今年はアクセスランキングで、約150万ブログ中の6000番台という思いがけない日がありました。
私の拙いブログが大勢の方々に観られている事実に、自分自身で驚いています。
これを励みとして、来年も見て楽しいと思われるよう、切磋琢磨したいと思います。
(と言いつつも、今迄と変わらないとは思いますが!)
これ迄のご愛顧を感謝すると共に、来年からもよろしくお願い申し上げます。
良いお年を!
白馬三山 (2010年3月撮影)
今年はアクセスランキングで、約150万ブログ中の6000番台という思いがけない日がありました。
私の拙いブログが大勢の方々に観られている事実に、自分自身で驚いています。
これを励みとして、来年も見て楽しいと思われるよう、切磋琢磨したいと思います。
(と言いつつも、今迄と変わらないとは思いますが!)
これ迄のご愛顧を感謝すると共に、来年からもよろしくお願い申し上げます。
良いお年を!
白馬三山 (2010年3月撮影)
岳友で詩人のH君が闘病の甲斐無く、22日亡くなりました。
20数年前の円高不況の時、会社から部下の25%のリストラ要員の人選を命じられ、
それに耐えきれず自ら身を引いた心やさしい人柄でした。早い死が残念でなりません。
最後に入院したホスピス病棟で、彼は死の5日前まで詩作を続けていました。
また、身辺整理もしっかり行って、死後の段取りもきちんと決めていたようです。
本人及びご遺族の意向で、通夜の形式はとらずお別れ会が昨夜行われました。
本人が準備した挨拶状
生涯の趣味だった登山の写真や著作類が展示されていました。
晩年は、アジア留学生支援や民生委員など社会貢献に励みました。
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著書や詩集の数々
1986年に30日間のヒマラヤ・トレッキングに行った時の旅行記「初めてのネパール・アンナプルナ一周の旅」が、
出版されました。その紹介を私のホームページでしていますので。ご覧下さい。
山仲間による故人の詩朗読やフルート演奏、そして山岳部の歌合唱などで、賑やかに明るくお別れしました。
樋口君、安らかにお休み下さい。合掌
「山岳部の歌」
♪ 長いジグザグよ~ホィ あえいで登りゃよ~ お花畑にゃよホィ 花ざかり
♪ あの谷越えてよ~ホィ 仮寝の夢はよ~ 結ぶ山小屋の~ホィ 楽しさよ
♪ 男意気ならよ~ホィ 一万尺のよ~ 雪と氷によ~ホィ 閉ざされし山へ
今回ツアーの売りは、“全都市、快適のデラックスホテル&カッパドキアは洞窟ホテルの中でも唯一の五つ星ホテル指定!”でした。
全てのホテルが五つ星でしたが、バラツキが大きくて「これが五つ星?」と思うようなホテルもありました。
ツアーメンバーの或るご夫婦が、それぞれのホテルの評価を下していました。私もそれに倣って座布団を外してみたいと思います。
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2日目 アンカラ:RIXOS ANKARA HOTEL
新しいホテルで、部屋もピカピカ設備も最新でした。バスタブがシースルーでベットから丸見えなのは悪趣味。(本当は好きだったりして!?)
窓のブラインドも、リモコンで開け閉めするのですが、ボタンが凝り過ぎていて操作し難い。シースルーとリモコンで、星一つ減点。
3日目 カッパドキア:CAPPADOCIA CAVE RESORT
部屋は広く、天井も高く、浴室も広くて洞窟のイメージである窮屈さは感じられなかった。
部屋やレストランからの眺望も絶佳でした。星五つ進呈!
4日目 コンヤ:DEDEMAN KONYA
新しいホテルで部屋も綺麗。エントランスの旋舞「セマー」人形が面白い。
ディナーのローストビーフが不味かったので星二つ減点。食い物の恨みは怖ろしいぞや!
