多くの古代文明が滅んでいるのに、我が国が古代から同じ文明を持続発展させているのは何故か?
(「死せる遺跡」)
正月休みを利用して、メキシコ・ユカタン半島のマヤ遺跡の一つチチェン・イッツアを訪れた。幸い天気もよく、強い日射しに30度を越す暑さで、ガイドの説明を聞くにも木陰に入らねばならない。
ガイドはマリオという身長150センチほどもない老人で、90%はマヤの血筋だと言っていた。このあたりのメキシコ人は男性も女性もみな背が低い。どうやらマヤ人は背が低かったようだ。マヤ語は今も残っているそうで、マリオは、自分も子も孫もマヤ語を話せると言っていた。
遺跡は高さ24m、底面55m四方の階段状のピラミッドを中心に、祭壇や球技場など壮大な石造りの建物が散在している。球技場の壁画では、マリオは、球技の勝者は名誉を讃えて、首を刎(は)ねられたという説明をしていた。最新の考古学では敗者の方が首を刎ねられる、という説が有力になっているようだが、いずれにせよ、マヤ人の血筋は残っても、当時の記憶は失われているので、遺跡の説明は現代の考古学者の研究成果に頼らねばならない。
これらの遺跡は9世紀から13世紀に栄えたマヤ文明によって作られたが、その後、森林破壊による食糧不足、疫病の流行、戦争などによって打ち捨てられたと言われている。
現代に生きるマヤ人の末裔は、その記憶を完全に失っている。したがって、そのピラミッドはまさに「死せる遺跡」である。訪れている観光客は多いが、その目的は遺跡見物であり、ピラミッドを作った人々の祈りは、誰も受け継いでいない。
(生ける伊勢の神宮)
マヤの遺跡を見ながら、私は正月の伊勢の神宮での賑わいに思いを馳せていた。一昨年の式年遷宮で、この正月の参拝客はまだ真新しい橋を渡り、白木のお宮を拝んで、清々しさもひとしおであろう。
マヤの「死せる遺跡」とは違って、神宮は今も生きている。我々日本人が千数百年も前から、現代にいたるまで参拝し続けているからである。御遷宮のあった平成25年は参拝者14百万人だったというから、日本人の10人に一人以上が参拝している勘定になる。
イギリスの文明史家アーノルド・トインビーが、伊勢の神宮を訪れて、「世界には神聖な場所がいくつかありますが、伊勢の神宮は最も神聖な場所の一つ」として、ギリシアのデルファイ神殿などと同列に語った。
それに対して、案内役の皇學館大学教授・田中卓氏が「デルファイは壊れた柱が数本立っているだけの廃墟だが、神宮は一環した生命を保っている」と違いを指摘したところ、トインビーは「なるほど」と答えた。
マヤやデルファイのみならず古代の宗教施設は、エジプトのピラミッド、ギリシアのパルテノン神殿、イギリスのストーンヘンジなど、みな「死せる遺跡」に過ぎない。千数百年前に創られて今もこれほどの参拝者が訪れる宗教施設として、伊勢の神宮は世界的に見ても珍しい存在である。
伊勢の神宮に限らない。今年の三が日の初詣のトップテンは、明治神宮(約316万人)、成田山新勝寺(約305万人)、川崎大師(約302万人)を筆頭に、9位・太宰府天満宮(約200万人)、10位・神戸市の生田神社(約152万人)と続く。
正月3が日の寺社トップテンだけでの合計約2500万人。全国に神社だけで8万はあると言われているので、それらを含めたら、その数倍の1億数千万人、すなわち日本人全員が1回は初詣に行っているということになるのではないか。「日本人は無宗教」どころか、これほど熱心に宗教施設に参拝する国民も珍しい。
(夜明け前の祈り)
元日の夜明け前から出かける熱心な初詣客も多いが、その頃、皇居では陛下が神々をお祀りされている。午前5時半から、皇居の白砂の上に小さな畳を敷き、屏風で囲った御拝座で行われる四方拝(しほうはい)は、伊勢の神宮をはじめ、神武天皇陵、明治・大正・昭和天皇の各山稜、石清水八幡宮、熱田神宮など、四方の諸神を拝される。
続いて「歳旦祭(さいたんさい)」では宮中三殿(賢所(かしこどころ)・皇霊殿・神殿)で天皇と皇太子が、天照大神、歴代天皇、および八百万の神々に、旧年の神恩を感謝され、新年にあたり国家の隆昌と国民の幸福を祈願される。
明けそむる賢所の庭の面(も)は雪積む中にかがり火赤し
平成17年の御製(天皇のお歌)である。朱に染まる朝空、赤々と燃えるかがり火、庭を覆う真っ白な雪。身を刺す寒気のただ中で、81歳の陛下が国の平らぎと民の幸せを祈られる。
陛下のお祀りは元日だけではない。主な宮中祭祀だけでも、神嘗祭、新嘗祭、春季皇霊祭、秋期皇霊祭など20以上。それに毎月1日、11日、21日の旬祭にも、ほとんど代理に任せず、ご自身でなされる。
