■まとめと考察
宗教は、政治や経済と同じように、古代から現在まで、人間個人や集団・社会・国家のありかたに関して大きな影響力をもつ《精神的かつ物理的なシステム》だ。
当然ながら、「歴史学」においても重要な要素の一つになっている。
ここでは「神道」に関わる部分(=宗教の原点)についてのみ考える。
1 《神道は日本固有の宗教であり、かつ、ほとんどの日本人の宗教観念の原点ともなっている》という認識
まず、この認識を前提知識とするかどうかを検討する。
・前半:「日本固有」は世界の共通認識になっているようだ。
・後半の「宗教観念の原点」というのは、おおむね、《日本人がどんな宗教に関わるとしても、多くの場合、その理解の基礎として神道のもつ宗教観念が使われる(だろう)》という意味だ。
神道でもっとも特徴的な観念は、「やおよろずの神々」という考えだろう。
日本では、《江戸時代を中心とするキリスト教への一時期な政治的弾圧》とほんの一部の例外除けば、《世界各地で起きてきた(いる)ような、異なる宗教者同士の強い反目と争い》はないように思う。
日本人の多くが「やおよろずの神々」をもつおかげで、日本の宗教団体間の関係はおおむね融和的なのだろう。
したがって、神道のもつ《融和的な共存共栄的世界観》については、ほとんどの日本人は異論がないと推測する。
そして、この融和性が、日本文明・文化と日本人の性格の大きな特徴の一つであることにも。
では、この重要な日本の歴史的宗教認識を各社はどう中学生に教えている(いない)のか?
残念ながら、このことをはっきりと教えているのは育鵬社だけだ。
2 《人類の宗教の原点は、自然や祖先への畏敬の念(おそれ)や崇拝だ》という認識
<ウィキペデア:宗教>に述べられている「人間の力や自然の力を超えた存在」・・・これは、宗教的観念は《人間や自然とは無関係》だと言っているのではない。
「超えた」というのは、《超人的=通常の人間力を超えた》、《超自然的=通常の自然力を超えた》という意味である。
したがって、世界認識の基本・基準はあくまでも「人間」「自然」である。
・多神教があらわれたところでは、《世界は自然と人間で成り立っている》という認識が、結局宗教の原点として「自然や祖先への畏敬の念や崇拝」を産んでいるのだと思う。(※一神教の原点についてはよくわからない。)
では、この(少なくとも多神教が存在する世界での)人類の宗教の原点についての認識を、各社はどう中学生に教えている(いない)のか?
このことについて(表現はいろいろでも)言及しているのは、育鵬社、自由社、東京書籍の3社だけだ。
(※日本文教と帝国書院は、まったく違う宗教観に基づいて述べているようだ。)
~次回、「神道③飛鳥時代」~
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