百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

梅雨明け

2020-07-31 23:28:11 | Weblog
やっと近畿地方も「梅雨明けの模様」
明日からは猛暑日が続くようだ

先日カンボジアに住んでいる知人がデング熱にかかったという。シンガポールではコロナ禍の中、デング熱も流行り大変になっているともいう。理由は室内で“巣ごもり”が続く中、室内で蚊にさされるケースが増えているのが大きな原因のようだが、シンガポールには網戸がないという。やはり“蚊”の対策には網戸と蚊取り線香は必要不可欠でしょう。

弱肉強食

2020-07-28 22:31:12 | Weblog
世の中は「弱肉強食」
強い者が勝つ
小さな身体でも、戦略があれば大きなモノにしっかり勝てる
所謂「小が大に勝つ」論理
・接近戦で闘う
・武装能力を高める
・兵力を集中する
素早い動きで巣にかかったアブを
まずは動けなくする
接近戦+戦略をともなった素早い動き
なかなか勉強になる

まだまだ続く梅雨・・・

2020-07-27 19:37:07 | Weblog
今年の梅雨は、なかなか長〜い
梅雨が長いと、なかなか段取りがつかないことが多い
雨がないと困ることも多いが
こんなに続くと困ることの方が多くなる
夏野菜の高騰もさることながら、
草の繁茂もひとかどではなくなっている

この後、酷暑が続くことになると、身体がなかなかついていかない
今年は、気持ちはあっても、なかなか辛い日々が続くことになりそうだ

「palaces of the gods」

2020-07-26 20:28:48 | Weblog
ーークメール美術や建築に想いを寄せてーー
1000年にわたり栄華を誇ったクメールの美術は、アンコール時代の末期まで、最良の石材として砂岩を選択し王の寺院を浮彫で荘厳し、その美しい浮彫は数々の神話や王の功績を讃え、彫像が神々や神格化された王族のために造像されたという。
クメール美術は、独自の洗練された造形美をもつものとして世界の美術のなかでも高い評価と価値を認められているようだ。
しかし現在、今一度、歴史と伝統のクメール美術を再興・保全しながら、「失われた王朝」クメール美術を調査・研究し明らかにする必要がある。

「回転木馬のデッド・ヒート」

2020-07-25 22:08:51 | Weblog
村上春樹の短編集というと
「中国行きのスロウボート」
「納屋を焼く」
そしてこの「回転木馬のデッド・ヒート」になるのか、
1980年代の前半、この「回転木馬のデッド・ヒート」は『風の歌を聴け』の担当編集者が『群像』から『IN★POCKET』の編集に移った際に執筆の依頼を受け、連載が始まったという
そういえば『風の歌を聴け』は群像新人文学賞を1979年に受賞していた

2020年東京オリンピック

2020-07-24 21:14:25 | Weblog
2020年東京オリンピック(2020ねんとうきょうオリンピック)は、本来今日2020年7月23日から開催される予定であったが、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の世界的な流行を受け、丸一年後、来年つまり2021年(令和3年)7月23日から8月8日までの17日間、東京での開催に延期された。
世界的にまだまだ拡大の傾向にある新型コロナはいつ終息するのか?
その時世界はどういうカタチになっているのか?
私たちの暮らしはどういうスタイルが望ましいのか?
本当に来年開催は可能なのか?
また異なる新たな感染症は生まれないのだろうか?
わからないことばかりだが、出来るだけ冷静にさまざまな角度から未来を見つめ、出来ることをしっかり着実に丁寧に行っていきたいものだ

「夜になると鮭は・・・」

2020-07-23 21:19:29 | Weblog
レイモンド・カーヴァーを知ったのはこの本からだった
そう考えると1980年代のアメリカ文学は長編作家のジョン・アーヴィングに対して、一瞬のイメージのきらめきを切り取る短篇作家レイモンド・カーヴァー、その両者の良さをしっかり日本に伝えてくれたのは村上春樹だったように思う
小説にもいろいろなカタチがある
時代性もそれぞれあり、いまから思うとその時代時代に感じたものを、また、読み返すとまた別の思いに耽ることができる、なんとも不思議な気持ちになることができる

大暑

2020-07-22 21:10:08 | Weblog
「大暑」
まさに「大暑」
でもまだ梅雨前線は停滞中
世間は明日から4連休だが、雨模様は続くようだ
「GO TO キャンペーン」が明日から実施される
そんな中、コロナ禍は収まらず
なにか何が正しく何が望まれているのか
なにをどう判断してどう行動することが望ましいのか
「人間力」が問われる時代を迎えつつあるのか