武弘・Takehiroの部屋

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啓太がゆく ⑥(労働組合騒動)

2024年06月17日 00時58分39秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

第2部

<第1部に続いて空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語。>

(6)報道部に戻る

5月の連休明けに山本啓太は報道部に戻った。顔なじみの同僚にまじって数人の新人がいたが、意外だったのは同期の大橋剛(つよし)がいたことである。彼はスポーツ部を志望していたはずなのに、どうして報道に移ってきたのだろうか。啓太はすぐに声をかけた。
「大橋、君はどうして報道に来たの? 意外だな」
「ハッハッハッハ、あとでゆっくり話すよ。それより、山本と同じ職場になるなんて考えてもみなかったさ」
大橋は屈託のない笑みを浮かべた。彼はもともと陸上競技の選手で、そのスポーツマンらしい爽やかな態度に啓太は好感を持っていた。 その日の午前中、ニュースの内勤整理の仕事をこなしたあと、昼休みに2人はさっそく連れ立って社員食堂に向かった。
「“ゴウちゃん”が報道に来るなんて、思いもよらなかったな」
啓太が大橋剛の“愛称”で語りかけると、彼はまた笑みを浮かべながら話し出した。
「オリンピックのあとスポーツ部の上司とうまくいかなくなって、運行考査部へ飛ばされたことは君も知っていただろう。それもあって、もうスポーツ部へ戻る気持はないよ。そこで報道に行きたい気になったんだ。運行考査も僕には合わないからね」
運行考査部というのは、放送の実施状況などを絶えずチェックする事務的で地味な部署である。技術畑の人ならいざ知らず、スポーツマンの大橋にはとても向かない仕事だ。
「それは分かるけど、うまく報道に来れたね。何かあったの?」
昼飯をほおばりながら啓太が尋ねた。
「それがうまく行ったんだ。驚くなよ。石浜部長にじかにお願いしたら、即OKになったんだ」
「えっ、即OKだって・・・ どういうことなの?」
啓太の問いに、大橋も食事を取りながらやや得意そうに話し出した。それによると、4月中旬にWASEDA大学のあるOB会が都内で開かれ、石浜部長と大橋はその席で一緒になったのだ。もちろん他のOBも大勢いたので、会のあとFUJIテレビ関係者の数人だけで新宿の飲み屋へ行ったという。そこで、大橋は石浜に率直に報道部へ移りたいと陳情したのだ。
「そうしたら、どうなったと思う? いや~、僕も驚いたね。すぐ翌日に、報道へ異動するよう内示があったんだ! 普通の会社でそんなことってあるか? 考えられないよ。石浜部長の力って凄いんだな」
大橋の話に啓太も驚いた。今や“飛ぶ鳥も落とす勢い”の石浜部長だと言われるが、会社の人事も一朝にして決めてしまうのか。もちろん「平社員」の人事だが、啓太は改めて石浜の実力を知る思いがした。

「へえ~、石浜さんがね。じゃ、4月中に報道に来たの?」
「そうさ、内示の翌々日には報道に来たよ。早いだろう。異動の掲示があったのを見なかったのか?」
「僕はドラマ制作が忙しくて、とても見る暇はなかったよ。電光石火の人事だな。でも、君と一緒に仕事ができるなんて考えてもみなかったさ」
啓太は大橋から言われた通りの文言で返事をした。2人は顔を見合わせて笑うと、昼食のあと大橋の先導で喫茶室Fへと向かった。彼は何事も手早く処理する男で、啓太はその点が自分とだいぶ違うと思っていた。

