末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

顔のないヒトラーたち

2015-11-30 08:44:37 | 映画のはなし
見た順番と更新順序とが前後していますが、溜めていたレビューもこれで一区切り。
すでに、都内では上映が終了しましたが、最終日に駆け込みで鑑賞してきました。

ドイツの司法が、ドイツ人の戦争犯罪を自ら裁いた、
フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判 (1963年12月20日~1965年8月10日)。
第二次世界大戦後、ドイツの歴史認識を大きく変えたと言われているこの裁判が
開かれるまでを、若き検事の苦闘を通して描いていきます。

見ながら思い出したのは、一昨年に日本でも公開された「 ハンナ・アーレント 」。
凡庸な、我々一般大衆が "思考" することなく、言われるがまま、流されるままに
残虐な行為さえも手掛け、想像を絶するほどの悪を世に蔓延らせてしまう図式。
戦後に罪を問われれば、"皆がやっていた" "仕方がなかった" と、
集団化の匿名性に個人の責任を隠して、目を逸らしてしまう ・・ 。

戦時中は子どもだった、若い世代の主人公ヨハンと、
大人になってから第二次世界大戦を迎えた世代との間で、
とても印象に残るやり取りが、劇中に描かれます。
一つは、「ドイツ中の若者たちに、父親は犯罪者なのか? と疑わせたいのか」
と詰め寄る検事正に対し、「それこそが狙いです」と切り返すヨハン。
そして、「メンゲレこそ、アウシュヴィッツの象徴」と執着するヨハンに対し、
「そうではない。"ごく普通の一般市民" が悪を働いたんだ」と諭す検事総長。
矛盾したようでありながら、どちらも、この映画の核心に触れる場面です。

歴史から学び取るべきは、"二度と過ちを繰り返さない" ということ。

それにしても、アウシュヴィッツが忘却されそうな時期が
戦後ドイツにあったことを、今回初めて知りました。
この問題を自ら乗り越えたゆえに今のドイツがあるのだと、かの国の底力を感じます。

*~*~*~*~*~*~*~*~*

   映画 『顔のないヒトラーたち』

  ◇原題:Im Labyrinth des Schweigens
  ◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ
  ◇鑑賞日:2015.11.6. 映画館にて


コメント