A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

エルビンジョーンズが世に出した作曲家は、エルビンとちょっとイメージが合わないが・・・

2016-03-18 | PEPPER ADAMS
Composition of Fred Tompkins

持っているレコードの中には一度聴いたきりでお蔵入りしたアルバムも結構ある。衝動買いしたものは仕方がないが、期待して買い求めたアルバムが外れだとガッカリ感は強い。

このアルバムもその一枚。サドメルファンになってから、サドメルのアルバムだけでなくメンバー達のアルバムも買い求めることが多かった。中でもペッパーアダムスはかなり入れ込んでしまったが。

このアルバムも、そんな経緯で求めたアルバムだ。リーダーのフレッドトンプソンは知らなかったが、ジャケットに並ぶ面々を見るとサドメルの初期のメンバー達が並ぶ。それにエルビンジョーンズの名前も。聞いた事のないマイナーレーベルであったが、この面子を見ると反対にそれだけでも掘り出しものではないかと期待して買い求めた。

針を落とすとあまりにもイメージと違った。サドメルのメンバーは皆スタジオワークの強者。どんなスタイルでも演奏できるといえばそれまでだが、「こんな演奏もするんだ」という印象は受けても、その後繰り返し聴く事も無く、持っていたのも忘れかかっていた。

名の通ったプレーヤー達のアルバムの中に、時にメンバーの中に知らない名前が混じっていることも多い。大部分はゲストであったり、新人の起用であったりだが、その中で一曲だけの参加となると、その理由が余計に気になるものだ。

エルビンジョーンズのアルバム”Heavy Sounds”でピアノを弾いていたビルグリーン。昔から気になっていたが、他の演奏にお目にかかったことはない。同名のサックス奏者はいるが、果たして同じ人物かどうか?・・・。

ペッパーアダムスの参加したアルバムの棚卸をしている中で、先日エルビンジョーンズの”Poly Currents”というアルバムを紹介した。その中だけ一曲だけフレッドトンプキンスというフルート奏者が参加していた。

アダムスのディスコグラフィーを見ていると、このアルバムの録音直後にこのフレッドトンプキンスのアルバムに参加していた。メンバーを見渡して、もしやと思ってお蔵入りしていたこのアルバム取り出した。そして2枚のアルバムが繋がり、このアルバムの立役者がエルビンジョーンズであったことも分かった。

エルビンジョーンズとサドメルのメンバー達は普段から仲良く演奏していた。堅苦しいアルバムだけではなく、気軽なジャムセッションもアルバムとして残されている。エルビンの日頃のそんなプレー仲間の一人がフレッドトンプキンスであった。フルートだけでなく、ピアノも弾くトンプキンスであったが、本業は作曲であったようだ。
エルビンのアルバムでも、皆の曲を持ち寄ったアルバムだったこともあり、日頃のプレー仲間であるフレッドトンプキンスに声を掛けた。というより、エルビンにはせっかくの機会なので彼を世に売り出すのに一役買おうという強い意図があったようだ。ブルーノート、そして自分のリーダーアルバムに参加すれば広く名前を広める事ができるとの想いだったようだ。

その甲斐があってか、このアルバムが誕生した。マイナーレーベルであるが、集まったメンバーは普段一緒にプレーをしている一流どころが揃った。さらに、曲によってはストリングスやジャズにはあまり使われない木管も加わった。そして曲は皆トンプキンスのオリジナル。曲によって編成はバリエーションに富んでいるが、アンサンブルもかなり書き込まれている。ジャズの場合だと普通はテーマの作曲、そしてアレンジとなるが、ここではクラシックのようにアレンジというより全編作曲といった感じだ。

いわゆるジャズのスイング感(譜面の読み方を含めて)はなく、いわゆる前衛というよりサードストリームといったジャンルに近いのか。トンプキンスが日頃したためていた作品をめでたく世に出すプロジェクトは、エルビンを始めとして仲間の協力でめでたく実現した。

トンプキンスはその後も作曲家として活動しているようだ。他の新しいアルバムは聴いた事がないが、きっと同じ流れなのだろう。自分は、昔と較べてかなり幅広くどんなジャンルでも受け入れて聴くことができようになったが、きっとこのアルバムはまたお蔵入りで、繰り返し聴き返すことはないと思う。

1. Odile
 Fred Tompkins (fl)
 Lester Cantor (bassoon)
 Joe Tekula (cello)
 Barry Benjamin (French Horn)
 Danny Repole (tb)
 Jimmy Owens (tp)
 Joe Farrell (as)
 Mickey Bass (b)
 Elvin Jones (ds)

2. Yes
 Fred Tompkins (fl)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

3. Compound
6, SHH!
 Richard Jones (French horn)
 Al Gibbons (as)
 Joe Farrell (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

4. Fanfare Ⅲ
 Fred Tompkins (p,fl)

5. Trio
 Jacob Berg (fl)
 Bob Coleman (cl)
 Mel Jernigan (tb)

7. Two Sentiments
 Richard Williams (tp)
 Cecil Bridgewater (tp)
 Jerome Richardson (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Fred Tompkins (fl)
 Ron Carter (b)
 Elvin Jones (ds)

8. Circle
 Bob Brock (p)

9. Find A Way
 Gilbert Munguis (cello)
 Juri Taht (cello)
 Richard Williams (tp)
 Danny Repole (tb)
 Al Kaplan (tb)
 Richard Davis (b)
 Elvin Jones (ds)

All Compositions written by Fred Tompkins
Recorded at A-1 Sound Studio by Herb Abramson and Johnathan Thayer,October 1969 & May 1970
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サドメルのメンバーの面々が揃ってバックに、その歌手は・・・?

2016-02-10 | PEPPER ADAMS
Hello There,Universe Mose Allison

2月7日は50年前サドメルが初めてビレッジバンガードに出演した記念すべき日だった。本家ビレッジバンガードではVJOが連日記念ライブをやっていたようだが、50年前の記念すべきライブの模様を収めたアルバムが当日発売された。この1966年2月7日の最初のステージの模様は以前”Opening Night”というタイトルで発売されたこともあるが、今回は3月17日のライブも追加されてCD2枚組での発売。前回はFM放送に使用されたソースを使ったようだが、今回は同じ録音であっても正式に許諾手続きがされてリリースされたようだ。
サドメルのアルバムとしては久々のアルバムなので早速入手したが、50周年ということもあって、当時のメンバーのインタビューなども収めた厚いブックレットも添付され、これも貴重だ。ファンにとっては、気になるネタも多いのでこのアルバムの紹介は改めてしようと思う。

立上げ当時のサドメルのメンバーというと、ニューヨークでテレビに番組にレギュラー出演していたり、ファーストコールのスタジオミュージシャンが中心。月曜日には仕事が少ないという事もあり、サドメルのオーケストラに集まるのは月曜日がレギュラーとなったが、他の日はメンバーそれぞれがスタジオの仕事で飛びまわっていた。ジャズアルバムのメンバーとして加わるだけでなく、歌手のバックから、コマーシャルのジングルまでその活動の幅は広い。ペッパーアダムスももちろんその一人であった。
ある時はリーダー以下、バンドメンバーが全員参加バックでしたことがある。ジミースミスの”Portuguese Soul”などはメンバーだけでなく、アレンジを含めてサドメルがそのままバックを務めたこともある。

1969年10月、この日はトランペットセクションから2人、サックスセクションから3人の面々が揃ってスタジオに集まった。その日の主役、モーズアリソンのアルバムのための録音であった。
バックのアンサンブルのアレンジもアリソンが行ったので、このメンバーを集めたのはアリソンの要望だったのだろう。ただ、実際のアレンジは単調で、何もこのメンバーでなくともと思うが、スタジオワークでは要求されたものを要求どおり何でもやることが重要なのだろう。

さて、モーズアリソンというと、根っからのジャズファンにとっては、アルコーン&ズートシムスのグループでの演奏が有名だ。50年代から60年代初めにかけてのアリソンは、ハードバップに根差したピアノで活躍した。若手メンバーがロフトに集まって日々鍛錬を続けた仲間の一人でもあった。そのロフトではズートシムスやペッパーアダムス達も常連であったが、以前その演奏の様子は”Jazz Loft”というアルバムで紹介したことがある。ここでも、アリソンはシムス、アダムスなどとジャムセッションを繰り広げている。

このアリソンは、次第にジャズだけでなくブルースにも軸足を移す。次第にピアノだけでなく自作の曲のボーカルが中心になる。彼が歌う白人のブルースはジャズよりはロックやポップスのミュージシャンに影響を与え、カバーされることも多かった。

ジャズピアニストであるモーズアリソンが、今のモリソンに変身していく過渡期に作られたのがこのアルバムだ。すでにボーカルが中心になっているが、けっして歌が上手といったタイプではない。黒人特有のブルースの泥臭さがあるわけでもない。ソングライターとしての才能に、白人らしい洗練された歌い口がマッチして人気が出たのであろう。そのジャンルのファンにとっては伝説のジャズブルースシンガーになっているようだ。

バックのアンサンブルは人数が多いが複雑なアンサンブルワークを披露している訳ではない。人数が多い分分厚いサウンドだが、単調なバックだ。アダムスは、1曲目でいきなりソロをとっているが、もう一曲でソロが聴ける。珍しくセルドンパウエルがバリトンを吹いているが、録音日によってアダムスと交代している。



1. Somebody Gotta Move
2. Monsters Of The ID
3. I Do’ntWant Much
4. Hello there, Universe
5. No Exit
6. Wild Man On The Loose
7. Blues In The Night
8. I’m Smashed
9. Hymn To Everyhing
10. On The Run

Mose Allison (p, org. vol, arr)
Jimmy Notthingham (tp)
Richard Williams (tp)
Jerome Richardson (as,fl)
Joe Henderson (ts)
Seldon Powell (bs)
Pepper Adams (bs)
Bob Cranshaw (eb)
Joe Cocuzzo (ds)
Produced by Nick Samardoge & Lee Friendlander
Engineer : William Arlt & Jerome Gasper
Recorded in New York on October 16, 21, 31 1969


Hello There Universe
クリエーター情報なし
Collectables
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オルガンの演奏の雰囲気をそのまま歌声で・・・

2015-04-19 | PEPPER ADAMS
Stay Loose / Jimmy Smith Sings Again

最近は時間の感覚が鈍くなっている。ついこの前の出来事と思っても、実は5年前の事だったりするのは日常茶飯事。それに比べて学生時代の事は一年一年を明確に覚えている。
1968年自分は浪人時代で、ジャズ喫茶通いをしていた頃。学生運動の一番激しかった時で、新宿駅の騒乱があり、東大紛争のあおりで翌年の東大の入試がなくなった年だ。

ペッパーアダムスが参加したアルバムの紹介もこの1968年に入る。この年のペッパーアダムスは、サドメルとデュークピアソンのビッグバンドの両方にレギュラー参加し、毎週のライブだけでなくリハーサルが続く毎日でスタートした。
1968年といえば、この年の夏にはサドメルに加わって来日もした年だ。
レコーディングはコンボでの演奏より、相変わらずバックのオーケストラやアンサンブルに加わる事が多かった。この頃はそれだけビッグバンドやラージアンサンブルをハックにしたアルバムが多かったということになる。

