ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園-Eの物語-洞窟の奥には

2022-08-26 21:34:42 | 大人の童話
 セランはじっと耳を澄ましていた。
けれど、いつまで経っても歌声は届かない。
 出口を塞ぐ、大きな石の向こうから、強い風の音が聞こえて来るだけだ。
 その音が次第に大きくなるのに落胆し、セランは洞窟の奥に戻ることにした。
 蝋燭の炎が揺れているのは、どこからか風が入っているからだ。
そして居なくなる『神の子』。
最初に思い当たった可能性について、セランは調べてみることにした。
微かな風を辿って、祭壇の近くを回る。
向かって右手の岩の裂け目に、風の吹き込み口があった。
 両手で丹念に岩肌を探ると、裂け目はセランの肩程の高さで四角く入っていた。
 地面を照らして尖った石を見つけると、上の裂け目に合わせて叩く。
 壁が四角く手前に浮いた。
 隙間に手を入れて強く引くと、三角形に近い形に岩が倒れた。
 空間は奥に続いている。
 子供がこの岩に足を掛けて進めば、自然に岩は元に戻りそうだった。
 岩を横にずらして手燭を右手に持つ。
 セランは二歩、三歩と、その穴に入っていった。 


楽園-Eの物語-疚しさの変容

2022-08-19 22:02:35 | 大人の童話
 ムンと村長は、耳を澄ましていた。
 風向きはお誂え向きだ。
 炉を挟んで腰を落ち着けると、間もなくその歌は聞こえてきた。
 途端に二人は総毛立った。
 文字通り、頬の産毛まで立ち上がったのだ。
 強い風の音と交ざり合い、けれど紛れることなく空気を揺らす。
 それは鋼の声だった。
 大きな器を叩いたように、薄い板を震わすように、鋭い刃を滑るように。
 高く低く太く細く、 大胆でかつ繊細に。
 自由自在に歌を表し、二人の耳も肺も足先も、あらゆるものを響かせていく。
 それは慣れるとこの上なく、心地よい空間だった。
 やがて二人は目を閉じて、全てを任せた。

 目が覚めると朝だった。
 子供のように体が軽く、全ての感覚がクリアだ。 
 薄く開けた窓から、清々しい光が差し込んでいる。
 村長は我にかえって耳を澄ませた。
 歌声はまだ続いている。
《おはよう》
 ムンが麦粥を混ぜながら声を掛けた。
《夜半に変わると言ったじゃないか》
 村長は文句を言ったが、その語調にいつもの棘は無かった。
《俺は慣れている。山に泊まることもあるからな》
《お前はいつもそうだ》
 歌声は、心の泥をふるい落としたようだ。
《俺が昔、父さんのペンを失くしてお前のせいにした時も、何も言わなかった》
《兄さんがペンを持ち出した時、俺は<止めたほうがいいよ>と言っただけで、本気で止めはしなかったからな》
《今回のこともそうだ。オグを町の学校に行かせたのも、そこで会った娘との結婚を許したのも、俺だ。お前に懐いているオグなんか、勝手にしろと思ったからだ。長男ばかり可愛がっていた自分のことを棚にあげてな。お前はオグの後押しをしただけだ。なのにお前達だけが悪いように皆に思わせた》
《当然だろう。兄さんを説得したのは俺だ》
《お前はいつもそうだ。何を言っても、何をしても、受け流してっ!》
 苛立ちに声を荒げた村長の頭の中で、違う思いが響いた。
―いや、そうじゃない―
 歌が聞こえる。
 全てを癒し、透過させる、その歌声。
―俺は・・・俺は―
 村長の心の蓋が、やっと開いた。
―俺は、疚しかったのだ―
 憑き物が取れたようだった。
 長く息を吐くと、心の力みも抜けた。
 素直な気持ちが、村長の口から滑り出す。
《長い間、色々と済まなかった》
 ムンが少し目を見開く。
 そしてゆっくりと笑みを浮かべた。
《凄い歌だな。外を見てみろ。枝からすっかり雪が落ちてる。ルージュサンは沢山特技があるんだと、道々セランから聞かされていたが、これ程とはな。顔を洗ったら飯にしよう。セランとルージュサンの話でもしながら》
 



 


