陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

自民党葬祭選の結末

2009-09-29 08:55:29 | Weblog
総裁選と入力するつもりが、どういうわけか「葬祭選」になった。
いっそ、タイトルはそのままにしましょうぞ。
ワタシのパソコンは、世評を写しだす機能を持っているのでござろうか?

その葬祭選、いや違った、自民党総裁選で、谷垣が勝った。
大方の予想通りではあるが、これじゃあダメですなあ。
人物の善し悪しは別として、谷垣の資質は、危機の際のリーダーではない。
あかんたれ政党がますますダメになってゆきますぞ。

アソウ自民のときは泥舟だったが、
今では、舟の底が抜け、泥沼にズブズブと足が入ってゆく状態でござる。
これじゃあ、来年の参院選では、首の辺りまで泥に埋まり、
アップアップの状態になるでしょうなあ。

是非はともかく、現在は小選挙区制だから、
その制度の下では、拮抗する二大政党の存在が前提となる。
拮抗するための対抗軸を何に求めるかが問われたのに、
その結論がこれじゃあねぇ。

自民の党員は、もう投げやり状態ではないかと想像されますなあ。
これからは、我先に泥沼から抜け出そうとする者が出るんでしょうなあ。
節操のなさと変わり身の早さは自民党の特技だが、しかし、それも考えものですぞ。

このところのNHKの大河ドラマ(「天地人」)で、関が原の場面があったが、
小早川秀秋の寝返りが、寝返りの連鎖に及んだことから、「裏切中納言」などと呼ばれる。
人間、ときに身の処し方が後々まで尾を引く場合がありますからなあ。

関が原に至る前段では、「よいしょ」の山内も光りますなあ。
山内一豊でござるよ。
家康の太鼓もちで土佐20万石の大名ですからなあ。
実像の山内一豊がどうであったかではなく、皆からそう評されてしまうのでござるよ。

他の例では、史実かどうかはともかく、
秀吉と光秀の山崎の戦いで、筒井順慶が日和見の代表選手となり、
洞ヶ峠といえば日和見を指しますからなあ。
それで歴史に名を残すどころか、会話の中の一般名詞にまでなるんだから、
それはそれで大したもんだが、
子孫や当時の家臣は不名誉このうえないでありましょうなあ。

自民党(員)は、
漠然と来年の参院選にかけてみような~んて希望的観測は捨てるべきですな。
ジブンの原点を見つめ直すことが必要ですぞ。
方法はまだある。

先ずは、八ツ場ダムをはじめとするあちこちの公共事業で、
工事中止大反対&大賠償要求運動を開始すると良い。
それらの活動を通じて「利権の自民」を大いにアピールすると良い。
住民や工事に群がる者達のフトコロをいかに潤すことができるか、
それによって「やっぱり自民党だ」となりますぞ。
「財政が逼迫し、借金だらけになろうが、ジブンとアンタだけは潤う自民党」
を本音ベースで標榜すれば、
自民党は立ち直ること間違いなし。
そう、そういう国民の代弁者になるんですよ。
それが自民党の原点。
谷垣自民は、「ええ格好しい」を捨て去ることができますかのう。
コメント
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