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このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

日本社会が到達した水準の高さがマンガ・アニメに反映している

2017年11月13日 | 日本

前回、日本のマンガ・アニメについて、アメリカは産業利益だけを見ているが、イギリスは文化と精神を見ていると伝えた。イギリスとアメリカでこんなに見方が違うのである。

 

イギリスはヘーゲルが言った「精神の世界史」を知っているが、アメリカは知らない。アメリカ人は失礼だが教養がない。それから日本人は教養があろうがなかろうが、ともかく文化的魅力の創造と普及を実行している。

 

日本は別にアメリカやアジアへ行ってしこたま儲けようと思っていないし、日本精神を広めようとも思っていない。自分が面白いものをつくって、自分が読み捨てにして、人が買いにくるから渡しているだけである。

 

そんなもので裁判を起こしている間に、また次のことをやりたい(それが本当のクリエイティビティで、本当の文化人である)。次のものをつくるのが楽しい、嬉しい、それが忙しいんだという若者が日本にたくさんいる。

 

これが日本の底力である。

 

輸出産業をつくるつもりでやっているわけではない。ただ好きでやっている。それが自然と輸出産業になっている。

 

文化とはそういうものである。自分が好きなことをやっていて、それが良いものであれば、自然と人がついてくる。

 

だから、周りから言われても「へえー」と思うだけ。へえーと思って、さっさと忘れるのが正しい態度である。(「言われたから頑張ろう」と急に動き出すのは情けないインテリの態度)。

 

世界から注目されていることを、ようやく日本人自身が知るようになった。それで、自分のマンガとはいったい何だろう、日本人がつくっているアニメはいったいどういうものなのか、と自分で考えるようになった。

 

外国の人が言う日本マンガの特徴は、大きく言って三つほどある。

まず第一に、少女マンガがある。

第二に、ストリートマンガがある。

第三に、主人公が成長する、ということ。

 

(それからアジアの若者の意見を第四に付け加えれば、「成功とは何か、勝利とは何か、人生とは何か」の考え方が深すぎてついていけないというのもある。しかし、そこまで分かるようになったとは、欧米より進んでいる。それから、以上の結果だが、第五に大人も読むという社会現象がある。それがコミックとは違っている)。

 

さて、以上の理由を考えてみたいと思う。

日本には子供マンガというのがあり、特に少女マンガがある。その少女が中学生になり高校生になって、だんだん大人になっていくところを描いたものがある。「こんなものは世界中になかった」と言われてみても、別にそれがどうしたと私たちは思ってしまう。しかし、世界はそう思っている。

 

その原因だが、まず乾いた解説から始めると、子供のこづかいの金額が違う。30年前あるアメリカ人は「ヨーロッパでは子供は1人1年に19ドル。アメリカは70ドル。だから子供産業はアメリカが一番」と言ったが、そんな数字を言うのなら、日本は200ドルぐらいある。「お年玉」があるからだ。お年玉→マンガ→ファミコン→ケータイ→?と考えると、“日本型IT革命”の根源はお年玉だとわかる。そういう経済的自由が少女にもある国は他にない(アメリカのIT革命の出発点は国防予算)。

 

今でも多くの国では、女の子が中学生、高校生になるなどは、よほど大金持ちの家庭であって、したがってそんな学校は幾つもない。だから、女子中学校が対抗試合をして、それで盛り上がるなどという風景は最近ようやくのことである。

 

ヨーロッパでも女性が高校に行くのは、最近まで多くなかった。「日本では99パーセントが高校に行く。女の子はほとんど高卒ですよ」と言うと、ヨーロッパの人は「へえー。女の子を高校に行かせて何にするのか。医者にするのか、弁護士にするのか」と聞く。「そんな気は誰一人ない。ただ、行っている」と答えると、「そんなもったいない。女の子はウエイトレスにして働かせれば、ちゃんと稼いでくれるのに」と平然と言うのである。

 

当時、調べてみると、ヨーロッパの女性の高校進学率は50パーセントだった。50パーセントを超えて、だんだん上がっていこうというときだから、女の子は働くものであって、学校へ行ってスポーツの試合なんかするものではなかった。

 

そこへ『アタック№1』が日本から入ってきて、女の子がファイト、ファイトと試合するのを見ると、これは一体どういう国だと思ったことだろう。もっとも、フランス語とかイタリア語に吹き替えて、名前もマリアーヌとか何とかになっていた。テレビを背中で聞いていると分からないが、振り返って見たら、なんだ『アタック№1』じゃないか。

 

背景に富士見学園と漢字で書いてある(笑)。「あれは日本のマンガだよ」と言っても、「そうか、知らなかった」というようなものだった。ちなみに、『アタック№1』が日本に放映されたのは1969年である。

 

これを理屈っぽく言えば、日本のほうが男女平等であり、女子教育が普及していて、女性が男性と変わらない活動をしている。その物語を外国はびっくりしながらも、面白がって見ていたのである。

 

つまり、日本マンガ・アニメが面白いということの根本を探ると、日本社会が到達した水準が全然違って高いということがある。既に到達しているから我々は何とも思わないが、外国人には珍しい。

 

だから、日本は二、三十年進んでいる。論理的に考えるとそうなるわけで、「日本には女性の学校生活を描いたマンガがある。なんとも珍しい」と言うのを社会的・経済的条件の違いから、きちんと言葉に置き換えて説明すればこのようになる。

 

終戦後にハリウッド映画を日本人が観て、アメリカ式の生活に憧れたのと同じ面がある。

これからはアジアだけでなく、欧米の人々も日本文化に憧れる時代が来ると確信している。

 

---owari---


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