さらに毎朝の「日供の儀」(にっくのぎ)、「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)があり、さすがにこれらは内掌典(女性)や侍従が代拝する。しかし、その間も陛下は「おつつしみ」、すなわちお祈りされている、と言われている。
こうした世の平らぎと民の幸せを祈られる宮中祭祀が、天皇の御本務なのである。弊誌で紹介してきた被災地やハンセン病療養所、養老院、孤児院などへのお見舞い、「全国植樹祭」「豊かな海づくり大会」などへのご参加は、その御祈りが外に現れた形と言っても良い。
(「神を祭ることが、まず先」)
天皇の御本務が神々への祈りにある、とは1千数百年前から語り継がれ、歴代天皇が継承されてきたことだ。たとえば西暦645年の『大化の改新』の頃、天皇に対して、こんな進言をしている人がいたと『日本書紀』は記している。
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天皇は、まず神祇(あまつかみ・くにつかみ)を祭り、そのあと政治(まつりごと)を行うべきです。
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『大化の改新』は聖徳太子の描いた理想国家を具現化しようとしたもの、と弊誌は捉えたが、政治(まつりごと)の根底には、民の幸せを神々に祈る(まつりごと)ことがなければならない、と我が古代の先人たちは考えていた。
鎌倉時代の第84代順徳天皇も、宮中の行事・制度などを解説した『禁秘抄』に、こう書かれている。
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すべての皇居で行うことのうち、神を祭ることが、まず先であり、他のことは、すべてそのあとに行うものです。天皇たる者、朝から晩まで、神を敬うことを怠けてはなりません。
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こうしたお諭しを、8百年後の今上陛下もそのまま実行されているのである。
(「世の平らぎ」と「民安かれ」)
歴代天皇が神々に何を祈られたのか、近現代の天皇の御製を見てみよう。
今上陛下(第125代)
波立たぬ世を願ひつつ新しき年の初めを迎へ祝はむ
昭和天皇(第124代)
わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々
大正天皇(皇太子時代のお歌、第123代)
もろもろの民安かれの御いのりも年のはじめぞことにかしこき
明治天皇(第122代)
とこしへに民安かれと祈るなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ
孝明天皇(第121代)
あさゆふに民やすかれと思ふ身のこころにかかる異国(とつくに)の船
まるで同一人物の歌かと思ってしまうほど、5代の歴代天皇が祈られているのは、すべて「世の平らぎ」と「民安かれ」なのである。この祈りが皇室の伝統を貫いている。
(「無償の愛」)
皇學館大学教授の松浦光修教授は、天皇の祈りについて、こう書いている。
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・・・ふつうの人が神仏に「祈り」をささげる時の「祈り」の内容は、ほとんどの場合、「自分の幸せ」とか、「家族の幸せ」とか、せいぜい広がっても「自分のいる組織の幸せ」とか、そういう、いわば「現世利益」の「祈り」が多いでしょう。
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松浦教授は、前節に紹介した昭和天皇の「わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々」を挙げて、
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天皇の「祈り」は、人々に対する、このような「無償の愛」に貫かれています。「無償の愛」というのは、「見返りを求めない愛」のことです。・・・
「愛」といっても、この世には、いろいろな「愛」がありますが、それらのうち、もっとも尊いのが、この「無償の愛」だといわれています。
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人は、他人が「何か」をしてくれるから、「何か」をする。愛してくれるから愛する、褒めてくれるから頑張る、等々。