MGMに売却されメジャーレーベルとなったVerveは、他のレーベルと較べてもお金の掛け方が違っていた。リリースされたアルバムの数も膨大であったが、ジャケットはダブルジャケットとなり、アレンジャーにもバックのオーケストラのメンバーにも一流メンバーを起用していた。当然のように出来上がったサウンドはゴージャスな物が多い。結果的にそれが好き嫌いに分かれるが、コンボ好きの硬派のジャズファンからは見向きもされないことが多い。

ペッパーアダムスもデュークピアソンとの付き合いが長かったせいもあり、ピアソンがプロデュースしていたブルーノートのセッションへの参加が多かった。しかし、サドメルに加わるとオーケストラの他のメンバーに誘われたのか、彼らと一緒に他のレーベルの録音への参加も増えてきた。そして、Verveのセッションへの参加も。
この年のアダムスの最初のレコーディングもそのようなものであった。

当時のVerveはピータソン、ゲッツ、エバンス、モンゴメリーなど大物ミュージシャンが集まっていたが、オルガンのジミースミスもその一人であった。ブルーノートで何枚もアルバムを出し、ジャズオルガンでは断トツの一人者であった。そんなジミースミスがブルーノートからVerveに正式に移籍したのが1963年、Verveに移籍してからも立て続けにヒットアルバムを出していた。
代表的なアルバムのThe catを始めとして、スミスのアルバムもオーケストラをバックにしたアルバムが多くなった。オルガンというとギターとテナーとの相性がいいように感じるが、このオーケストラのダイナミックなアンサンブルとオルガンの親和性もいいと思う。
今回のアダムスのレコーディングは、このジミースミスのバックであった。

このアルバムの特徴はというと、まずはジミースミスの歌が聴けるということ。タイトル曲Stay Looseを含むオーケストラをバックにした4曲がスミスの歌とオルガンをフィーチャーしたものだ。スミスの歌というのはオルガン同様、ソウルフルなファンキーな歌だ。鍵盤のノリがそのまま歌声になったようなもの。普段歌を歌わないミュージシャンが歌を披露するとイメージとは違ったり、楽器と較べるとノリが悪い事がある。しかし、スミスの歌はイメージ通り、オルガンの演奏でも唸り声が響き渡る。



残りの3曲が、ブルーノートでアルバムを立て続けに出していたスタンレータレンタインをゲストに加えたコンボでの演奏になる。
オルガンとの相性がいいビッグバンドのバックと、テナーとのコンビの両方の編成を用意し、スミスの歌までつけた欲張り企画だ。
この頃のVerveは、このアルバムのジャケットデザインにも驚かされるが、メンバーも演奏も色々なアルバムが入り乱れ何でも有だった。

1. I'm Gonna Move To The Outskirts Of Town *
2. Stay Loose *
3. If You Ain't Got It *
4. One For Members
5. Is You Is Or Is You Ain't My Baby *
6. Chain Of Fools
7. Grabbin' Hold

(*) 1,2,3,5
Joe Newman, Ernie Royal, Snooky Young (tp)
Garnett Brown, Jimmy Cleveland, Alan Raph (tb)
Pepper Adams (bs)
Joe Farrell (ts)
Hubert Laws (fl)
Jerome Richardson (as)
Jimmy Smith (organ, vocals)
Carl Lynch (g)
Jimmy Tyrell (b)
Grady Tate (ds)
Johnny Pacheco (per)
Eileen Gilbert, Melba Moorman, Carline Ray (vocals -1)
Tom McIntosh (arranger, conductor)

4,6,7
Jimmy Smith (organ)
Stanley Turrentine (ts)
Phil Upchurch (g)
Jimmy Merritt (b)
Grady Tate (ds)
Eileen Gilbert, Melba Moorman, Carline Ray (vocals -2,4,5)

Produced by Esmond Edwards
Recorded at A&R Studio in NYC, on January 29, 1968

Stay Loose (Dig)
クリエーター情報なし
Verve
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ズートシムスの共演相手はビルホルマン率いるノネット・・

2015-04-02 | MY FAVORITE ALBUM
Hawthorne Night / Zoot Sims

一ジャズファンであったノーマングランツ、趣味が嵩じてJATPを興したのは若干25歳の時であった。コンサートを自分で録音に残し、これをベースにアルバム作りも始め一躍有名になり、自ら育てたヴァーブレーベルも5年間で1000枚近くのアルバムを出し活況を呈していたが、1960年12月に突然それらを売却して引退した。

しかし、ジャズ界のその後の状況に危機を感じたのか、もう一度70年代に入ると再びプロデューサーとしての再起を賭けてJATPを再開した。1972年サンタモニカのシビックホールで旗揚げをし、これを機に本格的な復活の狼煙をあげた。それに合わせて、新たにパブロレーベルを興し、アルバム作りも再開した。ピーターソンやエラなど昔JATPやVerveレーベルで活躍した面々が昔の親分の元に再び集まった。

ビッグバンドもカウントベイシーやルイベルソンなどの伝統的なオーケストラが息を吹き返した。カールジェファーソンがコンコルドレコードを設立したのも1972年。メインストリームジャズが復活したのがこの年だった。車のディーラーであったジェファーソンと異なり、ノーマングランツはかっての業界の実力者、有名どころのベテラン達が続々と集まった。

しかし、ジェファーソンと異なり、グランツの場合は新人の発掘にはあまり興味は示さなかった。その結果、ミュージシャンが次第に歳をとると、活気のあるアルバムは少なくなってしまった。最後は、両オーナーともレーベルを手放したが、結果的に後発のコンコルドがメジャーとなり、パブロを飲み込んでしまったのも仕方がないだろう。

さて、パブロが新たに契約を結んだミュージシャンの中にズートシムスがいた。確かに実力者の一人であり、リーダーアルバムも数多く作ってはいたが、どちらかというと地味な存在、スターミュージシャンの中に並んで扱われるのは初めてであったろう。
パブロレコードは、ヴァーブ時代と同様大物同士の顔合わせやジャムセッション物のアルバムを次々と世に出した。このシムスもピーターソンやジョーパスとともに、ガーシュインのソングブックをリーダーアルバムとして初登場した。そして次のアルバムはパブロとしては少し毛色が変わった、ビルホルマンのアレンジで9人編成のラージアンサンブルをバックにしたアルバムであった。

このホルマンは50年代からアレンジャーとして活躍し、70年代になってもバディーリッチやスタンケントンのビッグバンドのアレンジは提供してはいたが、ジャズの世界とは少し疎遠になっていた。このパブロの誕生と共にジャズのアレンジも本格的に復活し、カウントベイシーやルイベルソンのアルバムでは、このビルホルマンのアレンジが多く使われた。それに刺激を受けたのか、自らのビッグバンドを編成し活動を始めたのもこの頃であった。

50年代にはビッグバンドだけでなく、コンボやこのようなラージアンサンブルのアレンジも多く手掛けていたが、久々にジャジーなアレンジに気合が入ったことであろう。集まったメンバーも西海岸のスタジオミュージシャンの一流メンバーが集まった。ちょうど70年代に入り、彼らの仕事場であったテレビ番組の制作がロスに移ったこともあり、ニューヨークからスタジオミュージシャンの大移動があった。ルータバキンが秋吉敏子と共にロスに移ったのもその理由であったが、サドメルのメンバーもこの大移動で大きく変った。スヌーキーヤングやジェロームリチャードソンも移動組であったが、この録音には彼等も参加している。そして、トロンボーンにはロスの重鎮フランクロソリーノも加わっていた。

ホルマンのオリジナルに加え、エリントンナンバーやイパネマの娘など選曲も変化に富んでいるが、ホルマンも曲に合わせて個性あるアレンジで大活躍だ。デュークピアソンが自分のビッグバンドを立ちあげる前に、ブルーノートでラージコンボのアレンジを数多く書いていたが、それら中に後のビッグバンドの雰囲気を感じるのと同様、ホルマンの場合も明らかに50年代とは違って、80年以降のビッグバンドに通じる作風を感じる。

シムスの自作のダーククラウドは、昔ランバートヘンドリックス&ロスとの共演で演奏した曲だが、このアルバムでは珍しいシムスの歌も披露している。
演奏はもちろんリーダー格のズートシムスが全曲でフィーチャーされているが、重鎮揃いのバックの中ではフランクロソリーノが大活躍している。シムスとホルマンのアレンジを楽しむアルバムだが、ロソリーノのソロも掘り出し物だ。


1. Hawthorne Nights                    Bill Holman 4:42
2. Main Stem                      Duke Ellington 5:03
3. More Than You Know    Edward Eliscu / Billy Rose / Vincent Youmans  6:01
4. Only a Rose                Rudolf Friml / Brian Hooker  5:07
5. The Girl from Ipanema  N. Gimbel / A. Carlos Jobim / Vinícius de Moraes  4:10
6. I Got It Bad (And That Ain't Good)   Duke Ellington / Paul Francis Webster 6:19
7. Fillings                         Bill Holman 5:27
8. Dark Cloud                        Zoot Sims 4:21

Zoot Sims (ts,vol)
Bill Hood (bs,bcl,fl)
Richie Kamuca (ts,cl)
Jerome Richardson (as,cl,ss,as,fl)
Frank Rosolino (tb)
Oscar Brashear (tp)
Snooky Young (tp,flh)
Ross Tompkins (p)
Monty Budwig (b)
Nick Ceroli (ds)
Bill Holman (arr)

Produced by Norman Granz
Recorded at RCA Studio, Los Angels on September 20 & 21, 1976
Engineer : Grover Helsley

Hawthorne Nights
Zoot Sims
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サドメルのシングル盤があるのをご存じですか?