大橋と楽しく過ごした数日後、報道部の全体会議が開かれた。報道部には約100人の部員がいたが、その7割(約70人)は関連会社のKYODOテレビに所属している。この会社はもともとKYODO通信の子会社で、主にFUJIテレビのニュース制作を請け負っていた。そして、啓太らFUJI側の部員と同じような仕事をしていたのだ。
この日は60人余りが会議に出席したが、石浜部長が険しい顔つきをして挨拶した。その中で啓太が最も驚いたのは、FUJIテレビの厳しい経営環境である。石浜の話では、民放テレビ界は近いうちに2つの系列しか生き残れないというのだ。
1つはTOKYO放送テレビの系列であり、あとの1つをNIPPONテレビとFUJIテレビ、NETテレビの3局が生き残りをかけて争うというのだ。つまりTOKYO放送テレビだけが安泰で、あとの3局はどうなるか分からないという。その話を聞いて、啓太は本当かな~といぶかった。石浜部長の話があまりにも危機感を煽っているように聞こえたのだ。
しかし、2年前の東京オリンピックのあと景気が後退し、FUJIテレビの業績もかなり落ち込んでいるようだ。そういう話を会社の全体会議で聞いたことがあるが、啓太のような報道の一部員にはあまりにも縁遠い話だ。彼は石浜部長の挨拶に違和感を覚えたが、経営者側というのはいつでも危機感を煽るのが好きなんだと割り切って考えた。
この全体会議のあと、同期の小出誠一が久しぶりに啓太を飲み会に誘ってきた。
「明日、石黒と一杯やることになってるが、山本の都合はどう?」
「ああ、いいよ。石黒ともだいぶご無沙汰にしてるね。僕はドラマ制作にずっと行っていたし・・・」
「うん、君が報道に帰ってきたからいい機会だ。3人で一杯やろうと石黒と話していたんだよ」
小出はそう言ってにこりと微笑んだ。彼はいつもはにかんだような微笑を浮かべる。そこが妙に可愛げがあるのだ。
翌日、仕事が終わると2人はタクシーに乗って歌舞伎町のスナックバーへ向かった。ここは以前、五代厚子と石黒の3人で来たところだ。五代と石黒の馴染みの店だが、あの時は自分が相当に飲んで酔っ払ったことを啓太は思い出した。店に入ると石黒がもう来ていた。

「やあ、待ってたよ。山本とは久しぶりだね」
石黒が快活な声を上げて啓太と小出を迎えた。2人は彼と向い合わせのボックスシートに座ると、さっそくビールを注文し3人で乾杯した。同期のよしみで、彼らはすぐに雑談に花を咲かせる。
「最近は女の子がミニスカートをはいてくるから、目移りして困るよ。ハッハッハッハ」
「脚の太い子まで平気ではいてくるね」
「流行だからしょうがないさ。でも、楽しいじゃないか」
ミニスカートはその前年(1965年)から登場したが、テレビ局など都会の職場で働く女性の間で広まってきた。これは男性から見れば楽しいことである。
「石黒はいいな。可愛い女子アナがすぐそばにいるから」
小出が冷やかすように言うと、石黒がすぐに切り返した。
「でも、中井さんのような年配の人は遠慮してほしいな。この前からミニをはいてくるんだ。困っちゃうよ」
「ハッハッハッハ、君はよほど中井さんが苦手なんだな」
中井というのはアナウンス室の女性デスクで、日ごろ“口うるさい”と石黒がぼやいている上司だ。こんな雑談から始まって、3人はビールのほかにウィスキーの水割りやハイボールなどを飲み出した。やがて少し真面目な仕事の話に移ると、石黒が小出に声をかけた。
「君はやはり海外特派員になりたいのか?」
「うん、外国に出て思いっきり働きたい。どこでもいいよ」
「ベトナムに特派員が出るようになったね」
「ああ、S先輩が行ったよ、半年交代だ。僕らの番はまだ先さ」
ベトナム戦争の激化でその頃、日本のマスコミも続々と特派員を出すようになった。小出は海外志望だからベトナムでもどこでも行きたいのだろう。
「山本は外勤の記者か。一番行きたいのはどこなの?」
「うん、そうだな・・・ まず、警視庁の事件記者ってとこか」
石黒の問いに啓太はすぐに答えられなかったが、適当に返事をして切り返した。
「石黒は報道アナになりたいんだって?」
「まあ、そうだな。でも、アナウンサーは何をやらされるか分からないよ。部長やデスクの采配次第だ。こんな話より久しぶりに歌でも歌わないか」
彼はそう言うと、早くもマイクを取って立ち上がった。石黒の声は“低音”で男たちが聞いても魅力があったが、女性はもっと惚れ惚れとしたに違いない。

