夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

帯津良一さん、幸福は人生の後半で「老いの幸せ」、私は学びながら、瞬時に魅了されて・・。

2017-06-27 16:30:39 | ささやかな古稀からの思い

             

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 幸福は人生の後半に? 帯津良一が「老いの幸せ」説く 】と見出しを見てしまった。

私は過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
                                                

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。


このような心情のある私は、今回記事を読んだりした・・。

         
この記事の原文は『週刊朝日』の 2017年6月30日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】に2017年6月27日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、
人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。
帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

*  *  *
【貝原益軒 養生訓】
老後は、わかき時より、月日の早き事、
十ばいなれば、(中略)余日(よじつ)を楽(たのし)み、いかりなく、
慾すくなくして、残躯(ざんく)をやしなふべし。
(巻第八の4)

残躯(ざんく)とは、老いぼれて、生き残ったからだのこと。

伊達政宗(1567年~1636年)の晩年の五言絶句に、
「残躯天所赦(残躯は天の赦[ゆる]す所)」
というものがあります。

老後は、天も赦してくれるだろうという意味です。

益軒は老後について
「わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、
一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。
つねに時日をおしむべし」(巻第八の4)と説いています。

年老いてからの時間を無駄にするなというのです。

85歳(数え年)まで生きた益軒は、老境を十分に楽しみました。
酒をこよなく愛し、22歳も若い愛妻と添いとげ、晩年になって200冊もの著作をものにしたのですから、大したものです。

「老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。
老後の一日、千金にあたるべし」(同)をまさに実践しました。

益軒は、幸福は人生の後半にあるという考えの持ち主で、
「余日を楽み、残躯をやしなふべし」と語ります。



私事にわたって恐縮ですが、私も今年、満81歳になりました。
幸い現役の医者として仕事を続け、残躯という余裕はないのですが、
老境の素晴らしさというものを感じるようになってきたのは間違いありません。

振り返ってみると、60代になって1年余りが過ぎた頃、
「なんといい時代だろう。60代こそ、人生の華だ」としみじみ思いました。

知力、体力ともに衰えず、酒量も落ちない。
仕事も思い通りこなせて、その上に急に女性にもてるようになったのです。なぜかはわかりません。

でも以前、対談した筒井康隆さん(当時76歳)も
「今が一番もてる」と話していました。
もてるようになって、こちらも急に女好きになりました。これぞ、わが世の春です。

70代になって、他人(ひと)の名前が、急に出なくなることが多くなりましたが、
それを除けば、ほかのことは、ほとんど変わりませんでした。

そして、いまや80代。その風光やいかにといったところです。
60代が人生の華だと思いましたが、70代もなってみると、いいものなのです。
そして、80代になってみたら、これが、またいいんですね。

もちろん、そのためには、備えも怠ってはいけません。
養生訓の研究家である立川昭二先生によると、
老いても豊かに生きるためには、「一に生活費、二に健康、三に生きがい」が必要だということです。
蓋(けだ)し名言ですね。

益軒はこう語ります。

「年老(おい)ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。
時にしたがひ、自(みずから)楽しむべし。
自(みずから)楽むは、世俗の楽(たのしみ)に非(あら)ず。

只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一時のわづらひなく、
天地四時、山川の好景(こうけい)、草木の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし」(巻第八の23)

年老いたら、自分の本来の心の楽しみだけに専念して、
四季や山川の景色、草木の繁るのを楽しめというのです。
そういう老後を、迎えたいものです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、早や13年生となっている・・。
            
             
    
私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、確か20年前の頃、
NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、少しだけ情景は学んだりした。

そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、何かと海外文学に苦手な私は、
詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。

たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、映画館に立ち寄って観た作品からであった。

エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、
教室で詩を朗読するシーンであった。

草原の輝き
花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる
力を見出すべし

私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。
            
私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。

そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。
             

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に生を受けて、
やがて都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
           
そしてここ8年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。

このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしてきた。

そして私は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物園があり、平年以上に尋ねたりしてきた。
             

それぞれに彩(いろど)り花、花木には、改めて見惚れたりしてきた。

こうした中で、あまたの雑木が冬木立から、芽吹き、そして新緑、深緑と多彩に変貌し、
やがてあまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始める錦繍(きんしゅう)の情景となり、
私は幼年期は農家の児として育てられたので、小躍りしながら歩きまわったりした。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは遊歩道、公園などで、見知らぬ男性、女性でも私は話しかけたり、
ときには女性グループから話しかけられたりして、談笑を重ねたりしてきた。
               

このように私は、たまたま年男の今年を過ごしたりしてきたが、進歩なく過ごしてきたかしら、
と独り微苦笑したりしている。

やがて次の年男は84歳となるので、何かとプラス思考の私でも、健康寿命で迎えることは、
無理だろうなぁ、と溜息をしたりした。

そしていつの日にか、この世とお別れするまで、何とか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇しないように、
もとより自助努力も大切であるが、こればかりは神様か仏様の采配と思い、秘かに祈願したりしている。

今回の記事で、多々教示されて、富も名声に無縁な私でも、私なりの山川草木ように生活が継続できれば願い、
人生の後半戦、ささやかな倖せを享受している。

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コメント (2)
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