”仏法真理”よりお届けします。
私はかつて、あなたがたに、このように教えたはずである。
たとえ、おまえたちは、どのように穢れた肉体に宿っていようとも、
どのような、汚れた衣を身にまとっていようとも、
たとえ、その体が骨と皮になるとも、
おまえたちの魂は、永遠の王国を築いているのだと。
そうして、この王国の主人たる魂は、
この魂を、魂の動きを、
魂の躍動を統御してこそ、
はじめて本物の王者となれるのだと。
そして、自らの心の王者となるのは、
あなたがた一人ひとりがその資格を有するのであって、
あなたがた以外にその資格を有する者はないのであるということを。
よくよく思い出しなさい。
心の支配者となれと、私は説いたはずである。
心の王国を統御せよと、我は教えたはずである。
心とは、
あなたがたが統御する力をつければつけるほど自由自在となり、
それは、天馬のごとく、空高く駆けることも、
地の上を駆けることも自由自在となる。
私はそのように説いてきたはずだ。
まず、あなたがたは、その教えを、その法の核心を、思い出しなさい。
自らの心を統御するのは、自ら自身であるということを。
そして、その心があなたがたに与えられているということは、
その心を統御しうるのは、統御し尽せるのは、
あなたがた自身であるということを。
そして、自らの努力によって、
精進によって、
統御し尽くすことのできない心は、ないということを。
そういうことを、私はあなたがたに教えてきたはずである。
そうしてまた、私はあなたがたに教えたはずである。
自らの心を鍛えた時に、
そこに偉大なる精神力というものが芽生えてくるのだと。
自らの心を鍛えることによって得たこの精神力こそ、
あなたがたの地上での魂修行の大いなる成果なのであると。
今世の修行は、
偉大なる精神力を得るための修行でもあるのだということを。
あなたがたの筋肉が鍛えられて力強い筋力を発揮するように、
あなたがたの心が鍛えられ、練られて、
はじめて、力強い精神力というものが発揮されるのだ。
そうして、いったん獲得されたこの精神力は、
もはや、隠すことができない。
もはや、衰えることはない。
もはや、その価値が減ずることはない。
その力は、あなたがたの不朽の宝であるのだ。
そう、私は説いてきた。
人間の精神力は、鍛えれば鍛えるほどに力を増すものだとも、
私は説いてきた。
そうして、この精神力を鍛えるための方便として、
いくつかの修行があることも、私はあなたがたに説いてきたはずだ。
そう、私はあなたがたに、いくつかの修行の目標を与えた。
そのなかの最大のものは、執着を断てという教えであったはずだ。
(高次なるもののために)
執着を断てと語った、私の教えを思い出すことができるであろうか。
私が、執着と語ったものの内容を思い出すことができるだろうか。
人間の地上での意志はともすれば弱くなり、肉体に隷属しがちである。
肉体の欲望に、
あるいは肉体を基盤として発生するところの欲望に流される。
そういう傾向があると、私は語った。
人間の欲そのものを悪しきものとは言うまい。
なぜならば、人間も一種の生物として、
その種族の保存という、法則のもとに生きているからだ。
しかして、この種族の保存は、
ただ単に、動物・植物のように、
保存されることのみをもって、よしとはされない。
あなたがた、法を学んだ者たちは、
あなたがた、仏陀の弟子と呼ばれる修行者たちは、
やはり、それ以上のものでなくてはならない。
単なる地上での生存を目的としてはならない。
地上での生存は、生存以上の目的があって、
はじめて肯定されるものなのである。
したがって、生存のための手段を、目的と間違えてはならない。
生存は、
それより高次なるものを支えるための手段であるということ、
地上に生存するということ自体が、
より高次なる目的に奉仕するものであるということ、
それを忘れてはならない。
あなたがたにも、欲望はあるであろう。
その欲望そのものは、
あなたがたの生命力と不可分になっているであろう。
欲望すべてを断つということは、
生命力を断つということにも等しいかもしれない。
それゆえに、私は常づねあなたがたに語っていたはずだ。
淫らな想いを断てと、
よこしまな想いを断てと、
そのように語っていたはずだ。
淫らなる情欲を断て。
よこしまなる金銭欲を断て。
よこしまなる支配欲を断て。
よこしまなる所有欲を断て。
よこしまなる飲食癖を断て。
そうしたことを、私は言っていた。
淫らなる言葉を語るな。
よこしまなる心のもとに行動するな。
そうしたことを、いつもいつも我は語ってきたはずである。
---owari---
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