2014-12-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Complete Solid State Recording of the Thad Jones / Mel Lewis Orchestra

12月に入り、寒さが一段と厳しくなったが、このような季節には南国ゴルフということで、仲間と沖縄にゴルフに出かけた。現役時代は此の時期ハワイ合宿をよくしていたが、久々の南国ゴルフ。着いた日には27度と真夏の暑さ、ゴルフはやはり、半袖、短パンと、喜んだのもつかの間。いざプレー日となると一転冷たい雨、そして台風並みの暴風に。翌日は雨が上がったものの、冷え込んで「南国ゴルフ」を満喫という訳に行かなかった。天気にもめげず調子は上々、久々に楽しいゴルフを満喫できた。

10月からビッグバンドの素晴らしいライブが続く、10月にはゴードングッドウィンとヴァンガードジャズオーケストラの東西名門のそろい踏み。11月はボブミンツァーと続き、12月にはマンハッタンジャズオーケストラに、今年2度目のカウントベイシーと続く。日本のバンドも負けじとライブは数多く行われている。
予定が合わずになかなかすべては行けてはいないが、中で良かったのが、
Mika Brasil Big Band。ラテン物はこれまであまり聴く機会が無かったが、自分にとっては新たな世界が広がった。

小林正弘One Night Jazz Orchestraはサミーネスティコの特集。昨年のクインシージョーンズの来日時は、クインシーのビッグバンドを演じていたが、今回はネスティコ。昔のベイシー物を期待してきたファンもいたようだが、新しいものも含めてこれも楽しめた。

有名アレンジャー物の手掛けた作品の演奏をいつも楽しませてくれるのが辰巳哲也ビッグバンドだが、今回はフィンランドのエーロコイヴィストイネン。UMOオーケストラの創始者の一人という事だが、昔サドジョーンズが加わったアルバムしか聴いた事が無かった。確かにメンバーの一人として参加していたが、それ以外はアレンジもプレーも聴いた事が無かった。興味津々で出掛けてみたが、これがまた素晴らしかった。コルトレーンの世界をフリーではなく綺麗にビッグバンドに仕上げるとこうなるのかという感じで聴き応えがあった。なかなか聴けない物を提供してくれる辰巳さんの努力には頭が下がる。

当日の演奏はこちらで。↓



スイング時代はビッグバンドが主役。ビッグバンド物のヒット曲が当たり前であったが、モダンジャズの時代になってジャズはヒット曲とは無縁の存在に。シングル盤はヒット曲の代名詞のようなもので、POPSの世界ではアルバムからシングル盤が生まれ、シングルヒットをきっかけにアルバム作りが行われることが多い。

しかし、ジャズのシングル盤というのはあまり聞かない。リーモーガンのヒット曲「サイドワインダー」はアルバムから後にシングルカットされたというが、これはジュークボックスにかけるにはシングル盤が必要だったからという。我々世代は、ヒット曲というとラジオというイメージがあるが、昔のアメリカではヒット曲とジュークボックスも不可分であったようだ。

その中で、あのサドメルのオーケストラもオリジナルのシングル盤を一枚だけ作っている。彼らのアルバムは大体紹介しつくしたかと思ったら、このシングル盤が残っていた。といっても、その実物は見た事も、聴いた事もないのだが・・・・。

1967年サドメルのオーケストラは前年の2月の旗揚げ以来順調に活動を続け、ビレッジバンガードへの毎週月曜日の出演以外にもライブやコンサート出演の機会が徐々に増えていった。となると、忙しいメンバーが多いこのオーケストラにとっては、代役が必須となった。

立ち上げ時から、バリトンのペッパーアダムスの代役はマーヴィンホラディであったが、他にも例えば、ベースのリチャードデイビスに替わってロンカーターが代役を務めることも。サックスの要、アルトのジェロームリチャードソンのサブ(代役)はフィルウッズであった。この二人が収まった写真も残っている。このメンバーでのプレーも聴いてみたいものだが・・・



1月13日リーモーガンのセッションを終えたペッパーアダムスは、24日にA&Rスタジオに招集がかかった。録音と聞いて集まったものの、リーダーから渡された新しい譜面は一枚。3分足らずの短い曲だった。もう一枚は、メンバーのガーネットブラウンが用意したエリントンのソフィストケイテッドレディー。この2曲でシングル盤を作るというセッションであった。

当然、「何故作ったの?」という話になるが、真相はこのようなことだったようだ。

サドメルはソリッドステートというフィルラモンが立ち上げた独立レーベルでデビューしたが、このソリッドステートがメジャーのユナイテッドアーティスト(UA)の傘下に入る。
この(UA)が1966年に公開した「ハワイ」という映画があった。この主題歌がアカデミー賞にノミネートされたという話が伝わってきた。それを聞いたサドジョーンズが、であればこの曲のカバーのビッグバンド版を早い所作ってひと儲けしようということになった。バンド自体も知名度が上がって来たし、これで一気に有名になれるかもと捕らぬ狸の皮算用をしたという訳だ。では、善は急げという事で、賞の発表前に慌ただしく録音セッションがセットされたという次第であった。

この日、トラとしてサックスセクションにはフィルウッズ、トランペットにはマービンスタムが参加していた。
実は、この録音に関して、詳細なパーソネルの記録は残されていなかった。
関係者のヒアリングなどによりこの録音のメンバーに関しては、ペッパーアダムスの年表にも以下のように記されている。

Jan 24: New York: Thad Jones-Mel Lewis Orchestra date for Solid State. For personnel, see 4-6 May 1966; Marvin Stamm replaces Bill Berry, Phil Woods replaces Jerome Richardson, Roland Hanna replaces Hank Jones.

タイトル曲自体は、ゆったりとした特徴の掴みにくい曲だがが、そこはサドジョーンズの筆にかかると見事なアンサンブルに仕上がった。もう一曲の、ガーネットブラウンのアレンジのエリントンナンバーも珍しいアレンジだ。ボサノバ調と4ビートが混ざる、エリントンのオリジナルとは異なる軽快な曲。サックスセクションとトロンボーンセクションのアンサンブルが特徴的だ。短い曲だがペッパーアダムスのバリトンのソロも良い感じである。







予定の2曲が終わったところでもう一曲、ブルックマイヤーのアレンジによるウイローツリーをやることになった。この曲は他にはライブ録音しかないが、これと較べるとリチャードデイビスのソロは無く、サドジョーンズもフリューゲルホーンを使っているなど違いは大きい。フルートリードのクラリネット4本のアンサンブルがスタジオ録音のお蔭で綺麗に聞こえる。

そして、いよいよアカデミー賞の発表の日を迎えるが、「ハワイ」は残念ながら受賞を逃す。予定通りシングルはリリースされたが、何も話題にはならず、幻のシングルとなったようだ。

もちろん、このシングルが再発されることはまずないと思うが、Mosaicのサドメルのソリッドステートコンプリートアルバムにはこの3曲も収められおり、それで聴く事はできる。これには、他のアルバムの未発表曲やCD化されていないアルバムも収められているので、サドメルマニアにはお勧めかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューポートでの再会を機に、すぐにレコーディングとはなったものの・・・

2014-11-05 | PEPPER ADAMS

Presenting Joe Williams and the Thad Jones / Mel Lewis Jazz Orchestra / Joe Williams



ペッパーアダムスは9月22日のスタンレータレンタインのアルバムの録音の後、9月30日にはこのアルバムにも参加している。アダムスの出番はCome Sundayで少しだけだが、さて、どういう経緯でこのアルバムが生まれたかというと・・・。

1966年に誕生したサドジョーンズ・メルルイスオーケストラは、毎週月曜日にヴィレッジバンガードに出演を続け、あっと言う間に世の中に知れ渡ることになる。そして、トントン拍子にその年のニューポートジャズフェスティバルへの出演も決まり、7月2日の夜の部のトリを務める。



当時のプログラムを見ると、メルルイス・サドジョーンズオーケストラとなっており、ボブブルックマイヤーとハンクジョーンズが共演となっている。当時のメンバーの知名度の一端を表しているようだ。そしてそこに、共演ジョーウィリアムの記述も。
蛇足ながらゲッツにアル&ズート、そしてジェリーマリガンの加わったハーマンオーケストラにも惹かれる。

さらに、記録を見ると、その時演奏された曲は、
The Second Race
Willow Weep for Me
The Little Pixie
Big Dipper
に続いて
Come Sunday
Jump for Joy
Roll ‘em Pete
と続く。

この3曲でジョーウィリアムの登場となった。

サドジョーンズとジョーウィリアムは長年カウントベイシーオーケストラで一緒にプレーした間柄、それも50年代後半の全盛期アトミックベイシー時代を一緒に過ごした旧知の仲である。出演が決まったサドジョーンズがジョーウィリアムスリアムスに声を掛けたのか、主催者のジョージウェインが2人のマッチメイクをしたのかは定かではないが、久々のビッグバンでの共演であった。

5月にサドメル初のスタジオ録音を終えてニューポートの舞台に臨んだが、このニューポートの共演で2人は早速レコーディングを思いついたのだろう。早々に9月30日にこのレコーディングは行われた。

このアルバムは、以前紹介したこともあるが、サドメルのアルバムの一枚という位置づけでもあるが主役はジョーウィリアムス。ウィリアムスにとってもベストアルバムの一枚になるのではないかと思う。ジョーウィリアムスがベイシーオーケストラに入った時から、自分をブルース歌手とは規定することは無く、スタンダードやバラードもレパートリーに加えていた。ここでも全編ブルース色が強いが、あくまでもジャズ歌手というジョーウィリアムスの良さを引き出している。もちろんそれはサドジョーンズのアレンジの秀逸さによるものだ。

当時メンバーの一員であったエディダニエルスは後に当時を振り返って、「月曜日は夜中の3時近くまでヴァンガードで演奏をした後で、そのままスタジオ入りして一日仕事が続き、翌朝になってしまうのは日常茶飯事。時には更にもう一晩続いて次の日の夜が明けることもあった。この録音もそんなセッションのひとつであったと。」
「さらに、何せジョーンズがこのアレンジを始めたのはヴァンガードの仕事が終わってから、写譜屋さんを従え突貫作業で仕上げていった。ジョーンズはこのようにプレッシャーを受ける中での仕事を好んでいたようだ。」と。

事実、サドジョーンズはペッパーアダムスの送別アルバムでもあったモニカジタールンドのアルバムのアレンジを移動中のバスの中で行ったという。典型的なギリギリにならないと仕事をやらないタイプだったのだろう。



記録によるとこのアルバムのレコーディングは9月30日に行われたとある。この日は金曜日、最後の曲Woman's Got Soulのセッションを録り終ったのは土曜日の朝、この後皆でコントロールルームで聴き合ったともライナーノーツに書かれている。
ダニエルスの記憶のようにこのセッションが月曜日の夜から延々続いたということは流石にないとは思うが、アレンジが出来上がった所から片っ端からリハーサルもそこそこで12曲一気にレコーディングが行われたというのは事実であろう。

その事実を知ると、余計にこのアルバムのジョーンズのアレンジとウィリアムのコンビネーションを素晴らしく感じる。アレンジは明らかにベイシーオーケストラのバックとは異なり、ソプラノリードのサックスなどサドメルの味がする。
さらに、ダニエルスもそれを「CAMEO」とコメントしているが、バックのメンバー達が入れ替わり立ち代わり歌とアンサンブルの合間に綺麗な装飾のように輝く短いソロやオブリガードを散りばめられているのが素晴らしい。また、後にサドメルではレギュラー構成から外されたフレディーグリーンライクのサムハーマンのギターもここでは効果的だ。このアルバムからピアノはハンクジョーンズからロランドハナに替わっているが、そのハナのピアノもソウルフルにツボを得たバッキングだ。



ジョーウィリアムはベイシー時代、新しい曲をやりたいと思うと、アーニーウィルキンスやフランクフォスターにアレンジを頼んだそうだ。ベイシーオーケストラ時代、サドジョーンズのアレンジはダメ出しされる事が多かった。ウィリアムスも頼み辛かったのかもしれないが、ここでは、サドジョーンズのお蔭で新境地を開いているような気がする。



