(「富」に関する教えがなかったキリスト教や仏教)
これは、「豊かさ」という意味においては大事なことだと思うのです。
キリスト教では、イエス自身、生きていたときには「清貧(せいひん)の思想」を説いていましたし、新しくローマ法王になった方(フランシスコ)なども、そのようなことを言っているようです。
今、バチカンは、さまざまなスキャンダルをたくさん抱(かか)えていて、批判も強くなっています。そのため、信者からのバチカンへの寄付は、2006年には百億円ほどありましたが、2012年には六十数億円にまで減ってきているのです。
これは、日本では中堅(ちゅうけん)教団の規模ぐらいになるでしょうが、人気が落ちたら末端の教会の収入も減り、そこからの奉納(ほうのう)も減ってくるということでしょう。
そういうわけで、今のローマ法王は、すごく質素(しっそ)であることを一生懸命に強調しています。彼は、「アルゼンチンにいたときは電車で通っていた」というようなことを強調したりしているので、やはり、厳しいものです。
それから、原始仏典(ぶってん)によれば、仏陀(ぶつだ)もかなり質素な暮らししかできなかったことが書かれています。ただ、後世、大乗(だいじょう)仏教になってからは、いろいろな建物が建つようになり、一万人もの人を収容できると言われた*ナーランダ学院という大学のようなものをつくったりして、仏教教団も経済規模が大きくなっていっています。
(「軍神」や「経済繁栄の神」を信仰する傾向にある日本)
キリスト教であれ、仏教であれ、日本に入ってくるときには、一種の“変質”をしていると思います。日本には、神について古代からの考え方があります。日本の神というのは、戦(いくさ)で勝つのです。したがって、神のかたちとしては、「軍神(ぐんしん)」のように戦に勝利した神が非常に多くなっています。神武天皇もそうでしょうけれども、古代から、戦で勝った人が神になっているわけです。
また、近・現代であっても、*乃木大将や*東郷平八郎も、ちゃんと神になっていますし、明治大帝(たいてい)のときも、ずっと戦に勝っていましたから、明治神宮という大きな神社が建っています。
昭和帝も、ある程度、神格のある方だとは思うのですが、やはり、戦で負けたところがあるため、今のところ、「昭和神宮」が建つ雰囲気(ふんいき)はありません。
そういうことで、日本は、戦に勝った神を信仰(しんこう)していることが多いのです。ただし、なかには、敗れた人を祀(まつ)ることもあります。
*菅原道真(すがわらのみちざね)が怨霊(おんりょう)になって京都を祟(たた)ったため、しかたなく天神(てんじん)様として祀られたようなこともありました。そのように、調伏(ちょうぶく)のために祀る場合もありますけれども、日本からすれば、外国の神にそういうところが多いように見えるようです。
いずれにせよ、日本には、「戦にきちんと勝ち、経済的に豊かにしてくれる神」を信じる傾向があるのです。こうしたものも、日本神道の流れのなかにあります。
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*ナーランダ学院:5世紀、インド・グプタ朝の時代に創設された仏教の僧侶養成学院。最盛期には1万人もの学僧を集め、仏教教学を中心に、バラモン教の教学や哲学、医学、天文学、数学などを研究する、総合大学の様相を呈していたと伝わる。
*乃木希典(まれすけ)(1849~1912):長府藩出身の軍人。陸軍大将。日露戦争では第三軍司令官として旅順(りょじゅん)攻略を指揮。明治天皇の大葬(たいそう)の日に殉死(じゅんし)。
*東郷平八郎(1847~1934):明治の海軍大将、元帥。薩摩藩士(さつまはんし)。維新後イギリスに留学。日露戦争で連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮、「T字戦法」でロシアのバルチック艦隊を破り日本を勝利に導いた。
*菅原道真の祟り:平安時代、藤原家との政争に敗れた菅原道真は九州・太宰府(だざいふ)に左遷(させん)され、失意のうちに亡くなる。その後、道真の左遷にかかわった藤原時平(ふじわらのときひら)をはじめとする関係者の変死・病死・旱魃(かんばつ)や疫病(えきびょう)、清涼殿(せいりょうでん)落雷事件などが相次ぎ、道真の祟りと恐れられた。
---owari---
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