5日目 パムッカレ:PAM THERMAL HOTEL
何と言っても、温泉プールと露天風呂が最高でした。夜九時過ぎからは部屋の浴室でも温泉が出ます。
部屋はちょっと狭かったが、プールで泳げたし露天風呂にも浸ったので、オマケの星四つ半。
6日目 アイワルク:HALIC PARK
地中海に面し、夏に来たら最高のロケーションのリゾートホテルです。
部屋から海が見られなかったので、星一つ減点。
7,8日目 イスタンブール:DEDEMAN ISTANBUL
最上層の部屋でラッキーと思ったのですが、部屋は狭く浴室のファンが止らず五月蠅くて往生しました。
更に、8日目の夜は強風で窓が振動して、今回泊ったホテルの中では最底でした。星三つ減点。
今週初め、年賀状用の日の出写真を撮りたくて、南房総白浜温泉に行きました。
と云うのは口実で、「房総産伊勢海老お造り、活あわび踊り焼、全長70cm巨大舟盛」等々の
誇大広告に釣られて、食い意地の張った我が夫婦は無料送迎バスで行ったのでした。
このホテルは、今年の5月にも泊って、食べ切れない程のご馳走に満足したことも再訪の要因でした。
天気は余り良くなくて、目的(?)の日の出は拝められませんでしたが、活あわび踊り焼は美味かったです。
首を落とされた裸婦像 心無い悪戯には困ったものです。
アロエの花
巨大なのは舟だけ! 焼かれて身悶えるアワビには、ちょっと同情心が沸きましたが、それでも食べてしまいました。残酷!
メニュー:季節を彩る籠前菜、房州大漁造り、茶碗蒸し、季節の揚物、瓦焼き、活あわび踊り焼、房州鯛釜飯、甘味等、全10品
海峡クルーズを終えて、前日外観だけ見た「アヤ・ソフィア」に入場して内部を見学しました。
その後、魚市場の傍にある海鮮レストラン街でランチを食べて、帰国のため空港に行きました。
そして、イスタンブール空港17:50発のトルコ航空/全日空 共同運航便で帰国の途につきました。
これでトルコ10日間の観光旅行報告は、ひとまず終了とします。長らくのお付き合い有り難うございました。
今後は、ホテルや食事の様子などを随時アップして行く予定です。
イスタンブール空港
約11時間半の飛行で日本に到着 (左)北アルプス上空? (右)富士山の前方の山は八ヶ岳連峰か?
左手前の白い頂は浅間山か?
トルコツアーもいよいよ最終日となりました。この日は、一番楽しみにしていたボスポラス海峡クルーズです。
海峡に架かる二つのボスポラス大橋は、我が社(勤めていた)で建設したものなので、特に感慨深いものがあります。
第一ボスポラス大橋は1973年に、第二ボスポラス大橋は1989年に架橋されました。
両橋とも渋滞が激しくて、第三の大橋建設の計画もあるようです。
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クルーズ船は貸切りなので、船内はゆったり。
第一ボスポラス大橋
第二ボスポラス大橋
黒海からロシア船が通過。トルコは通航料を徴収しているのだらうか?右図は要塞ルメリ・ヒサール
約1時間半の航海を終えて、ガラタ橋近くの桟橋に着岸。橋の上は釣り糸を垂れている人で大賑い。
8日目の締め括りは、新市街にあるナイトクラブ「ケルヴァンサライ」でのベリーダンス・ディナーショーでした。
この店は、海外やテレビなどで活躍するトルコのトップダンサーが出演することで知られる老舗のナイトクラブとのこと。
ショーは8時から始まり延々と続きますが、ベリーダンスが一通り終わった10時に店を出ました。
ホテルに戻ったのは10時半を過ぎて、この日のハードな一日が終わりました。
下段中央が、この日の真打ちダンサーです。さすが貫禄充分でした。
日本食レストランで松花堂弁当のランチを摂った後、オスマン帝国時代のトプカプ宮殿を見学しました。
『トプカプ宮殿』 ・・・ (クラブツーリズムのガイドブックより引用)
15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、歴代のスルタン(オスマン帝国の皇帝)が
増築しながら約400年にわたって居城とした。広大な敷地内は4つの庭園エリアに分かれ、それを
取り囲む建物は現在博物館となっている。第三庭園の右奥の「宝物館」には柄に3つの大きな
エメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や、86カラットのダイヤモンドなど目をみはる宝石類が並ぶ。
「ハーレム」は何百もの小部屋、広間などからなり、タイル装飾の美しさには目を奪われる。
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ブルー・モスクと広場を挟んで、神々が同居する「アヤ・ソフィア」があります。
『アヤ・ソフィア』 ・・・ (クラブツーリズムのガイドブックより引用)
ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建立されたが、オスマン帝国が征服した後はイスラム教のモスクになった。
偶像崇拝を禁止するイスラム教の教えに背くことから、モザイク画の数々は500年もの間漆喰で塗りつぶされていた。
トルコ共和国時代に入ってからの大修復によって現在は昔の姿をほぼ取り戻し「キリストを抱いた聖母マリア」をはじめ、
ビザンチン帝国の栄華を偲ばせる博物館として使用されている。
アヤ・ソフィアとは「神の知恵」を意味する
夜景
キリストを抱いた聖母マリア
8日目は、イスタンブールの世界遺産の終日観光でした。
モスクが余りに多いので、ガイドブックと照らし合わせて、写真と寺院の名を特定しました。
『ブルーモスク』 ・・・ (クラブツーリズムのガイドブックより引用)
トルコ帝国が栄華を誇った17世紀初めにアフメット1世によって建てられたイスラム寺院。
巨大なドームの周囲に建つ6本のミナレット(尖塔)が印象的。ドーム内部にはイズニックという町で
つくられた青い花柄のタイルがびっしりと飾られ、その美しさゆえに「ブルー・モスク」と呼ばれている。
トロイ遺跡観光後、ダーダネルス海峡をフェリーでヨーロッパ大陸側に渡り、イスタンブールに向いました。
トロイから近い港町チャナッカレから、対岸のエジェアバトに向け出航。約40分の航海です。
カモメを引き連れて船は進む
操舵室も出入り自由で、操縦桿にも触れさせてくれました。日本船では考えられない融通無碍でフレンドリーな船長。
7日目、いよいよ伝説で有名な「トロイの木馬」の見物です。
トルコの代名詞のような「トロイの木馬」は、1975年に造られたレプリカで、実物をみると“とろい感じ”でした。
ホメロスの叙事詩「イーリアス」に記されているトロイ戦争は、史実として学説ではまだ確立されていないそうです。
でも、これだけ有名になってしまうと、今更真実ではなかったと言われても、夢が醒めてしまいますね!