1. Get Out of My Life Woman" (Toussaint) -- 3:21
2. Woman's Got Soul (Mayfield) -- 2:22
3. Nobody Knows the Way I Feel This Morning  (Delaney, Delaney) -- 4:30
4. Gee Baby, Ain't I Good to You  (Razaf, Redman) -- 2:52
5. How Sweet It Is (To Be Loved by You)  (Dozier, Holland, Holland) -- 2:32
6. Keep Your Hand on Your Heart  (Broonzy) -- 3:37
7. Evil Man Blues (Feather, Hampton) -- 3:26
8. Come Sunday (Ellington) -- 3:16
9. Smack Dab in the Middle  (Calhoun) -- 3:29
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  (Ellington, Mills) -- 3:04
11. Hallelujah I Love Her So  (Charles) -- 3:01
12. Night Time Is the Right Time (to Be With the One You Love)" (Sykes) -- 5:13

Joe Williams -- vocals
Thad Jones -- flugelhorn
Mel Lewis -- drums
Richard Williams -- trumpet
Bill Berry -- trumpet
Jimmy Nottingham -- trumpet
Snooky Young -- trumpet
Bob Brookmeyer -- trombone
Garnett Brown -- trombone
Tom McIntosh -- trombone
Cliff Heather -- trombone
Jerome Richardson -- saxophone
Jerry Dodgion -- saxophone
Joe Farrell -- saxophone
Eddie Daniels -- saxophone
Pepper Adams -- saxophone
Richard Davis -- bass
Roland Hanna -- piano
Sam Herman – guitar

Produced by Sonny Lester
Recording Engineer : Phil Ramone
Recorded on 1966 September 30, at A&R Studio New York City




Presenting Joe Williams & Thad Jones/Mel Lewis
Joe Williams
Blue Note Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tradition=昔から伝わる遺産を守るか、Innovation=過去を捨ててさらなる進化をするか・・・

2014-10-01 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Legacy / The Vanguard Jazz Orchestra

伝統と革新をどのように両立させるか? これは何の世界でも同じだが、前に向かおうとすると必ず直面する課題かもしれない。
本来、伝統というものは守らなければならないものだと思うが、伝統とは形に残る遺産だけでなく、それを生み出した生き方、考え方、時には時代背景などすべてが含まれるものだ。

昨今では、昔からやり続けていることを単に「マンネリ」と見下し、前に進むための革新には邪魔なものと見なしがちである。敢えて過去を捨て去ることで新たなステージを迎えることができると勘違いすることも多くある。

特にIT化という大きな時代の流れの中では、アナログは真っ先に捨てなければならないものとなった。しかし、IT化というものはあくまでも手段。目的を持たないIT化は残念ながら形だけのものになり、そこには伝統も文化も無く、一番大事な人と人との繋がりを機能的に便利にする反面、かえって心の通い合う付き合いを希薄にしてしまったように思う。

サドジョーンズは、多くの名曲、名アレンジ、名演、そして名ビッグバンドを残した。
それらの貢献を称えての「Tributeアルバム」は沢山あるが、ビッグバンドはやはりサドメルオーケストラへのトリビュートになる。先日紹介したMonday Night Big Bandはその一枚であるが、このアルバムは本家ヴァンガードジャズオーケストラによる始祖の一人サドジョーンズへのトリビュートアルバムになる。

サドジョーンズがサドメルのオーケストラを去ったのが1978年。残されたメルルイスは旧メンバーであったボブブルックマイヤーを音楽監督に迎え、一時サドジョーンズの曲を封印した。
しかし、後にそれも解消しメルルイスオーケストラもサドジョーンズの曲とアレンジの「deffinitive」決定版として2枚のアルバムを残して、サドジョーンズの遺産は復活した。

メルルイスが1990年に亡くなった後も、残されたメンバー達でオーケストラは存続された。
サドメルの本拠地であったヴィレッジバンガードの名前をオーケストラの名前に冠し、サドメルオーケストラ、そしてメルルイスが残した多くの遺産を引き継ぐことになった。
このオーケストラも、伝統と革新の2つの課題に直面する。

このアルバムタイトルは、「サドジョーンズの遺産」、当然「伝統」が優先する。本家としてどこまで伝統が引き継がれているかが聴きどころになる。
結果は、初期のサドジョーンズのアレンジを見事に再演している。ライブでは無くスタジオできっちり収録されたものであり、演奏しているメンバーも長年演奏し続けているだけあって、まずは「本家」の演奏としてそつなくこなされている。

「Quiet Lady」、オリジナルではペッパーアダムスとローランドハナ、サドジョーンズのソロであったが、ここではスマリヤン、マクニーリー、ウェンホルトで再現している。



そして、このアルバムが生まれるには一つの大事な背景があった。

サドジョーンズの功績をジャズの歴史の中で後世にきちんと伝えるためのプロジェクト”The Thad Jones Legacy Project”がスタートし、その活動の一環としてこのアルバムも制作されたと記されている。単に昔を懐かしんだナツメロアルバムではないということだ。

この活動には後日談があり、このプロジェクトはサドジョーンズが残したビッグバンド用のオリジナル譜面の完全保存版の収集(作成)も手掛けた。もちろん、それにはヴァンガードジャズオーケストラに残されたセロテープで継ぎ接ぎだらけになった譜面も対象となった。手直しが加えられたものも多くあり、別に市販の譜面として別に世に出た中には間違いもあったり、すべて内容の確認が必要であり全体の整合性のチェックなども行われた。更には、一部の譜面が紛失してお蔵入りになったり、レコーディングに使われたがその後一回も演奏されたことが無い曲もあった。サドメルとかって共演したオルガンのローダスコットの元まで譜面探しは徹底されたそうだ。

最終的にはミュージシャンによる最終確認も必要であり、この作業を実際に行ったのはサムモスカ以下のオーケストラの面々、彼等が中心となって多くのそれをサポートするスタッフも参加して実施された。
そして、その作業が完了したのはこの録音から4年後の2003年。それを記念して、新たな譜面でのライブが本拠地のヴィレッジバンガードで行われたとの記事も残されている。

2009年にこのVJOが来日した時、4日間8ステージをすべて違う曲で演奏するというプログラムが組まれた。これが実現されたのも、過去からの遺産をきちんと守るこのような地道な努力があったからだろう。

しかし、サドジョーンズが作ったオーケストラの原点は単に曲やアレンだけではない。
ツアーをしない週一回の定期的なライブ演奏、黒人・白人がほぼ半々のメンバー構成、エリントンのように作曲家&アレンジャーのバンドでもなく、ベイシーのようなソロイスト中心のバンドでもなく両方の特徴を持ち合わせ、アンサンブル主体かと思うと自由度の高いソロパートも存分に設け、今までのオーケストラに無い斬新な切り口が数多く取り入れられた。それらがサドメルの原点であり守られるべき伝統の一つだと思う。

このようなサドメルの特徴は色々な所で述べられているが、アルバムのライナーノーツを読むと、もうひとつ面白い表現があった。
1930年のチックウェブオーケストラ以来、初めて「家で寛いでいる聴衆と一緒にいる感じで演奏するオーケストラ」と。そして「聴衆だけでなく演奏しているプレーヤー自身も演奏することが楽しみなメンバーで編成されている」と。初めて来日した時の評論家の油井正一氏の感想も全く同じ事を言おうとしたのであろう

まさに、初期のサドメルオーケストラの聴衆と演奏者が一体なったライブの楽しさを上手く表現している。実は、これもサドメルオーケストラの守るべき大事な伝統の一つでもある。
ヴァンガードオーケストラは最近毎年のように来日し、そのライブを聴きに行くが、会場となるビルボードの構造なのか、残念ながらそのような雰囲気にはなかなかならない。
本拠地であるヴィレッジバンガードでの演奏を聴く機会は残念ながらまだ無いが、きっとアットホームな演奏を聴く事ができるのだろう。

これらの伝統を踏まえれば何もサドジョーンズの曲ばかりを演奏することだけが伝統を守ることではない。2003年の譜面のRestore記念のライブでも、サドジョーンズの曲に合わせて、ジムマクニーリーやスライドハンプトンの曲も演奏され、TraditionとInnovationというVJOの2つの使命を果たしていると記されている。

今後もサドジョーンズの想いを引き継いで、新たな領域にどんどんチャレンジして欲しいものだ。今年の来日公演では、ボブブルックマイヤーの遺作を聴かせてくれそうなので、これも楽しみだ。



1. A-That's Freedom             Hank Jones 7:21
2. Once Around               Thad Jones 5:53
3. Quiet Lad                 Thad Jones 7:30
4. Central Park North             Thad Jones 8:30
5. Yours and Min                Thad Jones 3:54
6. Fingers                  Thad Jones 14:38
7. Groove Merchant           Jerome Richardson 8:36
8. All My Yesterdays              Thad Jones 4:10
9. My Centennial                Thad Jones 7:33

The Vanguard Jazz Orchestra

Scott Wendholt (tp,flh)
Glenn Drewes  (tp,flh)
Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
John Mosca (tb)
Jason Jackson (tb)
Ed Neumeister (tb)
Douglas Purviance (btb)
Billy Drewes (as,ss,fl,cl)
Ralph Lalama (ts,cl,fl)
Dick Oatts (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl)
Gary Smulyan (bs)
Jim McNeely (p)
Dennis Irwin (b)
John Riley (ds)

Produced by Thomas Bellino, Douglas Purviance
Engineer : Stuart Allyn
Recorded at Edison Recording Studio on May 1 & 2 1999



Thad Jones Legacy
The Vanguard Jazz Orchestra
New World
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クインシージョーンズがこのアルバムで一歩踏み出さなければ今のクインシーは無かったかも?

