百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

イタデ

2018-04-30 20:16:06 | Weblog
イタデは所謂、「世界の侵略的外来種ワースト100」にリストアップされている。というのは
19世紀に園芸用の花卉としてイギリスに輸出されたが、旺盛な繁殖力からたちまち在来種の植生を脅かす外来種となった。地下茎をむやみに伸ばして増えるのが特徴で、この地下茎がまたコンクリートやアスファルトを突き破るほど強靭なため、イギリスのスウォンジーてはその土地にイタドリの生えている痕跡が認められた場合、銀行が土地を担保にローンを貸してくれないほどだという。アメリカでも同様に被害が出ているという。日本では在来植物であり、「スカンポ」「スッポン」と呼ばれ、山菜して親しまれて、地域によってはお漬物になっているケースもある。

老子

2018-04-30 00:09:34 | Weblog
「気づかい」とは人に気づかれないようにすることが大切で、気づかれて逆に気を使わせるようでは「気づかい」とはいえないという知人がいる。
「無為自然」の政治とは、「大上」の政治、つまり政治がひとを治めるなどとは考えず、政治のあることを人民に意識させない(ありがたいとか、厭だとか、駄目だとか思わせない)、「政治の跡を残さない政治」が望ましい政治だと老子は説いた。
老子の目には現代の日本の政治はどう写っているのだろうか。

不作

2018-04-28 21:37:25 | Weblog
気象変動は農業分野においても大きな影響を与えており、さまざまな作物の不作を生んでいると言われて久しいが、本当にそうなんだろうか?
結果、農家は言い訳として「気象変動」を不作の原因とする場合が多く、作付けしたものの収穫まで至らなかったとか、収穫はしたものの品質がともなわず販売できなかった等、自助努力を問われることなく他人の責任にして済ませているところがある。
本来農家はあらゆる自然災害を想定し、日照力不足にならないように、霜にあたらないように、水害等(想定外は無理としても)にならないように、さまざまな工夫をしなければならない。それなのに全ての農作業のスケジュールが記載されたカレンダーを手元におき、その段取りに従って作業をこなすことに重きをおいた農業に成り下がっていたのが近代農法なのではないだろうか?
自らが主体的な意志を持たずに作付けをし、自らが価格の決定権を持たない市場で勝負する、自分の育てた野菜が、工業製品のように販売され、どんな方々に買って頂いたのかすらわからない、そんな農業で本当に良いと思っていたのかだろうか?
後継者がいないという、それは魅力がないからだけで、魅力を見出して来なかった我々の責任であり、国や社会、まして自然の責任である訳がない。
われわれは今一度、どういう農業があるべき姿で、どういう農作物が生活者に支持され、50年後、100年後生き残れるのか?自ら自問自答すべきなのだろう。

不漁

2018-04-27 21:50:06 | Weblog
昨年2017年はスルメイカが過去最低、秋刀魚は2番目、鮭は3番目の不漁だったという。他にもカツオ、ホッケ、ハタハタ、ウナギ、クロマグロ等の漁獲量の減少は深刻な様相を呈しているそうだ。
海水の温度上昇と漁業資源量の減少が主な原因とされているが、他に原因は考えられないだろうか。
養殖でしか日本の漁業は救えないという人もいるが、本当にそうなのか?
日本の国土における森林と河川と沿岸の関係等においても今一度見直す必要はないのか。
1970から80年代に乱獲で漁獲量が極端に落ち込み苦しんだノルウェーは漁獲量の制限をすることで、90年以降漁獲量に左右されない(漁獲高重視)充実した漁業への転換に成功したという。
やはり、漁獲量を制限する中で販売価格を維持し、持続可能な漁業と永続性のある食の安定供給を国も政策として掲げるべきなのだろうか。

プラチナ万年筆

2018-04-26 20:33:44 | Weblog
「preppy」はプラチナ万年筆が作っている低価格万年筆。
最近、書きものをする時は万年筆を使うようにしている。というのも万年筆だとあまり指先に力を必要としないし、(ボールペンでも良いのだが)書くことで記憶として頭に留めることができるからだ。
そんな「preppy」は昨年1000万本販売しており、この春全身スケルトンのタイプも販売が始まったという。次は、この新しいタイプも買ってみたい。
プラチナ万年筆は来年、創業100年を迎える。時代と共に業務内容をバッサリと見直しながら時代と寄り添って生きていきた企業もあれば、プラチナ万年筆のように時代と共に同じ領域の中で他社の真似できない技術と細かな商品構成で勝負してきた企業がある。どちらが、どうのというわけではないが、プラチナ萬年筆の動向には注目したい。
いづれはプラチナ萬年筆のクラッシックシリーズにチャレンジしてみたい。というのはこのシリーズのインクは時代と共に変色するという。この筆をつかって移りゆく時代を文字に刻んでみたい。

