やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】38 ~⑽ 「神道」をどう描いている(いない)のか?<その1>~

2016年12月24日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

⑽「神道」をどう描いている(いない)のか?

 ここでは一般的に用いられている「神道」という用語を使う。本来は漢語ではなく、和語(やまとことば)である「かんながらのみち」のほうがいいのだろうが…

 教科書の下調べをしているが、神道は日本独自の《古代から現在まで続いている日本文明の中核》であり、当然ながら日本史の時を貫く重要事項であるにもかかわらず、その扱いにとても大きな違いがありそうだ。

 したがって、この「神道」のシリーズはかなり長くなるだろう。


ⅰ 基礎知識 1/2

<ウィキペデア:神道>より

・「神道(しんとう)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。」

 

・「神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である。」

 

・「教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。」

 

・「神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた(神仏習合
 一方で伊勢神宮のように早くから 神仏分離 して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には天皇を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で神仏分離が行われた。

 神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。」

 

・「神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強い。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利の後、天照大神が最高の神格を得たが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。」

 ※松永:たしかに、明治維新で集約される前にはほとんどの集落に「氏神=祖霊」を祭る神社があった。私の住む40戸ほどの集落のまんなかにある天神山(高さ15mほどの小さな丘)にも神社があった。村の集会所にもなっていたらしい。今はもう跡も消えてしまった。
 古代から続く《祖霊を祭る神社信仰》が、神道の基盤になったのだろうと実感的に思う。

 

・「古神道(≒原始神道)
 江戸時代の国学によって、儒教や仏教からの影響を受ける前の神道が研究され、復古神道・古道・皇学・本教などと称された。明治時代以降に古神道だけを取り出し新たな宗派として設立されたものも古神道と称している場合がある。近代以降の学問で研究されて国学色を排除してからは、純神道・原始神道ともいう。」

 

・「神道の研究

 鎌倉時代には伊勢神宮の神官による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った。
 そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期のお伊勢参りの確立によって知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功した。

 一方で、本居宣長が江戸期には解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、国学の源流を形成していった。
 これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成した。

 神道が形成される過程において、古代は仏教から強く影響を受け、近世では儒教の日本への流入が大きい。伊勢派のはたしたことはそれに対抗する神道側の努力だったと考えるべきだろう。」

 

「皇室と神道[編集]

 宮中祭祀に見られるように、皇室と神道は歴史的事実として密接なかかわりを持つことが上げられる。また、神道の信仰の対象としての天皇とその祖先神の存在がある。

 多くの日本国民が仏教と神道の習慣と信仰を両立させているように、皇室も神道の祭祀と仏教の行事を共に行っていた。皇室の神道色が強まったのは、朝廷の復権を志向して光格天皇が行った宮中祭祀の復活によってであり、それまではむしろ仏教色が強かった。

 明治天皇の代で行われた神仏分離や神道国教化に伴い、仏教と皇室の直接的な関係は薄れたが、皇室菩提寺であった泉涌寺と宮内省の特別な関係は日本国憲法施行時まで続いた。」

 

~次回、現在の状況~

<全リンク⇒> 神道< 3839/巻末索引40/文明と宗教414243/飛鳥4445/鎌倉・江戸4647/明治484950/GHQ占領期51525354(神道の項:完)>