2014-09-08 | MY FAVORITE ALBUM
Quincy Jones Plays Hip Hits

先日、サドメルのファーストアルバムを録音したフィルラモンのディスコグラフィーを見ていたら、初期の作品にマーキュリー時代のクインシージョーンズのアルバムの名前”Play Hip Hits“があったのに気が付いた

クインシーといえば、昨年来日して多くのチルドレンに囲まれてクインシーの歴史を語るような素晴らしいライブを聴かせてくれたが、アレンジャーからプロデュース業への最初の転身をした時代がマーキュリーの時代だ。

クインシーのビッグバンドはお気に入りのバンドの一つなので、このブログでも多く紹介したが、このマーキュリー時代の後期のアルバムはパスしていた。実際に他のアルバムはLP時代に入手したが、このアルバムを購入したのはCD時代になってから.一二度聴いてお蔵入りしていた。別に嫌いではないが、何か物足りなさを感じて。久々に聴いてみながら、少し振り返ってみることに。

マーキュリー時代のクインシーといえば、まずは自らのレギュラーバンドで始まる。
ヨーロッパに遠征して苦労した後、59年にThe Birth of a Bandでアメリカでのアルバムデビューを果たし、そして61年のニューポートに出演したが、そのライブでクインシーのレギュラーバンドも解散。これで一区切りとなった。

クインシー自身がマーキュリーの経営にタッチしてからは、アレンジャーとしてのクインシーに加えてプロデューサーとしてのクインシーのスタートであり、その後のクインシーのオーケストラも少しその前の時代と色合いが違ったものになった。
要は、マーキュリーの経営者として売れるアルバム作りを求められたのだろう。

このアルバムが、ちょうど端境期の一枚だ。

当時のマーキュリーのカタログを見ると、ジャズだけでなくあらゆるジャンルのアルバムが揃っている総合デパート状態。ジャズテットなどのストレートジャズのアルバムもあるが、ジャズといえどもだんだん売れるアルバム作りに変っていった。

結論から言うと、このアルバムで当時のヒット曲をクインシー風に料理するところから今のクインシーが生まれたような気もするし、一方で、時代的にもベイシーエリントンもヒット曲アルバムを作っていた時代だったとも言える。
これをコマーシャリズムと言ってしまえばそれまでだが・・・。

先日、ハービーマンのコマーシャリズムにのった録音を乱発した時のアルバムをコメントしたが、60年の半ば、ちょうど時期的にもこのクインシーのアルバムは符合する。

ジャケットには63年4月9日、11日、12日の録音と記されているが、62年6月録音のA tast of Honeyや9月録音のDesafinadoなども収録されているので、アルバムはいくつかのセッションから集められたもの。先日のハービーマンのアルバムとも似たような作られ方だ。

いずれにしても、曲は当時のヒット曲が中心。ジャズのスタンダードの多くは元々昔のヒット曲。ヒット曲を取り上げたからコマーシャリズムという訳ではないが、色々なジャンルから良くヒット曲を集めたといって程バラエティーに富んだ選曲がされていて、これで新たなファンを作ったのも事実だろう。

一曲目は、ハービーマンの62年のヒット曲「カミンホームベイビー」。早速、「頂き」といって感じでカバーしている。ベースには、ハービーマンのアルバムでも演奏していたベンタッカーを起用する凝りよう。次のレイブラウンのグレイビーワルツが果たしてヒット曲なのかと思ったら、テレビのスティーブアレンショーの為につくったテーマ曲だった。

ディサフィナードも前年ゲッツとジョビンでヒットした曲、エクソーダスは映画「栄光への脱出」、次のヴィンスガラルディーの曲は63年のグラミーの最優秀楽曲賞受賞作、次のテイストオブハニーは有名だが、誰の作品かと思ったらこのアルバムでソロをとることが多いいボビースコットの作品。

バックアットザチキンシャックは、ジミースミスのファンキーな曲、ハープシコードのイントロがいい感じ、ジャイブサンバはナットアダレーの有名曲だ。テイクファイブもヒット直後。エルマーバーンスタインの映画音楽の後は、ハンコックの初期の名曲ウォーターメロンマンでこれはボーカル入りで。最後のブルーベックのボサノバ曲は別のボサノバセッションからの一曲。

ボビースコットのピアノ、ジムホールのギターとシムスのテナーとウッズのアルトがアルバム全体を通じてフィーチャーされているアルバム作りだ。

どの曲も全体が短いながら、実にそれぞれの曲の雰囲気を生かしたアレンジだ。ソロも短いがどれもピリッとした味付け。自己満足型の長いソロに時々辟易とすることもがあるが、美味しい物を味わうにはかえってこのような少し物足りない方がいいかも。腹8分目とは何の世界でも共通なようだ。

今回聴き直してみると、クインシーのアレンジは元々複雑、難解というより、シンプル&スインギー。素材は確かに新しいヒット曲ばかりだが、ヒット直後や超有名曲のオリジナルのイメージが強い中でのアレンジも難しいだろう。演奏も決して手を抜いている訳ではない。昔テレビのCMの世界が15秒の芸術と言われたように、短い中に表現したいコンセプトを上手く入れ込むのが名人芸と言われるのと同じだと思う

そして、このアルバム作りに参加したミュージシャンのクレジットをみると、どのセッションもオールスターメンバー勢ぞろい。ニューヨーク中のスタジオミュージシャンが集まってしまったような豪華さだ。せっかく見つけたのでコピペをしておくことにする。

1. Comin' Home Baby          B.Tucker & R.Dorough 2:47
2. Gravy            Waltz Ray Brown & Steve Allen 2:36
3. Desafinado              A.C.Jobin & Mendonca 2:57
4. Exodus                     Ernest Gold 3:20
5. Cast Your Fate to the Wind           Vince Guraldi 2:44
6. A Taste of Honey         Bobby Scott & Ric Marlow 2:34
7. Back at the Chicken Shack           Jimmy Smith 2:59
8. Jive Samba                  Nat Adderley 2:38
9, Take Five                    Dave Brubeck 3:27
10. Walk on The Wild Side              E.Bernstein  3:11
11. Watermelon Man              Herbie Hancock 3:20
12. Bossa Nova USA              Dave Brubeck 3:12

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, June 15, 1962

Clark Terry (trumpet, flugelhorn) Jerome Richardson (alto flute, flute, woodwinds) Lalo Schifrin (piano) Jim Hall (guitar) Chris White (bass) Rudy Collins (drums) Carlos Gomez, Jose Paula, Jack Del Rio (percussion) unidentified horn and brass, Quincy Jones (arranger, conductor)
A&R Recording Studio, NYC, September 8, 1962

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, April 9, 1963


ザ・ヒップ・ヒッツ(紙)
Quincy Jones
ユニバーサル ミュージック クラシック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペッパーアダムスのサドメルオーケストラでのラストレコーディングは・・・・?

2014-07-13 | PEPPER ADAMS
It Only Happens Every Time / Monica Zetterlund, Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

サドメルオーケストラが、ビレッジバンガードで初ライブを行ったのは1966年2月7日。この日の演奏はFMでも中継され、CDでもその演奏は残されている。ペッパーアダムスはその時リーダーのサドジョーンズとコンビを組んでいたが、そのままこのオーケストラにも参加した。
そして、そのペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラを辞めたのは1977年8月24日。丁度ヨーロッパツアーの途中でストックホルムに滞在している最中であった。

オーケストラに加わって11年、メンバーの入れ替わりも多くなっている中、両リーダー以外に11年間続けて在籍したのはペッパーアダムスとジェリーダジオンの2人であった。
アダムスはちょうど35歳から46歳まで、人生で一番脂の乗り切った時をサドメルオーケストラで過ごしたことになる。

サドメルとのファーストレコーディングは66年2月7日の初演、これにアダムスも当然参加している。
「ラストレコーディングは?」というと、実はこのアルバムになる。

77年8月23日録音、翌日バンドを離れアメリカに戻るので在籍最後の日の録音。本当の意味でのラストレコーディングになる。
この事実を踏まえて、このアルバムを聴くとこのアルバムの位置づけもはっきりしてくる。

このアルバムの主役モニカゼタールンドとペッパーアダムスは昔からの知り合いであった。
1961年にはドナルドバードとのクインテットで彼女と録音もしている。あの有名なエバンスとのアルバム“ Waltz For Debby “より3年も前の出来事だが、残念ながら世には出ていないようだ。

このアルバムのジャケット裏に録音時の集合写真がある。
ジャケットの表の写真は彼女とサドジョーンズのアップの写真であるが、裏の写真ではリーダー2人を差し置いて中央に彼女の横に立つペッパーの姿を見ても、このアルバムのもう一人の主役はペッパーアダムスであったのは間違いないだろう。



アダムスは、異国の地スウェーデンでバンドを離れることになったが、そのスウェーデンに住む昔からの友人ゼタールンドと、サドメルオーケストラのメンバー達が、アダムスに餞別の意味を含めてのレコーディングを行ったのではないだろうか思われる。
というのも、このレコーディングは用意周到に企画されたものではなかったので。

サドメルオーケストラの歌伴というと、初期のソリッドステートレーベル時代、ジョーウィリアムスルースブラウンのバックを務めた2枚のアルバムがあった。どちらも、ブルースを得意とする2人。ジョーンズのスマートなアレンジが脂っこさを中和した、好アルバムだろ思う。
このゼタールンドは少しイメージが違う。しかし、名アレンジャーサドジョーンの手にかかると、彼女の歌の魅力を引き出す違ったアレンジをするのではないかと期待するのだが。

しかし、このレコーディングの準備は実際にはとんでもない突貫作業だったようだ。
コンサートツアーの移動中のバスの中、ピアノも手元にない中でジョーンズはスコアを書き続けた。スタジオに入ってからも皆でパートを仕上げながら、リハーサルもそこそこで録音に臨んだ。これもアレンジャー、サドジョーンズの名人芸のひとつだったようだが。

長年サドジョーンズの片腕として、ペッパーアダムスはオーケストラ全体を聴く耳を持っていた。スタジオで遠く離れたトロンボーンセクションにやってきて、「ここは自分がトロンボーンセクションと一緒に吹くことになっているが、どうしよう思っている?」と確認していった。「すでにアダムスの頭の中には全体の中で自分の役割が認識されていた。そこが長くオーケストラ生活を過ごしてきたアダムスの凄い所だ」と、当時のメンバーとして参加していたサムモスカのコメントもある。

タイトル曲のIt Only Happens Every Timeは、サドメルのComsummationにも収められている綺麗な曲。Groove Marchantなどサドメルの有名曲もあるが、すべてがサドメルの曲という訳でもない。

歌と演奏が今一つしっくりこない部分があるのは、このような諸々の裏事情があったからだろう。

いずれにしても、オーケストラが録音に臨んだのは8月20日と21日、フィランドのヘルシンキであった。しかし、まだアルバム一枚には足りなかった。そして、最後の23日にストックホルムで最後の3曲が収められた。Happy Againはオーケストラなしで、アダムスとリズムセクションだけがバックを務める。

これで、やっとアダムスの最後に日までに何とかアルバムが完成したということになる。
アダムスのゼタールンドとの友情の証、そして皆からのアダムスへの餞別と考えるとこのアルバムの味わい方も変わってくる。





1. It Only Happens Every Time        Thad Jones 5:12 
2. Long Daddy Green  Blossom Dearie / Dave Frishberg 3:38 
3. Silhouette                Lars Gullin 4:32
4. He Was Too Good To Me  Lorenz Hart / Richard Rodgers 5;05 
5. The Groove Merchant        Jerome Richardson 4:06 
6. Love To One Is One To Love        Thad Jones 4:13 
7. Happy Again               Lars Gullin 4:15
8. The Second Time Around  Sammy Cahn / James Van Heusen 5:13 

Monica Zetterlund (vocals)
Thad Jones (flh)
Frank Gordon (tp)
Earl Gardne (tp)
Jeff Davis (tp)
Larry Moses (tp)
Earl McIntyre (tb)
John Mosca (tb)
Clifford Adams (tb)
Billy Campbell (tb)
Jerry Dodgion (as,ss,fl,cl)
Ed Xiques (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl,cl)
Dick Oatts (ts,fl.cl)
Pepper Adams (bs)
Harold Danko (p)
Rufus Reid (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded at Sound Track Recording Studios, Helsinki on 20-21 August 1977
at Swedish Radio, Stockholm on 23 August 1977 (#2,3,7)


It Only Happens Every Time
Monica Zetterlund
Inner City
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷戦時代にロシアの曲をとりあげたジャズアルバムとは・・・

