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このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

古典教育が国家を発展させるという逆説(前編)

2022年04月06日 | 日本
「国際派日本人養成講座」(編集長・伊勢雅臣さん)からお伝えします。
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(プランプランのドードー巡り)
「文科省はゆとり教育、総合学習の反省もないまま、また新しい事を始めようとしている」というのが、文科省の「学習指導要領改訂の方向性について」の説明ビデオを見た感想である。

その説明パネルでは、「他者と協働しながら、価値の創造に挑み、未来を切り拓いていく力が必要」などと、立派な理念が抽象的な言葉で語られているが、そこに決定的に欠けているのが現状の事実分析である。今の教育で何が出来て、何が出来ていないのか、という事実の把握と分析がない。

実業の世界では、仕事の基本はPlan-Do-Check-Actionのサイクルである、と良く言われる。計画(Plan)を立て、実行(Do)した後で、その結果をチェック(Check)し、必要な修正アクション(Action)をとる。このPDCAサイクルの要がCheckである。Plan-Doの後、反省もせずに、次のPlan-Doに行くのは「プランプランのドードー巡り」だと、からかわれる。

日本の教育行政は、1980年代からの「ゆとり教育」、2000年代からの「総合学習」と、どう見ても成功したとは見えない施策をとってきた。その評価反省もなく、今回2020年から実施する新しい学習指導要領で「アクティブ・ラーニング」を柱に進めるというが、今回もCheckもActionもない「プランプランのドードー巡り」を繰り返しているのではないか。

(こんにゃくの作り方)
新しい学習指導要領の目玉とされる「アクティブ・ラーニング」とは「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」と定義されているが、教育学者の齋藤孝・明治大学文学部教授はその実施例を見学して、こう述べている。

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私が実際見学した例でも、小学校において、「こんにゃくの作り方」というテーマで一時間生徒に話し合わせる授業があった。一見、熱心に話し合っているようには見えたが、生徒たちはそれぞれ自分の言いたいことを言うだけで、的確な根拠に基づいて思考し、判断し、次の課題にいくという過程は見られなかった。そして、それを教師や他の生徒が「評価しよう」とする場面もなかった。
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「的確な根拠に基づいて思考し、判断し、次の課題にいくという過程」とは、上述のPDCAサイクルと同じである。言いたいことを言うだけで、その評価反省がないのでは進歩はない。教育現場も文科省官僚と同じ過ちを犯すだけだ。

教育現場の事実を知らない文部官僚が、机上で作成した理念を教育現場に押しつけ、教師がそれに右往左往し、子供たちもわけがわからないままに貴重な授業時間が過ぎ去っていく、そんな光景が目に見えるようだ。

(なぜ下位のアメリカに学ばなければならないのか?)
齋藤氏の著書『新しい学力』には、教育行政のCheckとなりうる事実分析がある。たとえば、こんな一節だ。65カ国・地域、51万人の15歳を対象として問題解決能力を評価する「学習到達度調査(PISA)」での2012年の結果では、日本は数学的リテラシー7位、読解力4位、科学的リテラシ-4位だった。

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・・・日本はどの分野も比較的上位に位置し、日本より上なのは、主に上海やシンガポールなど、日本より著しく規模の小さい地域、それも東アジアの地域である。

一方で、問題解決能力教育において「進んでいる」とされ、最も頻繁に参考にされるアメリカは、数学的リテラシーが三十六位、読解力が二十四位、科学的リテラシーは二十八位である。
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今回の学習指導要領の改訂でも、問題解決型能力の育成が重視されているが、その教育の先進国であるアメリカよりも、日本ははるかに上を行っているのである。

特定のテスト結果だけではなく、史実も挙げて齋藤氏は言う。
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歴史をさかのぼってみるとき、例えば明治維新を成し遂げた人々は、「学力」ということでいえば、徹底的に「素読(そどく)」を中心とした伝統的な教育を受けた人々である。問題解決型学習とは程遠いようにみえる素読を技として身につけた人々が、現実に押し寄せてきた植民地化の波から日本を救い、欧米列強に追いつくという、大きな「問題解決」を成し遂げたのである。

あるいは、第二次世界大戦後の焼け野原から立ち上がり、世界第二位の経済大国にまで成長を遂げ、同時に平和で民主的な社会を作り上げてきた人々の中心は、戦前の教育を受けた世代の人たちであった。個性や主体性とはかけ離れた教育を受けたようにみえる人たちが、昭和二十年代、三十年代に、爆発的な学習意欲を示し、これまた「問題解決」を成し遂げた。

つまり、日本の近代史において、最も主体的に動き問題解決を成し遂げた世代とは、現在でいうところのまさに「伝統的な教育」を受けた人たちであった。この事実をしっかり確認しておきたい。
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こういう事実を無視して、わが国よりもはるかに順位の低いアメリカの教育を参考にしようとするのは、どういう料簡(りょうけん)だろう。文科省官僚自身の問題解決能力の再教育が先決ではないのか。

(思考の持久力)
アクション・ラーニングという思いつきから、こんにゃく作りの授業を考える暇があったら、まずは、明治維新を成し遂げ、近代国家を作りあげたわが先人達の世界史的に見ても希有な「問題解決能力」がどこから来たのか、事実に基づいて考えるべきだろう。

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・・・明治日本という近代国家を造り上げたのは、江戸時代の素読中心の学習をしてきた者たちである。伝統的な教育の最たるものである素読を中心とした学習によって育てられた者たちが、なぜ世界史上まれにみるほどの急速な近代化をなしとげることができたのか。
この逆説をよく考えてみる必要がある。
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齋藤氏は、その逆説を福沢諭吉のケースを通じて考えている。諭吉は西洋諸国の文明を学び、科学など役に立つ学問を重んじた。しかし、幼い頃に受けた教育は「孟子」の素読から始まる漢学だった。

とりわけ得意だったのは「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」で、「大概の書生は左伝十五巻の内三、四巻でしまうのを、私は全部通読、およそ十一度び読み返して、面白いところは暗記していた」。

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読書は伝統的な教育の柱であるが、十一回読み返すという常識を超えた行為、これはもはや主体的な、アクティブな活動であるといえるのではないか。
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春秋左氏伝はシナの紀元前700年頃から250年間の歴史を描いた史書で、岩波文庫版では3分冊で各巻500ページ近い分厚さである。
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問題解決を行なっていくためには粘り強い思考力が必要となる。困難を目の前にしてもひるまずに取り組み、持続的な思考を維持する、いわば「思考の持久力」が求められる。それを養成するためには、名著と呼ばれる「古典」を読むことが効果的である。
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古典は、最初は良く分からなくとも、何度も読み返していくうちに、人間とは、社会とは何かについて、著者と深い対話をするようになる。その面白さが11回も呼んだ原動力になったのだろう。

こうした学問の面白さは、こんにゃく作りを1時間くらいしたのとは比べものにならない深いものだ。それを体験することは、生涯にわたって、いろいろな分野に挑戦していく原動力となる。
 
---owari---

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