牡丹

2018-04-25 22:16:36 | Weblog
日本画のモチーフによく用いられる「牡丹」
この花びらの多さとしなやかさ、色の淡さと儚さの“美”が日本画家達の心に沁みるのだろうか。
大作では福田平八郎の「牡丹」、妖艶さでは速水御舟の「墨牡丹」、そういえば奥村土牛も加山又造も「墨牡丹」を描いている。
5月になると又造の自宅の庭には牡丹の鉢が並べられ、土牛の自宅には島根の松江の知人から切られたばかりの牡丹が届けられたという。
中国では“花王”と賞され、国花とされていた時代もあるようです。

感覚

2018-04-24 22:03:00 | Weblog
人間には、五感がある。
第六感があるという人もいるが、通常、五感というと・視覚・味覚・嗅覚・聴覚・触感のことをさす。
みえるもの、味わえるもの、嗅げるもの、聞こえるもの、触れるもの、
逆にみえないもの、味わえないもの、嗅げないもの、聞こえないもの、触れないもの
しかしこの、みえないもの、味わえないもの、嗅げないもの、聞こえないもの、触れないものが少しでもみえれば、味わえれば、嗅げれば、聞ければ、触れれば、もっと楽しい世界が待っているのではないだろうか?
例えば、みえないものの気配を感じることはできないか。
味の中の深みはどうか?本来ならもっと複雑な味なのに、化学調味料等でわからなくなっていないか。
匂いや香りも化学合成がほぼ可能だという、つくられたものに本質を見失っていないか。
聞こえない音、可聴外周波数の音を耳ではなく肌で感じればノイズの中に新しい世界がみえてくるのではないだろうか。
触れなくてもわかる、それは頭でわかるのではなく身体で感じる、そういう世界があるはずだ。

隠蔽と漏洩

2018-04-24 18:59:55 | Weblog
最近新聞やTVを観ていてどこまでが本当の情報で、何かその中に真実が隠されているのではないか?と疑ってしまうことがよくある。
マスコミは基本は本当の情報を国民に知らせる必要がある。しかし意図的に真実を隠すことも可能で、それらを知らずに真に受けているとその真実が白日に晒された瞬間、驚き落胆させられる羽目になる。
例えば、南スーダンへの自衛隊派遣時の「日報」のあるなし問題、そもそも自衛隊を安全な地域に派遣するということが難易度が高く(小泉さんは『非戦闘地域』という言葉を使ったが)、「戦(闘い)」ではなく「武力衝突」という言葉遊びもなんとも滑稽で、本来どういう派遣をして何に貢献して、何を課題とした考えるのか、もっと本質的な議論をするべきなのに一方では隠し、他方では本質から離れたところだけ議論する(本質で議論すると政府そのものを批判することになるためなのか)ことでは何の意味も持たない。
イラクに派遣された自衛隊員のうち、帰国してから28名が自殺しているという。野中広務さんは生前「ほとんどが現場復帰していない!」と訴えていたことを思い出す。
われわれは今一度、いろいろな視点から情報を集め、森友や加計問題もさることながら、もっと現代の日本にとって大切な問題に注視し
議論し、あるべき方向性を見出し進むべきなのではないだろうか。

明日は雨

2018-04-23 18:11:13 | Weblog
見上げると空にはいく筋もの飛行機雲がみえた。
そんな空は私たちに「明日は雨」だと伝えてくれる。
砂漠地帯では青空が拡がるだけで雲ひとつないのが普通だという。
そもそも蒸発する水分がないのだから雲ができるわけがないということらしいが、青と砂漠の茶はなかなかのコントラスト、一度はこの目で見てみたい。

雲雀鳴く

2018-04-22 21:02:52 | Weblog
「雲雀鳴く」季節の到来。
青空に雲雀の声が響き渡る
何故そんなに高いところまで上がるのか?
何故今のシーズンだけ鳴くのか?
わからないことが多いが、鳴き方は上がる時と空中と降りてくる時とは異なるという。
通常、草叢で暮らす雲雀は春のこのシーズンだけ外敵から身を守るために空高く舞い上がるといわれている。