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けれども天皇は、ただ一方的に、人々の幸せを祈ってくださるのみで、それに対する見返りなどは、何も求められません。それは無条件の愛、、、ただ与えるのみの愛です。
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(「国民の父母」)
凡人である我々も、「無償の愛」を体験しうる。それは子どもを授かって、親になった時である。
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・・・ふつうの「お父さん」や「お母さん」は、わが子が、たとえ「困った子」であろうと、「どうしようもない子」であろうと、自分を逆恨みするような子であろうと、それでも、なお愛してやみません。
ふつうの人は、親になってはじめて「無償の愛」というものを、深く実感できるようになるようです。
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天皇の「無償の愛」とは、我々が子どもに抱く「親の愛」と同じなのである。「天皇とは国民の父母」である、とは、皇室の伝統的な自覚であった。
戦国時代の105代後奈良天皇は、国内に悪い病気が流行して、国民が苦しんでいることに、とても心を痛められて、秘かに有り難いお経を写して、お寺に奉納された。その理由について、お経の最後にこう書かれている。
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今、国民が流行病で苦しんでいるのは、国民の父母である私の徳が足りないからではないかと思われ、私はとてもつらい思いです。もし、このお経の不思議な力で、国民の苦しみが少しでも楽になればと思い、奉納します。(『宸翰英筆』)
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(天皇の祈りは「国民統合力の源泉」)
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陛下は私たち国民の幸せを、日々祈ってくださっています。「ならば・・・私たち国民一人ひとりは、その御恩に、どう報いていけばいいのか?」と私は考えるのです。(中略)
私は、いつも「感謝の心」と「報恩の行い」は一つのものと言っています。(中略)私のいう「報恩の行い」とは、“一人ひとりの国民が、日本人としての“つとめ”を、それぞれの立場で、りっぱに果たして生きること”、それが基本です。(中略)
私たちは、「私は陛下に喜んでいただけるような生き方をしているのか?」とみずからに問うてみなければなりません。
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陛下の「無償の愛」を「無償」で終わらせないためには、それに対する「感謝」と「報恩」の心を持って、「日本人としてのつとめ」を果たすことである。
「日本人としてのつとめ」と言っても、そう大げさに考える必要はない。初詣で、家族の健康や事業の成功などをお祈りした後に、「我が国が平安でありますように」「国民みなが幸せでありますように」と付け加えてみてはどうか。
あるいは、受験祈願をする際に、「神様、ぜひ合格させて下さい」という祈りに付け加えて、「合格したら、一生懸命に勉強して、少しでも世のため人の為に役立つ人間になります」と誓う。
そうした祈りは徐々に、しかし確実にあなたの生き方を充実させ、「世の平らぎ」と「民の幸せ」への陛下の御祈りを実現させる方向に寄与していく。曇りのない目で我が国の歴史を学べば、そういう生き方をした日本人がいかに多かったかに、驚かされる。
天皇は「国民統合の象徴」だが、天皇の祈りは「国民統合力の源泉」なのだ。マヤ、エジプト、ギリシャなどの古代文明はとうに滅びてしまったのに、我が国が古代から現代まで脈々と一つの文明を持続・発展させ、その中で他文明に比べてはるかに立派に「世の平らぎ」と「民の幸せ」を実現してきているのは、この国民統合力によるものである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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