ジュークボックスにコインを入れると、石黒は最近はやりのフォークソングを歌い始めた。続いてもう1曲・・・ 啓太と小出はしばらく聞いていたが、石黒は歌い終わると2人にも歌を催促した。小出は歌が苦手なせいか、啓太に先にやれと言う。啓太は酔うと気分が良くなってつい歌ってしまう。歌うのが嫌いではない。
「じゃあ、シルヴィ・ヴァルタンの『アイドルを探せ』を歌うぞ」
そう言って啓太はジュークボックスにコインを入れた。軽快なメロディーに乗ってシルヴィの甘い歌声が聞こえてくる。少し音量を下げると、彼はそれになぞらえるように歌い出した。
<参考・https://www.youtube.com/watch?v=IP2fTeOm788

啓太は学生時代のフランス語をだいぶ忘れかけていたが、こうして音楽に合わせるとすぐに思い出す。語学の才能がいくら乏しくても、大学を出てまだ2年しか経っていないのだ。それにシャンソンなどは好きだ。俺はフランス語ができるんだぞと言わんばかりに、得意そうに歌う。そのうち、図に乗って勝手に踊り出した。
「おっ、やるじゃないか。山本にはかなわんな、ハッハッハッハ」
小出と石黒がはやし立てるので、啓太はすっかりいい気になって“自己流”に踊った。やがて『アイドルを探せ』が終わり啓太がもう1曲歌おうとした時、店に3人連れの中年の客が入ってきた。その人たちを前にハチャメチャはできないので、彼はいったんボックスに戻り水割りをぐいと飲んだ。
「いや~、山本があんなに踊るなんて思いもよらなかったよ。そうだ、ドラマ制作へ行って何か変わったな」
小出が啓太を冷やかすように言った。
「そうさ、ドラマ制作部へ行って俺は変わったんだ。テレビの面白さはドラマをやらないと分からないぞ。ベトナム戦争がどうのとか公定歩合がどうのと言ってたら、テレビの本質を見失うぞ!」
すっかり良い気分になって、啓太はドラマ作りの体験を話し出した。石黒も小出もドラマ制作のことはよく知らないので、彼の話に引きずり込まれるように聞き入る。啓太はドラマ『まためぐり合う時』の体験をもとに、いろいろな話を紹介していった。最後は主役である蔵原(くらはら)圭一の自殺未遂騒動や、吉永ゆかりと握手したことまで話した。
「ふ~ん、啓ちゃんはいい経験をしたな。僕も一度はドラマ作りをやってみたいよ。蔵原や吉永とじかに会えるなんて結構なことだ」
小出よりはドラマに興味のある石黒がつぶやくように言った。こうしてその日の3人の飲み会は、珍しく啓太の体験談が中心となって終わった。スナックバーを後にする時、彼は妙に満足した気分になったのである。

小出らと飲み会をしたあと、何事もなく平穏な日々がしばらく続いた。季節は5月の下旬になり、木々の若葉が色鮮やかに映えてくる。1年の中で、啓太はこの季節が最も好きだった。自然の大気とともに、自分も生き生きと蘇ってくる感じがするのだ。
そんなある日、大橋と一緒に運行考査部から報道部へ移ってきた今村直樹が、昼休みに啓太を談話室に誘った。今村も同期入社だが、年は啓太より2歳年長である。そのためか、彼はどこか大人びた風格を漂わせていた。
実は今村は啓太と同じWASEDA大学のフランス文学科を出ていたが、在学中はほとんどその存在を知らないでいた。というのもクラスが別で、名字の“あいうえお順”にAクラスとBクラスに分かれていたからだ。会社に入って付き合うようになったが、部署が違うのでこれまで滅多に会わなかった。
「A(アー)クラスとB(ベー)クラスの合同クラス会をやらないか」
ソファにゆったりと座った今村がおもむろに話しかけてきた。
「ああ、いいよ。卒業してもう2年以上たったしね」
「AとBのクラス名簿をつくる必要があるな。同じ会社に入って連絡が取りやすいのはわれわれだけだ。クラスメートからも幹事をよろしくと言われているよ」
「わかった、われわれ2人で幹事をやろう。で、いつごろ合同クラス会をやるの?」
「そうだな、9月か10月頃でどうだろうか」
「うん、秋でいいな。その辺がちょうどいいよ」
話はとんとん拍子に進み、今村と啓太が合同クラス会の幹事役をすることになった。その時までにクラス名簿をつくればいい。2人はいま同じ職場だから、こんなに都合が良いことはない。そんな話をしているうちに、今村がやや恥ずかしそうに言った。
「このあいだ、うちの母が石浜部長の家へ挨拶に行ったよ」
「そうか、それはいいじゃないか。君はずっと報道にいたいんだろ?」
「うん、そういうことだ」
今村は照れ笑いを浮かべたが、この時代、父兄が上司の家へ挨拶に行くのは当然のことだった。啓太の母・久乃も数人の上司の家を訪問している。そういう意味で、当時は会社が人間関係の“原点”になっていたのだろうか。
2人はなお雑談を交わしていたが、合同クラス会の約束をして報道の職場に戻った。今村の大人らしい態度は、小出や石黒と少し違うように啓太は感じた。2歳年上だから世慣れているのか・・・