2014-07-05 | PEPPER ADAMS
Russia Goes Jazz / Teddy Charles

巷では集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、世の中戦争への準備が着々と進んでいる。大きな渦の中に巻き込まれてしまうと、徐々に起こる変化は身近に起こっても鈍感になってしまうものだが、これはやはり前提が大きく変わる大転換だ。

政治に無頓着な国民が増え、世の中全体が「ゆでガエル症候群」になっているのだろう。本来であれば熱湯の熱さにびっくりしても良い出来事なのだが、このまま熱さが分からずに茹で上がってしまうのか?
熱さに気が付いた時には、「時すでに遅し」といことにならないようにしなければ。
歴史は繰り返すとは良く言ったものだ。

何事においてもそうだが、ルールで禁止しなくても本人の倫理観と自覚に任せればよいとよく言われる。法による禁則を外しても悪いことがすぐ起こることは無いともよく言われるが、世の中そんなに甘くは無い。どんなに完璧な人間と思っても、自制心が効かなくなる事が当たり前のように起こる。
「何々してもよい」という主旨のものが、いつのまにか「何々しなければならない」と履き違がえることもよくある。法を悪用しようと思えば何でもできるということだ。時の宰相の誤った判断による行使が行われないことを祈るばかりだ。

太平洋戦争中は、敵国の言葉である横文字は使用禁止、ジャズも敵性音楽と見なされ急激に下火になったと言われている。反対に、アメリカでは戦時中は、ジャズの演奏は一線の兵士の慰問も兼ねて、戦争中でも良く演奏された。結果的にスイングジャズの興隆のピークを極めた。

本来であれば文化活動は戦争とは無縁の物、何も規制しなくてもよいとは思うが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということだろう。何も外敵との争いだけではなく、国内の覇権争いでも文化活動に制約を加えることは良くある。覇権争いをして一国の独裁を狙う当事者にとってみれば、民衆の心を掴むものは自分以外何であって気に食わないということになる。

1962年10月、チャーリーミンガスのタウンホールコンサートが行われていた時、世はまさに米ソ冷戦の真只中。そのピークともいえるキューバ危機は同じ10月の出来事であった。世の中は戦争の勃発を予感させピリピリした緊張感が漂っていたと思う。
しかし、一方でその年の7月にはベニーグッドマンオーケストラがソ連を親善訪問していた。太平洋戦争の状況に当てはめれば、真珠湾攻撃の直前にアメリカからジャズバンドを招聘したようなものだ。

米ソの間では、表向き戦争と文化活動は別物であった。政治的には東西の対決が緊張していく中、1958 年に米ソ文化交流協定が結ばれ、その第1弾として行われたのがベニーグッドマンのツアーであった。
当然、ソ連のジャズファンからは熱狂的に歓迎され、地元のジャズメンともジャムセッションが繰り広げられたようだが、このコンサートを聴いたフルシチョフ首相はこのグッドマンの演奏を快く思わなかった。

そして、この年の12月に行われた前衛画家の展覧会で、有名な「ロバの尻尾」発言をして、前衛的な芸術活動が制約を受けることになる。当然ジャズも公に認知されたものではなくなってしまう。せっかくソ連でもブーム到来の下地ができたのだがフルシチョフが解任される1964年まではおおっぴらに演奏することも難しくなってしまった。
一人の独裁者の判断で何事も決まってしまう恐ろしさだ。

ペッパーアダムスの1962年はこのような中での演奏生活であった。
それまでの八面六臂の活躍と較べると、この年の活動はレコーディングも少なく、レギュラーグループに参加することもなく、タウンホールでのハップニングコンサートの後もミンガスとのプレーで終わりを告げたようだ。確かに世の中全体を席巻したハードバップムーブメントも徐々に下火を迎えていたが。

年が明けると、アダムスはライオネルハンプトンのオーケストラに加わってラスベガスに
いた。経済的には、このようなバンドのメンバーになるのが安定していたのだろう。
ラスベガスに滞在中、アダムスはハリージェイムスから年俸10000ドルで誘いを受ける。生活のためには、多分ハンプトンオーケストラよりさらに好条件だったであろう。しかし、アダムスは、当時のハリージェイムスオーケストラ自体の演奏がコマーシャル化していた事、そしてソロのパートが殆どな無いオーケストラには興味を持てず丁重に断った。スタジオワークは色々参加しても、レギュラーグループへの参加となると拘りがあったのだろう。
4月までハンプトンのバンドで過ごすと、アダムスは再びニューヨークに戻る。

そこで、早速テディー・エドワーズからレコーディングの誘いを受ける。
それまでも、アダムスは実験的な取り組みを数多くしていたテディーチャールスのセッションに加わる事は何度かあったが、今回のレコーディングは”Jazz Goes To Russia”と題された意欲的なものであった。

当時の時代背景を考えるとキューバ危機は去ったとはいえ、敵国であったソ連(ロシア)を題材として取り上げるのは挑戦的であったに違いない。
ソ連では確かにグッドマンの訪ソもあってますますジャズブーム到来の下地はできたが、アメリカでソ連の音楽が話題になっていたとは思えない。ところが、ロシアといえばクラッシクではヨーロッパの伝統を引き継ぎ有名な作曲家を多数輩出している。

そこで、選ばれたのはチャイコフスキーやストラヴィンスキーなどの有名作曲家の作品から。これらの曲を素材にジャズの味付けをした演奏に仕上げている。
集まったメンバーはアダムス以外も一流処のソリストが揃った。短めのソロだが、いずれも素材の良さを生かして、チャールズのバイブやフルート、バスクラなどを使った軽妙なアレンジに仕上げている。アダムスのソロもDance Arab, Bordin Bossa Novaで聴ける。ジャズは素材を選ばず、何でもスイングさせてしまうワールドミュージックだというのを実感するアルバムだ。

このアルバムもレーベルはユナイテッドアーティスト。なかなか意欲的な切り口で取り組んだアルバムが多い。




1. Scheherazade Blue       (Korsakoff) 3:45
2, Lullaby Of The Firbird     (Stravinsky) 5:02
3. Love For Three Oranges March  (Prokofieff) 2:21
4. Borodin Bossa Nova       (Borodin) 3:37
5. Dance Arabe           (Tchaikowsky) 2:49
6. Lullaby Russe          (Khachaturian) 4:25
7. Etude              (Prokofieff) 3:11
8. Princes Scheherazade      (Korsakoff) 4:45

Teddy Charles (vibes)
Haward McGhee (tp)
Jerome Richardson (fl,ts)
Jimmy Giuffre (cl,ts)
Zoot Sims (ts)
Eric Dolphy (bcl)
Tommy New som (bcl)
Pepper Adams (bs)
Hank Jones (p)
Hall Overton (p)
JimHall (g)
Jimmy Raney (g)
Ted Notick (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded on April 23& May 6, 1963 in New York

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本来であれば、ミンガスビッグバンドのお披露目の晴れ舞台のコンサートのはずであったが・・・

2014-07-01 | PEPPER ADAMS
The Complete Town Hall Concert 1962 / Charles Mingus

チャーリーミンガスのタウンホールコンサートというと1964年に行われたものが有名だ。エリックドルフィーの死ぬ直前の演奏も聴く事ができ、この前後に行われたツアーではヨーロッパにも遠征し、当時のミンガスグループの脂の乗りきった演奏が聴ける名盤だ。
実は、ミンガスのタウンホールライブというともう一枚1962年のものがある。ところが、最初にリリースされたこのライブのアルバムはとんでもない代物であった。というよりも、このコンサートそのものが・・・。

ミンガスは、50年代から大編成のグループアンサンブルにもチャレンジしていた。アレンジをしては日頃からリハーサルを重ねていた。というのも、ミンガスのビッグバンドというのは、アンサンブルワークに加えグループインプロビゼーションにも重きを置いていた。このメンバーの呼吸合わせが大変だったのであろう。

1962年の後半、ペッパーアダムスは、このミンガスと行動を共にしていた。クラブ出演には秋吉敏子も参加していたようだ。
ペッパーアダムスは、このミンガスとの付き合いは古くこのミンガスのワークショップ活動にも良く参加していた。以前紹介したロフトもこのミンガスグループの練習場所にも使われていたようだ。

ミンガスは曲想を色々膨らませていく中で段々編成が大きくなっていった。仲間の中には、いい加減にしたらというアドバイスをした者もいたようだが、ミンガスは我関せずでついには通常のビッグバンド編成をはるかに上回る30人編成にもなっていた。

そこに、丁度活動を活発化して、新しいチャレンジをしていたユナイテッドアーティスト(UA)がレコーデョングを働きかけた。それもライブレコーディングの企画を。ミンガスはこの直前に、エリントンと共演したマネージャングルの録音を済ませていて、ミンガスもこのUAの進取の精神が気にいっていたのかもしれない。

10月はバードランドに長期間出演していたが、その丁度間に、このタウンホールコンサートが行われた。
ミンガスはレコーディングに向けて着々と準備を進めていたが、途中でプロデューサーのアラン・ダグラスは会社のボスの意向だったのかもしれないが、何とレコーディングの予定を5週間も前倒しして早めてしまった。いわゆる公開ライブの形をとったが、表向きは有料のコンサート。チケットもそこそこ捌けて10月12日を迎えてしまった。

ミンガスのライブはリハーサルも入念に行うのが常なのに、このコンサートはリハーサルどころかアレンジ自体も当日なって全曲が出来上がっていないという有様。何とアレンジャーの一人、メルバリストンは舞台の上で出来上がったアレンジを写譜屋に渡している始末であった。メンバーはレギュラメンバーに加えて錚々たる面々。遠く西海岸からも駆けつけた。全員タキシードにブラックタイを着込んでスタンバイ。プログラムが未完成のままにカーテンが上がってしまった。ミンガスは最初抵抗したのか、一人Tシャツのまま舞台にいたらしいが、結局、着替えをして舞台に上ることになった。

そこを何とかしてしてしまうのがプロだが、さすがにこの状態ではまともな演奏はできない。ミンガスも「今回は公開リハーサルだ」と断りをいれ、主催者もキャンセル希望者にはお金を返すということにしたが、インターミッションになっても客は半分以上が残っていた。あのミンガスの怒りの一発のハプニングを期待していたのかもしれない。

ミンガスの怒りっぽい性格は有名だが、このコンサートに向けたリハーサルでも事件は起こっていた。コンサートが近づいているのにアレンジが出来上がらないのにイライラしていたのか、長年付き合っていたジミーネッパーに一撃を加えて前歯を折ってしまうトラブルに。その後訴訟事になってしまう程の大事になったが、ネッパーはこのお蔭でその後の演奏にも支障が出て以前と比べて一オクターブも音域が狭くなってしまったそうだ。という事は、サドメルに加わっていのはこの後なので、ネッパーの全盛期を聴けなかったということになるが。

