!」
「ご子息がいらっしゃるのですか?」
「そうなんだ。綺麗なものを見極める目だけはあってね。養子に貰ったんだけど。いい年をして、嫁もとらずに、高望みばっかりして」
「伯母さん、外まで聞こえるよ!」
仕立て屋の扉が勢いよく開けられた。
「俺は、綺麗で頭がよくて、気が強い女を探しているだけなんだ」
サキシアが顔を向けた。
見るからに陽気な男だ。
おどけた顔が、板に付いている。
「ほらっ・・・いた」
沸き上がる喜びが、男の全身を震わせた。
「サキシアっ!!俺だよっ、ギャンだよっ。やっと会えた!!でも絶対会えると思ってたっ!!」
面食らいながらも、ガキ大将の面影を探すサキシアを、ギャンが見つめる。
「あの時は上手く言えなかったけど、キリッとした顔に、青い仮面を着けたみたいで、本当に凄く綺麗だと思ったんだ」