百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

五戒

2020-05-31 19:27:45 | Weblog
スリランカの仏教では
五戒
・不殺生(生き物を殺さない)
・不窃盗(与えられないものをもらわない)
・不邪淫(みだらな行為をしない)
・不妄語(嘘をつかない)
・不飲酒(酒類を飲まない)
この五戒を守り、比丘サンガに帰依して、食事や日用品を寄進するお布施(ダーナ)を通して日々功徳(ピン)を積む
功徳積み(ピンカマ)によって、来世でよりよい地位に生まれ変わるとされている

でも最も良いのは「生まれ変わらない生き方」であり、それが「涅槃」にあたる
「生きることを“苦”と考える」ならば、その道を卒業することが望ましい姿であり、人間は生きる過程で修行を積み悟ることで卒業をすると考えるようだ

新しい日常

2020-05-30 23:12:05 | Weblog
「新しい日常」
最近よく用いられる単語のひとつだ
おそらく今年の流行語のひとつになるだろう
「新しい日常」
3密(密接、密閉、密集)を避け、新型ウイルスと共生する時代への突入を意味する
私たちは馴染むことができるのだろうか?
テレワークもやってみれば、なかなか効率的だし、便利なものだ
私は経験はないが、オンライン飲み会も、なかなか楽しいという話だ
「新しい日常」
誰にでも訪れるこの日々に、慣れない者は取り残されることになるのだろうか
3ヶ月前には予想もできなかったこの事態にみんながうまく適応できないとどうなるのだろうか
明るい未来社会のために、インフラ整備がしっかりできた社会でないと、決して先進国とは言えないことを現時点でみんなで確認しておきたいものだ

beware of darkness

2020-05-29 23:50:27 | Weblog
Watch out now, take care beware of falling swingers.
Dropping all around you.
The pain that often mingles in your fingertips.
Beware of darkness.

気をつけろ、流行を作る堕落した連中に気をつけろ。
あちこちに落ちてきて、苦痛で指先までやられてしまうぞ。
闇に気をつけろ。

Watch out now, take care beware the thoughts that linger.
Winding up inside your head.
The hopelessness around you in the dead of night.
Beware of sadness.

気をつけろ、なかなか消えない考えに気をつけろ。
頭の中をグルグルし、真夜中に絶望で包まれてしまう。
悲しみに気をつけろ。

It can hit you. It can hurt you.
Make you sore, and what is more,
that is not what you are here for.

打ちのめされ、傷ついてしまう。悲しくなるし、
それに、そんなことのためにここにいるんじゃないのに。


これは1970年の名盤『All Things Must Pass』に収録されている一曲。
ジョージ・ハリソンが、
ビートルズ解散後に最初に発表したアルバム。

大きな変化へ

2020-05-28 20:09:15 | Weblog
新型コロナウイルス後の日本は
いや世界はどんな時代を迎えるのか?
これまでの日常へ戻ることはなさそうな気がするのは私だけではないだろう
「大きな変化」をどこにどういう影響を与えるのか?
「選択や集中」「効率化の追求」「勝ち組&負け組」「都会↔︎田舎」「グローバル↔︎ローカル」「市場と分配」「集団と個人」等々
に『新たな生活様式』を掛け合わせると答えはどうなるのか?
経済一辺倒ではない、『豊かな社会』への第一歩とするためには、しっかり考えてゆっくり進んでみたい

ドイツの致死率の低さ

2020-05-27 22:42:08 | Weblog
新型コロナウイルスが世界に拡散する中で、西欧諸国とアジア諸国での感染状況や致死率の違いが巷で話題になっている。

そんな中で感染者数が多いにも関わらず、致死率が大変低いことで今、ドイツが注目されているという。
理由としては、・検査数が多い ・初期に若者の感染者数が多かった ・ホームドクター制度をもっている ・集中治療室の病床数が多い 等々
あげられているが、社会医学環境衛生研究所の谷康平所長は西欧の中でもドイツは「温泉療法」や「波動療法」が公の治療として認められており、如何に精神状態を落ち着かせ、心を休め、自律神経を整えるかについて社会で対応できる体制ができている点を指摘されている。
日本も早い機会に「食」や「医療体制」についてはしっかり考える、見直す必要がありそうだ。