このコンサートに参加したメンバーや関係者達の後日談が色々残っているが、ペッパーアダムスもコメントを残している。アダムスは当日のアレンジを一曲提供したそうだ。アダムスが語る所によると、コンサート自体も酷かったが、その後がもっと酷い。リハーサルのようなライブになってしまったので、本来はレコード話も仕切り直しになるのが筋だが、何とレコード会社はこれをリリースしてしまった。出来の良かった曲だけをピックアップすればまだよいのだが選曲も滅茶苦茶、レコーディングのコンディションも酷いもので、アダムスに言わせるとこのコンサートは悍ましい出来事であり、アルバムだったということだ。

ところが、捨てる神がいれば救う神もいる。89年になって、ブルーノートからこのアルバムが再リリースされた。デジタルリマスターで音も良くなり、没になった曲も復活してコンサートの有様が再現された。最初に発売されたLPではソロがカットされた曲もあってほぼ完全な形で復活した。となると、色々あったにしても歴史上の出来事としての価値は増す。



ペッパーアダムスはジェロームリチャードソンとダブルバリトンで参加。ソロはリチャードソンが先行するが、最後のジャムセッションのように始まるインナメロートーンでは2人のバリトンバトルも聴ける。残念なのはソロがオフマイクで録られていること。音質自体はリマスターで良くなっても、こればかりは再現不可能だ。オフマイクであっても2人のソロは秀逸なのが救いである。LPではカットされている、演奏が一旦終わったあとのドルフィーのソロもCDには収められている。

ミンガスオーケストラの原点ともいえる演奏は、うねる様な重厚なサウンドを聴かせてくれ、他のビッグバンドとは一味も二味も違う。未完成ライブとはいえそれなりに価値あるものだと思う。すべての曲が揃ったたっぷり2時間分の譜面はミンガスの死後になって見つかり、1989年になってから全曲が演奏されている。

1. "Freedom Part 1" - 3:47
2. "Freedom Part 2" - 3:14
3. "Osmotin'" - 2:50 Bonus track on CD reissue
4. "Epitaph Part 1" - 7:03
5. "Peggy's Blue Skylight" - 5:21 Bonus track on CD reissue
6. "Epitaph Part 2" - 5:10
7. "My Search" - 8:09
8. "Portrait" - 4:34 Bonus track on CD reissue
9. "Duke's Choice" - 5:12
10. "Please Don't Come Back from the Moon" - 7:24 Bonus track on CD reissue
11. "In a Mellow Tone" (Duke Ellington, Milt Gabler) - 8:21
12. "Epitaph Part 1" [alternate take] - 7:23 Bonus track on CD reissue

All compositions by Charles Mingus except as indicated

Charles Mingus - bass, narration
Ed Armour, Rolf Ericson, Lonnie Hillyer, Ernie Royal, Clark Terry, Richard Williams, Snooky Young - trumpet
Eddie Bert, Jimmy Cleveland, Willie Dennis, Paul Faulise, Quentin Jackson, Britt Woodman - trombone
Romeo Penque - oboe
Danny Bank - bass clarinet
Buddy Collette, Eric Dolphy, Charlie Mariano, Charles McPherson - alto saxophone
George Berg, Zoot Sims - tenor saxophone
Pepper Adams, Jerome Richardson - baritone saxophone
Warren Smith - vibraphone, percussion
Toshiko Akiyoshi, Jaki Byard -piano
Les Spann - guitar
Milt Hinton - bass
Dannie Richmond - drums
Grady Tate - percussion
Bob Hammer - arranger
Melba Liston - arranger, conductor

Recorded at Town Hall, New York, on 12 Oct. 1962




Complete Town Hall Concert
Charles Mingus
Blue Note Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アダムスのバリトンはバックでは目立たないが、ソロになると違いが分かる・・・

2014-06-09 | PEPPER ADAMS
A Sure Thing / Blue Mitchell and Orchestra

1962年の春、ドナルドバードとのコンビを解消したペッパーアダムスはフリーランスとしてレコーディングに誘われることが多かった。それも、ポニーポインデクスターのアルバムと同様、メインのソリストというよりはアンサンブルワークを求められるバックを務めることが。しでに、ソリストとしても十分に世に知れ渡ったとは思うのだが。

1962年は政治的には秋に米ソの対立はキューバ危機を迎え、そして音楽界ではいよいよビートルズが登場した年だ。世の中は変革が起こる予兆を感じさせる事が多かった。ジャズの世界でもコルトレーンやマイルスがいよいよ本領発揮をし始めた頃。しかし、アダムスを取り巻く環境はレギューラーグループの仕事が無くなった分、どうも気楽な年になったようだ。

自己のグループだと自分で取り仕切らねばならないことが多く、まして相方がいると、相手との意識合わせも気苦労が多いものだ。自分も、どちらかというとどうしてもという事が無いと、基本は誘われるタイプ。なおかつ、嫌いな人間とは付き合わないのをモットーにしているので、あまり人間関係で悩むこともない。アダムスも本当の所は良く分からないが、決して愛想を振りまいて人付き合いをしたり、自ら先頭を切って突っ走るタイプではなさそうだ。

さて、レコーディングの方は、ポインデクスターの録音には、2月、4月と2回参加したが、3月にはブルーミッチェルのリバーサイドのセッションへの参加だった。ブルーミッチェルはこの当時ホレスシルバーのグループに加わる一方、自分のアルバムはリバーサイドで出していた。
今回のアルバムはポインデクスター同様ミッチェルをフューチャーして6管のアンサンブルがバックにつく編成。ミッチェルのアルバムとしてはあまり目立たないアルバムだ。アレンジはジミーヒースが担当し、セッションリーダーはクラークテリーが務める。テリーはエリントン、ベイシー、そしてクインシージョンズと渡り歩いてきた中堅、ソロもアンサンブルも得意だが、今回はセクションワークに徹している。リバーサイドではこの役割が多かった様だ。

そして、アレンジを担当したジミーヒースも同様。
此の頃から単なるジャムセッション風のブローイングセッションから、アレンジ物が増えてくる。ウェストコーストでは50年代からアレンジ物が多かったが、ハードバップ系が多い東海岸のレーベルでも徐々に増えてきた。このリバーサイドもカタログにもちらほら。ヴァーブやインパルスといったメジャー系のレーベルでも、その後オーケストラやビッグバンドをバックにしたアルバムも増えてきた。しかし、どうも日本のジャズファンはこの手のアレンジ物は好みでは無いらしくジャズ喫茶でもかかることは少なかった。

ジミーヒースは、ビッグバンドだけでなくこのような編成のアレンジも多く手がけていた。このアルバムでもクラークテリーのトランペットに、サックス3本、そしてフレンチホルンを加えた「まろやかサウンド」のバックを加えている。ブルーミッチェルのトランペット自体も派手なタイプであり「マイルドなサウンド」、バックに上手く溶け込んでいる。ここでは、テナーのソロでもヒースは大活躍。ケリーのピアノが上手く味付けになっている。

クレジットではアダムスが参加しているのは1曲目のウェストコーストブルースと記されているがソロは無し、ブルースオンブルーでのバリトンソロもアダムスの様だが。ヒップツゥーイットのバリトンはもう一人のバリトンパット・パトリック。明らかに音色と切れ味がアダムスとは異なる。このアルバムへのアダムスの参加はあくまでもチョイ役であった。



1, West Coast Blues                Wes Montgomery 5:40
2. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:48
3. Blue on Blue                   Jimmy Heath 4:48
4. A Sure Thing            Ira Gershwin / Jerome Kern 4:34
5. Hootie Blues                    Jay McShann 5:24
6. Hip to It                      Blue Mitchell 5:00
7. Gone With the Wind          Herbert Magidson / Allie Wrubel 5:57

Blue Mitchell (tp)
Clark Terry (flh, tp)
Julius Watkins (French horn)
Jerome Richardson (as, fl)
Jimmy Heath (ts)
Pepper Adams (bs)
Pat Patrick (bs)
Wynton Kelly (p)
Sam Jones (b)
Albert Heath (ds)

Produced by Orin Keepnews
Recording Engineer : Ray Fowler
Recorded in NYC, March 7, 8, & 28, 1962


ア・シュア・ソング(紙ジャケット仕様)
ブルー・ミッチェル,クラーク・テリー,ジミー・ヒース,ジュリアス・ワトキンス,ウィントン・ケリー,ジェローム・リチャードソン,サム・ジョーンズ,アル・ヒース,ペッパー・アダムス,パット・パトリック
ビクターエンタテインメント
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーキンズのブルースプレーをタップリ楽しめると思ったのだが・・・・

2013-12-26 | PEPPER ADAMS
Stasch / The Prestige Blues-Swingers featuring Coleman Hawkins

クリスマスアルバムが続いたのでしばらく中断したが、久々にペッパーアダムスのアルバム紹介に戻ってみる。

1959年2月2日から5日まで連日レコーディングセッションが続いたが、最初の2・3日はアービーグリーンの軽快なビッグバンド4日はミンガスのヘビーなアルバム、そして最終日の5日は。

プレスティッジレーベルはオールスターメンバーで色々なセッションを立て続けに収録していたが、ブルースのアルバムもちらほら。生粋のブルースミュージシャンではなく、ジャズミュージシャンのブルースアルバムも。此の頃はハードバップの最盛期だが、かれらも普段の演奏ではブルースバンドで演奏することも決して珍しいわけではなかったようだ。

ペッパーアダムスが加わったアルバムとしては、前年にThe Prestige Blues-Swingersと看板を掲げたメンバーで”Outskirts of Town”というアルバムを作っている。Jimmy Valentineというアレンジャーの作品があった。
今回はその続編ともいえるアルバム。ただしメンバーは多少入れ替わって今回はコールマンホーキンズがメインとなる。

ホーキンスといえば、スイングジャズ時代はテナー奏者として第一人者としての地位を得ていた。しかし、50年代に入りモダンジャズ時代に入ってからはその変化について行けずに長いスランプ期間が続いていた。プレーヤーによって時代の変化を上手く取り込みながら自分の演奏スタイル変化させるタイプと、頑なに自分のスタイルを貫き通すタイプがある。ホーキンスは前者であり、レスターヤングは後者であるといわれている。何事においてもそうだが、変化に上手く合わせられれば良いが、反対に合わないとそれがストレスになるのは容易に想像できる。

そして、58年にバッククレイトンと一緒に吹き込んだ、”High and Mighty Hawk”が復活のアルバムとなった。一曲目のBird of Prey Bluesで延々と淀みなく続くソロは圧巻である。また、ホーキンスはブルースを必ずしも得手とはしていなかったらしいが、この演奏でブルースプレーも吹っ切れたといわれている。確かに、苦手とは思えない好演だ。

このアルバムは、それから1年後の吹き込み。自信のついたホーキンスのブルースプレーを前面に出そうとしたのかもしれないが・・・・。

他のメンバーを見ると、アダムスにしてもリチャードソンにしても、ブルースを吹かせても味わいのある演奏をするが、必ずしもR&Bを本業としている訳ではない。その中で、ホーキンスのソロだけが妙に浮き出ている。R&Bのテナープレーを求められているのではなく、ハイアンドマイティーホークのプレーで良かったのにと思うのは自分だけか。

