このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

神社のしめ縄は何を意味するのか?

2016年03月11日 | 日本

今週月曜日のテレビ放送「ぶっちゃけ寺」は出雲大社の特集でした。

その放送のなかで、重さが5トンもある「巨大しめ縄」が出てきたのですが、そのしめ縄の説明に、同伴されたお坊様が、龍または大蛇を現すと言っておられました。

 

また、二つの大きな縄がよじるように作られているので、大蛇の交尾の姿でもありますという言い方をされていましたが、少し違和感を持ちました。

 

確かに、一部の神社には鳥居に大蛇のようなしめ縄を飾っていますが、出雲大社のように長い歴史があり、由緒ある大きな神社のしめ縄の説明には、納得できませんでした。

 

それで、この拝殿にかかっている「しめ縄」、そのしめ縄からぶら下がっている「紙垂(しで)」

それから、しめ縄と同じ場所にある「鈴」について、少し調べてみました。

 

基本的に、しめ縄(注連縄)には、神様をまつるのにふさわしい神聖な場所であることを示す意味があります。しめ縄が神の領域と現世を隔てる結界となり、その中に不浄なものが入らないようにする役目も果たしているとのことでした。

 

その由来は、天照大神が天の岩戸から出た際に、再び天の岩戸に入らないようしめ縄で戸を塞いだという日本神話にあるとされ、「しめ」には神様の占める場所という意味があるといわれています。

 

また、神社は勿論ですが、山にある大きな岩や巨木、海の奇岩、湧水地などにしめ縄が飾られるのは、そこには神様が宿っているとされているからです。

 

余談ですが、しめ縄を「注連縄」と書きますが、どうしてもそのようには読めません。

この由来は「注連(ちゅうれん)」という言葉が、中国で死霊が入り込まないよう、水を注いで清め連ね、張った縄を意味しているということでした。

 

しめ縄は古事記に「尻久米縄(しりくめなわ)」と記され、しめなわの始まりとされている。

「尻久米縄」とは《端を編んだまま、切らないでおく縄の意》とのことです。

 

しめ縄から垂れている特殊な断ち方をして折った紙を紙垂(しで)といいます。

「紙垂」は、あの雷マーク型の紙です。神様の降臨を表すといわれています。しめ縄が目立つように「標識」の役割をしているようにも見えます。

 

しめ縄に紙垂を垂らして神域や祭場などに用いた場合は、聖域を示す象徴となります。

現在の相撲制度ができる前の最高位は、大関でした。その中で、選ばれた特別な力士だけが締めることができるのが横綱、すなわち「しめ縄」です。これがのちの、最高位横綱の起源となっています。横綱は、すでにもう神域に入った力士ということではないのでしょうか。

 

最後は「拝殿の鈴」についてです。

多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真鍮製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布(鈴の緒)などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。

 

社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられているのです。

 

巫女による神楽舞も神憑りのためであったものが、現在は神様に奉納することでお慰めするという意味合いが強くなり、神楽舞の後で鈴振りを行うことで参拝者を祓い清めるとともに、神様のご加護をいただくという役割を果たしています。

 

以上が、「しめ縄」「紙垂」「鈴」の一般的な解釈だと思います。

 

しかしながら、私は宮沢賢治が花巻農学校で教鞭をとってときに生徒に教えていた「しめ縄=雲」、「紙垂=雷」説がもっとも納得できます。

 

要するに、「しめ縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は雷(稲妻)を表わしている」という説です。これは、神社で云われている説で宮沢賢治の自説ではありませんが、しめ縄は元来、豊作を願って神社に奉納されたものだと思っています。

 

日本の縄文神道は、日本列島における最古の信仰であり、自然界において、あらゆる存在に神が宿ると考えるもの。たとえば、山の神、海の神、大きな岩に宿る神など、日本人がもっとも素朴に抱いている信仰です。

 

これに対して、弥生神道には稲作をはじめとする農耕に関連した神々の信仰がある。畑作の豊作を祈念し、特に穀物など食物の神が対象となる場合が多い。大嘗祭(天皇が即位後初めて行う新嘗祭をいう)における稲作にかかわる神々への信仰は、この弥生神道に起源がある。

 

このため、神社の神事や装飾は、稲作文化に深く関与しているものと思っています。

そして、「しめ縄=雲」が発達して、「紙垂=雷」が発生し、「鈴=神鳴り」の音がとどろき、

鈴に添えての紅白・五色の布は落雷の火柱を現しているのではないでしょうか。

 

これは、神様の降臨を指し示す情景ではないかと思います。

鈴を鳴らすことは、神様にお詣りする前に気持を引き締めるためでもなく、または心を込めてお詣りしますから神様どうか私の願事をよく聞いてください、と神様の注意をこちらに向けようとして鳴らすわけでもありません。鈴を鳴らす理由は神様の降臨を意味するのではないのでしょうか

 

落雷があると空気中の窒素と酸素画反応して窒素酸化物が生成(窒素固定)され、さらに酸素により硝酸に酸化され、亜硝酸塩が生成されて植物が栄養分として利用できる物質となる。そのため、落雷した水田では収穫量が増えるのです。

 

今でも、水田などで雷が落ちた場所を青竹で囲い、しめ縄を張って五穀豊穣を祈る習わしが各地に残っていますが、これは科学的にも証明された事実なのです。

 

このように考えると、日本の神社は弥生神道に由来することが多いように思います。

鈴の緒を振って、鈴を鳴らすことが神様の降臨という説は少数意見だと思いますが、ご参考にしてください。

 

それにしても、日本の各地に多くの神社があるということは、神聖な場所が多いということであり、私たちが神様と触れる機会が多いということでもあります。神様に感謝いたします。

 

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国連は「国際連合」ではなく... | トップ | 脳内ホルモン「オキシトシン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事