楽園-Eの物語-葛藤

2022-08-12 21:34:16 | 大人の童話
 女達が出ていった後、ルージュサンは呼吸を整えた。
 心の中で五回、息を薄く平たく吐くように五回、囁くように五回、抑えた声で五回。
 決まり通り『春の喜びの歌』を歌う。
 そして普通に歌い始める頃には、山下ろしがごうごうと吹き荒んでいた。
―これではセランに届かない―
 ルージュサンは思った。
 今までの『歌い女』は、皆『神の子』の母親だ。
 息子の未来を見る力は、役立ちもした筈だ。
 いつまでも無邪気な様も、親にすれば可愛いものだ。
 けれどこの二つが合わされば、知りたくもない事を知らされた者から、恨みを買うことも多々あるだろう。
 元々異端とされる者は、排除される世の中だ。
 自分が先立った後の事を、心配するのは当然だ。
 そして神の元で幸せに暮らせるのだからと、我が子を捧げる宿命を、無理にでも受け入れることになるのだ。
 それのなんと残酷なことか。
 この小屋の閂も、洞窟を塞ぐ大きな岩も、獣から守るというのは建前で、我が子と逃げ出したくなる衝動を、抑えるためのものだろう。
 その葛藤を、血を吐くような思いを、母親は歌に乗せるのだ。
『我が子に届け』と。
 比して私はどうだろう。
 セランの異常な回復力が気になってその血筋を調べ、こうなる可能性に気づいた時は随分悩んだ。
 もしも私が望むのならば、セランはその命を一瞬たりとも躊躇わないだろう。
 全ては私次第なのだ。
 セランの命は惜しかった。
 娘達に親を失わせたくもなかった。
 他にも避けたい理由は山ほどある。
 けれど自分達が行かなければ、山はどうなるのだろう。
 気候の乱れのその先は、推測もつかなかった。
血に課されたものから逃げようとすれば、結局悪い形になって追い付かれるものなのだ。
 そう考えて悩んだ末に、もしもの時は行くと決めた。
 けれどもずっと、願っていた。
 私達が必要とされませんように。
 けれど願いは届かなかった。
 せめて無事でありますように。
 無邪気なセラン。
 明るいセラン。
優しいセラン。
愛しい、愛しい、愛しいセラン。
ルージュサンが歌っているのは『春の喜びの歌』だった。
その歌にセランへの想いを乗せることを、ルージュサンは止めることが出来なかった。



楽園-Eの物語-歌い女

2022-08-05 22:32:59 | 大人の童話
 五人が洞窟から出ると、女達はルージュサンと共に『歌い小屋』に向かった。
 それは洞窟から三十歩ほど離れた東側に建っていて、広くはないが、中に厠も付いていた。
 『歌い女』を中心に皆で正座し、他の女達で『春の喜びの歌』を歌う。
 五番まで歌い終えたところで、女達は無言で立ち上がった。
 小屋に『歌い女』だけを残し、外から丈夫な閂を掛ける。
 その前では、洞窟の入口を大きな石で塞ぎ終えた男達が待っていた。
黙ったまま合流すると来た道を戻る。
 その途中で、ムンと村長が抜けた。
 『聞き小屋』に入り、五日後に『歌い女』を戸板に乗せて里に下ろすのだ。
 その時、村人達も『家籠り』を止め、 里は春を迎える。
 但し『歌い女』は、まず三日ともたない。
 交替で耳を澄まし、歌声が途切れ次第、救けに行くのだ。
 その役目は村人に選ばれたものが担う。
 今回はオグも希望したが、長老に一蹴された。
 水差しだけを与えられる『歌い女』と違って、小屋には炉が切ってある。
 薪も水も食料もたっぷりと用意してあった。
 それでも山に慣れたムンと、村長が相応しいとされたのだ。
 二人が小屋に入ると、山頂から風が吹き下ろした。
 北からの強い風だ。
 村人達は追われるように、山を後にした。




 


楽園-Eの物語-陰鬱な空

2022-08-01 09:42:00 | 大人の童話
く 陰鬱な空の下、儀式は淡々と進んだ。
 私語を慎み、山道を上っていく。
 村で選ばれた男と女、二十四人づつだ。
 先頭が村長、次が男達、少し間隔を開けてセランとルージュサン、女達と続く。
 セランは辺りを見回して、冬山の景色を楽しんでいるようだった。
 そして振り向いては転びかけ、女達をひやひやさせた。
 山の中腹で村長が歩みを止めた。
そこが洞窟の入口だった。
大人が両手を広げてやっとぬ届く程度の幅だ。
中に入るのは村長、供物を捧げ持つ三人の男、『神の子』と『歌い女』だ。
 内壁は次第に湿り気を帯び、
空気は冷たさを増す。
 光はすぐに届かなくなり、村長とルージュサン持つ灯りだけが頼りだ。
 でこぼことした足元に気を付けながら進むと、程なく行き止まりになった。
 腰の高さに祭壇らしい凹凸がある。
 その中央には燭台、祭壇の手前には何枚もの毛織物が、重ねられていた。
 村長が燭台に蝋燭を置き、手燭から火を移す。
 次は供物だ。
殻が付いたままの穀物と木の実、干し肉と煮詰めた乳を左右対象に置く。
 織物の右奥に水差しと手燭を置くと、村長は後ろに下がった。
 セランがすい、と前に出て織物の上に立つ。
 そこにルージュサンが、背負ってきた織物を巻き付けた。
 ルージュサンが下がると、セラン以外の全員が正座になり、両手と頭を地に付けて、春の感謝と祈りの祝詞を唱和した。
 一回、二回、三回、四回・・・、十回・・・二十回・・・三十回。
 ゆらり。
四十三回目で炎が揺れた。
まず村長が、続いて全員が立ち上がる。
くるりと向きを変え、ルージュサンから手燭を渡された村長が出口に向かう。
ルージュサンの耳には、セランの息遣いが聞こえた。
 セランは背を向けたまま、ルージュサンの足音だけを聞いていた。