アダムスは、4日連続の録音の疲れを感じさせず自分の持ち場と役割をきちんとこなし、ソロプレーヤーとしてだけでなくビッグバンドで鍛えられたセクションプレーヤーとしての実力を遺憾なく発揮している。

1. Stasch             Jerry Valentine
2. Since I Fell for You        Buddy Johnson
3. Roll 'Em Pete          Pete Johnson / Big Joe Turner
4. Trust in Me           Milton Ager / Arthur Schwartz / Ned Wever
5. Skrouk             Jerry Valentine
6. My Babe            Willie Dixon

Coleman Hawkins (ts)
Pepper Adams (bs)
Jerome Richardson (as,fl)
Idress Sulieman (tp)
Roy Gaines (g)
Wendell Marshall (b)
Walter Bolden (ds)

Arranged by Jerry Valentine

Recorded by Rudy Van Gelder on February 5, 1959


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルースも街の音楽になり洗練された響きが・・・・

2013-10-07 | PEPPER ADAMS
Outskirts of Town / The Prestige Blues-Swingers

今から40年以上前、学生時代にグレイハウンドのバスを利用したアメリカ一周旅行をした。
当時、学生向けには確か1カ月99ドル(最初は3カ月?)という破格のパスで貧乏学生には有難いものだった。宿代を節約して深夜バスにもよく乗ったし、ターミナルで仮眠ということもよくやった。西海岸のシアトルからのスタートであったが、ロッキー山脈を越え、いわゆる穀倉地帯に入ると一日走っても変わらない景色にアメリカ大陸の広さを実感したものだ。

途中いくつかの街に立ち寄ったが、最初の大都市はシカゴであった。ミシガン湖に面した綺麗な街だが、ダウンタウンでは一歩通りを超えると黒人街があるような地域もあった。貧乏旅行で交通費もケチって街中を歩きで動き回ると、そのような場所に知らないうちに立ち入ってしまったことも。その時ほど、怖い場所を明示した地図を欲しかったことはない。

JAZZとは切っても切れないブルースも最初は農場で働く黒人の労働歌であったが、ジャズが都市で演奏されるにしたがって街の音楽へと変わっていった。今思えば、ニューオリンズからやってきたジャズが、シカゴブルースとして栄えた場所もそのあたりだったのかもしれない。

ペッパーアダムスが参加したジーンアモンズのアルバム”Blue Gene”はブルース色の強いアルバムであった。同じ頃プレスティッジではリーダーをとっかえひっかえ色々なセッションアルバムが作られていた。内容はハードバップがメインだが、中には少し毛色の変わった物も。ダグワトキンの”Roots”もジャズの原点を意識したアルバム。そして、ブルースを前面に出したアルバムもある。

The Prestige Blues Swingersと銘打った面々によるこのアルバムもその一枚。
アレンジャーのジミーバレンティンが編曲を担当しているので、彼がコーディネートしたグループだと思うが、このジミーバレンティンなるアレジャーはどのような経歴かはよく知らない。アールハインズやビリーエクスタインのバンドのアレンジをしていたようだが。このアルバムでは比較的大きな編成だが簡単なアレンジでソロを重視している。

集められた面々は当時のプレスティッジのアルバムには良く名を連ねているメンバー達。レギュラーグループではなく、多分このセッションの為に集まったのだろう。
その中に、ペッパーアダムスも加わっている。1958年8月の暑い盛り、アモンズのアルバムからは3カ月が経った頃の録音だ。アルバムのタイトル、そして内容からアダムスの黒っぽさを期待されての起用であろう。

タイトル曲は、ギターのイントロで始まりリチャードソンのアルトそしてジミーフォレストのテナーが朗々と響き渡る。2曲目はリチャードソンのフルート。この頃のリチャードソンはフルートの演奏をよく聴けるがブルージーなフルートは秀逸。
3曲目スインギーなブルースだがアダムスはここからソロで登場。軽快なアンサンブルとテンポに乗ってまずは快調に。次の曲では、ギターに次いでねちっこい側面を。

気取りの無い、心の底からの咽びの様なものがブルースの魅力だ。
やはり、ブルースは都市に出てきても、表舞台に立っても洗練された街の目抜き通りよりは、中心地から少し離れた街はずれ(Outskirts of Town)の裏口から聞こえてくるのが似合う。




1. I'm Gonna Move to the Outskirts of Town Jacobs / Andy Razaf / Will Weldon 6:15
2. Blue Flute                             Jerry Valentine 6:16
3. Blues A-Swingin                        Jerry Valentine 6:10
4. Jelly, Jelly           Billy Eckstine / Earl Hines / Trade Martin 6:02
5. Sent for You Yesterday and Here You Come Today
                  Count Basie / Eddie Durham / Jimmy Rushing 5:30
6. I Wanna Blow, Blow, Blow                    Jerry Valentine 5:55

Art Farmer (tp)
Idress Sullieman (tp)
Jerome Richardson (fl,as)
Jimmy Forrest (ts)
Pepper Adams (bs)
Buster Cooper (tb)
George Cooper (tb)
Ray Bryant (p)
Tiny Grimes (g)
Wendell Marshall (b)
Osie Johnson (ds)

Arranged by Jimmy Valentine
Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, August 29, 1958



Outskirts of Town
クリエーター情報なし
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Down Beat 好みのメンバーを集めて・・・・

2013-09-11 | PEPPER ADAMS
Down Beat Jazz Concert

ダウンビートというジャズ雑誌がある。創刊は1934年とのことなので80年近くの歴史がある。今でも発刊されているようなのでもっとも歴史のあるジャズ雑誌だろう。

この雑誌の読者および評論家の人気投票というものが昔からある。自分がジャズを聴き始めた60年代に入ってからの結果を見ても何か違うなというものを感じていた。
50年代の後半というとハードバップの全盛期だが、この時の結果を改めて見ても、スタンゲッツ、ポールデスモンド、ジェリーマリガンと並ぶ。やはり表舞台では、彼らが脚光を浴びていたのかもしれない。いわゆる一般受けするジャズ、そして白人が主流。

このダウンビートの57年の新人賞をとったのが、ペッパーアダムス。58年に入るとニューヨークに活動の拠点を戻して、ドナルドバードとコンビを組んでレギュラー活動を始めていた。そのアダムスが、ライブ活動の合間にレコーディングに参加していたのが、マニーアルバムのビッグバンド。

前年マニーアルバムは” MANNY ALBAM AND THE JAZZ GREATS OF OUR TIME”というアルバムも出し、アレンジャーとして頭角を現し、此の頃も続けて何枚かのアルバムを作っている。

以前紹介した、”Jazz New York” というアルバムもちょうど此の頃の録音で、まさにアダムスも参加していたアルバムだ。
自己のグループだけでなくメイナードファーガソンテリーギブスのビッグバンドにもスコアも提供する、当時売れっ子のアレンジャーの一人であった。

そんな最中、5月18日にタウンホールで大きなジャズコンサートが開かれた。
この主催がダウンビート。この年のニューポートはあの映画「真夏の夜のジャズ」になった年。あちこちでジャズが興隆を極めていた年だ。

このコンサートの目玉がマニーアルバムのビッグバンドであった。ビッグバンドといってもフル編成よりは少し小振り、このコンサートには当然ペッパーアダムスも参加している。他のメンバーはというと、サックスセクションはアルコーン、ジーンクイル、ジェロームリチャードソン、他のセクションもウェストコーストジャズの全盛期に、東海岸で活躍していた白人プレーヤーが多く参加している。

リーダーのマニーアルバムは、この日披露した新曲を、始まる1時間前のリハーサルだけで本番に臨んだとか。
レギュラーグループを編成できないビッグバンドの宿命のようなものだが、書く方も、演奏する方もたいしたものだ。
最近ライブを聴きに行くことが多いが、その時も「今日お初の曲ですが」といって、演奏されることがよくある。数回のリハーサルで素晴らしい音出しをしているのを聴くとさすがプロといえばそれまでのことであるが・・・、プロといえどもバンドカラーが定着するには少し時間がかかる。アルバムのビッグバンドもバンドカラーというよりは編曲中心に聴かせるバンドだ。

この日のステージには、クラリネットのトニースコット、ポールホーンというちょっと毛色の変わったメンバーも出演している。ゲストで、スティーブアレンなども出演しており、日本のジャズファンの好みとは一味違うダウンビート好みの人選なのかもしれない。

一見地味に感じるステージだが、中身の演奏は非常に熱の入った公演だ。
このステージの模様は2枚のアルバムで世に出たが、実はアルバムの一番のハイライトがとんでもない扱いを受けていた。”Blues Over Easy”は延々28分にも及ぶステージだったようだが、最初に出たアルバムではその内28コーラスがカットされ、続編に残りが分かれて収録されたとのこと。

CD再発にあたってこの2枚のアルバムは一枚に収められたが、この曲も本来の通しの演奏の様には再現されていない。せっかくのCD化、再発なのでステージの模様をそのまま再現してほしかった。マスターの管理がそうはなっていないのかもしれないが残念だ。

1. A Little Eye Opener
2. Blues For An African Friend
3. When Your Lover Has Gone
4. My Funny Valentine
5. Willow Weep For Me
6. Blues Over Easy
7. Blues Over Easy
8. Scrapple From The Apple
9. Rose Room
10. Give Me The Simple Life.
11. Dougy’s Buggy
12. Fast Thing In C

MANNY ALBAM AND HIS JAZZ GREATS (tracks #1, 4, 6 & 12)
Bernie Glow, Nick Travis, Ernie Royal (tp)
Frank Rehak, Jim Dahl (tb), Tommy Mitchell (b-tb)
Gene Quill (as), Jerome Richardson (fl, ts), Al Cohn (ts), Pepper Adams (bs)
Dick Katz (p), Milt Hinton (b), Osie Johnson (d)

Guest soloists: Hal McKusick (bcl), Georgie Auld (ts), Paul Horn (as), Steve Allen (p).

TONY SCOTT QUINTET (tracks #2 & 7)
Tony Scott (cl, bs)
Jimmy Knepper (tb)
Kenny Burrell (g)
Sam Jones (b)
Paul Motian (d).

DON ELLIOTT QUINTET (tracks #3 & 10)
Don Elliott (vcl, tp, vb, mellophone)
Hal McKusick (bcl)
Bob Corwin (p)
Doug Watkins (b)
Nick Stabulas (d).

PAUL HORN QUARTET (tracks #5 & 9)
Paul Horn (fl)
Dick Katz (p)
Don Bagley (b)
Osie Johnson (d).

STEVE ALLEN TRIO & QUARTET (tracks #8 & 11)
Steve Allen (p)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)
Georgie Auld (ts added on # 8).
Recorded Live at Town Hall for Down Beat Concert, New York City on May 16, 1958

ダウン・ビート・ジャズ・コンサート(紙ジャケット仕様)
ポール・ホーン・クァルテット,ドン・エリオット・クインテット,スティーヴ・アレン・トリオ,マニー・アルバム・アンド・ヒズ・ジャズ・グレイツ,トニー・スコット・クインテット,スティーヴ・アレン・クァルテット
ユニバーサル ミュージック クラシック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする