豊臣秀吉は城を築くのと同じように、城を攻めるのも得意とした希有(けう)な戦国武将だった。それは天才的ですらあった。秀吉の築城と言って、だれしも真っ先に思い出すのが「墨俣(すのまた)一夜城」(1566年)であろう。尾張統一を果たした織田信長が次に美濃の斎藤氏と戦うことになった時、信長の命を受けた秀吉が木曽川対岸の墨俣に築城し、美濃への進出の橋頭堡(きょうとうほ:橋の対岸を守るための砦、攻撃の足場とす . . . 本文を読む
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