ギリシャ神話『トロイ戦争』 ・・・ (クラブツーリズムのガイドブックより引用)
昔々、ヘラ・アテネ・アフロディテという3人の美しい女神がいた。ある日「世界で一番美しい女神」を競って争いとなった。
そこで若いトロイの王子に判断を仰ぐことに。3人の女神は王子に賄賂を示す。ヘラは「支配権と富」を、
アテネは「戦いの勝利と知恵」を、アフロディテは「この世で一番美しい女」を与える約束をした。
王子はアフロディテが一番美しいと判定を下す。しかし「この世で一番美しい女」というのはギリシャの都市国家
スパルタの王妃ヘレネであった。王子は王妃を巧みに誘惑して王宮から連れ出した。
これを発端にギリシャ軍とトロイ軍の戦争は始まり、両者譲らず10年もの歳月が流れた。
ギリシャ軍は最後の手段として巨大な木馬をつくり、その中にたくさんの兵士を隠れさせる。
負けたふりをして巧みに木馬をトロイ城内に引き入れさせ、夜寝静まった頃、一気に攻め入り落城した。
こうしてトロイ戦争はギリシャ軍の勝利で終った。
(6時30分撮影) (7時30分撮影)
前夜泊ったアイワルクのホテル前から、日の出を撮る。6時半から三脚を立てて狙ったのですが、バス出発が
迫って来たので、部屋に戻り仕度して外に出たら陽はもう上っていました。チャンスを逃がして地団駄踏みました。
トロイ遺跡入場口を入ると、すぐに巨大なトロイの木馬が現れる。
2階内部 手を振る中国人観光客
トロイは、紀元前3000年頃から9回も造り直されてきた都市です。
(左)木馬が引き込まれたと言われる通路 (右)ローマ時代の野外劇場
ローカル列車体験の後、エフェソス郊外の山頂にある「聖母マリアの家」を訪れました。
近くの港に豪華クルーズ船が入港した時は、参拝者が大挙押し掛けて賑うそうです。
「聖母マリアの最後の場所は謎に包まれていたが、18世紀末にドイツ人修道女アンナ・カテリーナが天啓を受け、
聖職者たちの手によって発見された。家の外には3つの聖なる泉があり、願い事が叶うといわれている。
お土産やさんの隣りに郵便局があり、ここで投函すると聖母マリアの家の消印が押される。」
・・・(クラブツーリズムのガイドブックより引用)・・・
兵隊さんが駐在しているのは、イスラム教信者とのイザコザを警戒してとのことです。
神社の願掛け札のように、願い事を書いた紙が結び付られています。世界共通の習慣なのですね!
6日目は、パムッカレからエーゲ海最大の遺跡が残るエフェソスへ向かいました。
途中、ローカル列車に40分間の体験乗車して、地元の人々の生活を観察(?)しました。
AYDINと云う町から乗車するのですが、発車まで時間があったので街中を散歩しました。
AYDIN駅
ローカル列車にしては、車内は綺麗でした。地元民の向いの席に、物怖じしない家内が早速座りました。
検札の車掌さん 車内売りの大きなドーナツ型のパン、1個約30円です。
2駅目のCAMLIK駅で下車。運賃3.25TL(約200円) 中々格好良い電車でした。