(形式的なものが多いのが日本神道の特徴)
霊界の影響といっても、高級霊界からの影響もあれば、動物あたりを祀る信仰まであるので、このあたりの違いは多少知っておいたほうがよいと思います。
もちろん、殺生は少ないほうがよいとは思いますが、多くの人口を抱えている以上、ある程度しかたがない面もあるかもしれません。ただ、食べられる動物にも魂はありますし、植物にも一部、妖精風の魂がある場合があります。
樹齢数百年の木などが神社にある場合、そうした「ご神木のような木を切ると祟(たた)りがある」というようなことはよく言われますが、ある程度、樹齢の長い老木になると、やはり何らかの「木の精霊」のようなものがいるのは事実であります。
そのため、場合によっては、そういったものが何らかの霊的な影響を与えることはあるかもしれないし、それが「ない」とは言えません。特に、神社仏閣のような、信仰が集まっているところになると、いろいろな霊的なものが作用している場合もあるので、気をつけなければいけないこともあるでしょう。
ただ、高等宗教というのは、やはり、人間としてのものの考え方や見方を示し、善悪を分けて考えるのがその始まりです。「人間の考え方や行動を、善と見るか悪と見るか」ということについての考え方を教えるのが高等宗教であり、それによって、できるかぎり、悪を捨てて善を選び取る生き方を勧めるわけです。
そして、悪を犯した場合には、「反省」や「懺悔(ざんげ)」、あるいは「それを埋め合わせるだけの善行を積む」などして、罪を軽くするのが昔から行われています。
例えば、反省や懺悔が十分にできないようなタイプの人であれば、神社仏閣や教会等にお布施をしたりして多少なりともお役に立つことで、「自分の心のなかにも善なるものが宿っている」ということを証明し、多少、罪を軽減してもらおうと考える人もいるだろうと思うのです。
ただし、「高級霊」と称している者のなかにも“種類がいろいろとある”ので、やや気をつけなければいけません。特に日本では、全体的に見ると、やはり高等宗教化するのが遅れたのではないかと思います。
これは神社本庁など、神社系統の団体も認めていることではありますが、「神道というのは、いわゆる宗教法人法に言う宗教ではないのだ」というようなことを言っています。
そもそも、神道には「教祖」がいない。「もともと教祖がいない」のが大きいということが一つあります。教祖がいないし、「基本教義」もありません。
宗教法人法の定義では、宗教には、「教祖」がいて、「基本教義」があって、儀式や儀典などの「宗教的なかたちのある行動」が必要です。あとは、「社務所や教会、神社などの建物が備わっている」というようなことを想定しているわけですが、日本神道の場合は、そういったものがあまりないのです。
もちろん、教えの断片のようなものはあることはあるのですが、形式的なものが多いのは、一つの特徴的なところではないかと思います。
「鳥居があってくぐる。そして、なかにある社(やしろ)で手を二拍手なら二拍手して頭を下げ、祈願する」というのは一つの形式でしょう。それで、「家内安全や健康、あるいは、商売繁盛などを祈って、お賽銭を入れて帰ってくる」というぐらいのものであるわけです。
「神様に祈る」「お稲荷さんに、稲荷大明神に祈る」「蛇神に祈る」など、いろいろとありますけれども、ほとんどがそのように、「現世利益を求めて参拝する」というかたちを取るものの、教えはあまりありません。何らかのお布施は伴いますが、「お布施をしたら現世利益が来る」というあたりでとどまっていて、教えそのものはほとんどないことが多いのです。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます