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草枕

2019-02-19 18:06:35 | 主張

「知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。」

夏目漱石「草枕」のあまりにも有名な冒頭の句である。まったく。。住みにくい世の中である。「草枕」は夏目漱石が小説家として活動していた期間の中でも比較的初期の作品である。後期の作品には「こころ」のように終始暗い雰囲気が漂っているが(賛否両論あるとして)、初期の作品は「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」のように、こんな住みにくい世の中を、どうにかユーモアで、笑って乗り切ろうという前向きな作品が多く、「草枕」もその一つである。「草枕」は小説に不可欠な「筋(ストーリー)」に捉われず、東洋で育まれてきた価値観に光をあて、溢れんばかりの潤沢なボキャブラリーが作中に、自由気ままに渾々と湧き溢れており、夏目漱石の天賦の才がこれでもかと言わんばかりに顕れている傑作である。

独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)白雲郷。

まったくだ。徒らに多事。ただでさえ喧しい世の中なのに、SNSが普及してからというもの、そこかしこで自意識が大渋滞。「上善如水」は老子に由来する故事成語であるが、この住みづらい世の中で生きていかなければならない以上は、せめて「水」のごとく、自己主張控えめで、流れ、流されて生きていくことを以って対抗するしかない。

「山里の朧に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数春星一二三と云う句を得た。偶然と宿を出でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴の下に出た。しばらく不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と云う石を撫でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。(中略)こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来れば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠の方針である。仰数春星一二三の句を得て、石磴を登りつくしたる時、朧にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。」

俗世の憂いを一瞬忘れさせてくれるような情景描写に心を洗われる。

「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。」

SNSを巡るニュースが連日賑わいを見せているが、叩いたり、叩かれたり、叩いて叩かれたり。。悪ふざけの挙句えげつない損害賠償請求されたり。空騒ぎは目につかないところでやってもらいたいところである。他者を打ち負かして自己陶酔に浸るのは勝手だが、打ち負かされた人にも人間個人としての尊厳があることを忘れてはならない。

個人の尊厳は崇高なものである。この考え方は民主主義の根幹であり、原理である。民主主義は労働者に、団結する権利を保障している。個人の尊厳を守るための大事な権利である。職場におけるハラスメントは個人の尊厳を踏みにじる行為の筆頭格である。そのほか働く我々が享受すべき恩恵を、もし使用者から搾取されているとすれば、それもまた人間個人の尊厳を軽視するものである。職場を見渡してみて、こうした実態がもしあるのなら、日本の民主主義が成熟していく過程で、労働組合のプレゼンスを高めていくことは必要不可欠なことのように思うが、現実にはまだまだ「あるべき姿」さえ描けていない。暗中模索の日々は続く。

中央本部 溝口

 

 

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