コロナ騒動後

2020-05-26 22:24:18 | Weblog
昨日、新型コロナウイルスにともなう「非常事態宣言」の解除がなされた。
これで全国47都道府県、全域での解除がなされたわけだが、今後順次暮らしの中でのさまざまな基準の見直しが図られ「新常態」へ移行するにはまだまだ時間が必要だ。
そんな中で、従来と同じような暮らしができるのかというと、なかなか難しい気がするのは私だけではないはずだ。
というのは、先日タイトル「広告費」で述べたような企業に求められるものが変わってくることは確実で
例えば「娯楽」はオリエンタルランドよりは任天堂が
「日用品」は資生堂よりもユニチャームが
「商社」は丸紅より豊田通商が
時価総額で逆転した現状から考えると
単純にみんなで同じ方向に向かって進んでいこうというよりも、より広く多岐にわたる選択肢の中で独自性をどう発揮し、まずは国内でしっかり市場をキープして、次に海外を視野に入れるかが問われる時代に突入している気がする。
「みんなが行くから、私も行く」では、もう通用しない、しかし「他人と違えば何でもよい」というものでもない、という信念を持った事業のみが生き残れる時代を迎えつつあるのだろう。

綿

2020-05-25 19:58:19 | Weblog
「綿花」
今年は「綿」を植えてみることにする。
栽培は出来でも、収穫して「綿糸」にまでできるかというと、それはなかなか大変。
昔の人はこういうことをしっかりやっていたのだと思うと、現代社会でも出来ないことはないと思うのだが。
「和綿」と「洋綿」を別々に育ててみたい。
どんな綿花に育つのか、楽しみだ。

新たな日常

2020-05-24 22:47:46 | Weblog
「新たな日常」
その正体は?
経済と感染抑制は本当に両立出来るのか?
高度成長期を迎える頃、公害対策基本法(1967年)が成立した。この法律には公害対策と経済成長の両立が加味されたというが、結果は散々たるものだった。
環境基準が経済を優先して設定されていたのだ。
スウェーデンで今回導入された「集団免疫戦略」は一定程度の人数が感染して免疫をつけることで感染拡大の収束を狙うというものだが、その戦略が裏目に出ているのではないかと最近疑われ始めたという。
各国の対応策を再度検証し、各国が連携して「新たな日常」のあり方を早急に構築する必要がある。

和牛の価格

2020-05-23 23:54:26 | Weblog
高級食材がこのコロナ騒動で市場にダブついてきているという。
魚や果物、野菜等、高級な食材をあつかう料理店がなかなか通常の営業ができないこと。
また高級な料亭やレストランになかなか行きづらくなっていること。
まして、国産の高級食材は海外でも人気が高く、海外へ輸出することを前提に栽培したり肥育していたりすると、今回のコロナ騒動は全世界規模の出来事で前代未聞の事態に陥っているようだ。
和牛の場合、サーロインやヒレなど高級部位は在庫が前年の1.7倍になっているようで、これらの部位は訪日客や輸出ありきの需給構造の為、国内だけでは消費しきれないと関係者は嘆いているという。
五輪需要を見越して高値で取引された黒毛和牛の子牛は育てる餌代も出ないほどの低い相場になっており、今回の値下がりで耐えられなくなる農家も出てくるだろうと懸念する声も多いようだ。
結局、入口も出口も他人任せな農業をしていると、何かあると調整弁にされてしまう。もっと肥育期間をのばすことができ、値打ちが上がるならまだしも、出荷時期をずらすと牛が死ぬ危険性が高まる。流行りの6次産業もそれなりの資本がないとできないし、今回は加工をして贈答品やお土産を製造している関係者も大変なことになっている。
ターゲットをどこに絞り、どう持ちこたえるか、こちらでは損してもこちらでは商売が成り立つ、そういう事業モデルにしておかないといけないことを痛感する。

広告費

2020-05-22 23:31:26 | Weblog
日本の広告費は昨年、インターネットが初めてテレビを上回った。
新型コロナの影響で広告業界が冷え込む中でも、ネット広告は堅調で、電通の時価総額をサイバーエージェントの時価総額が20日の終値ベースで初めて逆転した。
5年前電通の時価総額は約2兆円、当時サイバーエージェントは3,500億円前後であったが、20日時価総額は6,713億円で電通の6,670億円を上回ったという。
広告のあり方も変わっていくだろう、
「消費」のあり方も変わってくるだろう、
新型コロナが社会に何を教えてくれたのか?
もしベーシックインカムを政策的に採用した場合、社会はどうなるのだろうか?
宣伝して、「消費」を喚起していた高度成長期から、必要なものを必要なだけ、出来るだけ「消費」ではなく「シェア」する事で、環境負荷を減らしていく、出来るだけお金を使わなくっても暮らせる“豊かな暮らし”(ほどほどの量の中に満足が溢れる)を考えた場合、広告費はまず、必要ではなくなるのではないだろうか。