 

(7)労働組合の結成

そんな日々を送っているうちに、ある日、啓太が泊り勤務を終えて一息ついたころ、石黒が報道の部屋に現われた。
「啓ちゃん、仕事は何時ごろに終わるの?」
「10時すぎだよ。何か用なの?」
「いや、大したことではない。じゃ、あと1時間ぐらいしたら来るから待っててね」
石黒はそう言うと、そそくさと帰っていった。いつも用件をはっきり言う石黒にしては、なにか変だなと啓太は感じた。

それから1時間ほどして、石黒がまた報道の部屋に現われた。
「夜勤は大変だね。眠いだろ?」
「ああ、ゆうべはあまり眠れなかったよ。もう少ししたら帰るかな」
「ご苦労さん」
石黒は啓太にねぎらいの言葉をかけて、別館3階の談話室へ行こうと誘った。啓太は別に用もないので、彼に従って談話室へ向かった。2人はほかのアナウンサーのことなど他愛ない話をしていたが、そのうち啓太はだんだん眠くなってきた。
「少し休むよ」
そう言って、彼はソファにもたれてうたた寝を始めたが、石黒も同じように横になった。1時間ほどして啓太は目が覚めて言った。
「もう帰らなくちゃ」
「いや、もっといろよ」
「どうして?」
「今に分かるよ」
今に分かるだって? 石黒が素っ気ない返事をするので、啓太は不審に思った。彼らしくない答え方だが、一緒に昼飯でも食べようというのか・・・ まあ、いいや、それなら小出や今村も誘おうかなどと考えた。
そのうち、正午前になると石黒が報道部へ戻ろうと言う。2人はぶらぶら歩きながら報道へと向かった。すると、妙にうるさい叫び声やスピーカーの音などが聞こえてくる。どうしたんだ? 何かあったのか・・・ 啓太がいぶかっていると、はっきりした声が聞こえた。
「報道のみなさん、労働組合が結成されました! ついに、FUJIテレビに労働組合が誕生しました! みなさん、こぞって組合に加入しましょう!」
近づいて見ると、腕章を巻いた見知らぬ男がマイクを握って叫んでおり、隣に組合の旗を持ったドラマ制作部の先輩・植木ADが立っていた。
「植木さん・・・」 
啓太が思わずつぶやくと、石黒が急(せ)かすように言った。
「さあ、組合に入ろうぜ。小出らももう加入したんだ」

啓太が少し戸惑っていると、彼を見つけた植木が近寄ってきた。
「やあ、久しぶりだね。元気にやってる?」
「ええ、まあ・・・」
「ここに組合加入届があるんだ。君とも以前、組合のことでよく話し合ったね」
植木はそう言って、加入届の用紙とビラを啓太に手渡した。ビラには“結成大会に参加しよう”などの文言が書かれており、数多くの準備委員の名前が載っていた。
「そこに氏名や社員番号を書くだけで、組合にすぐ加入できる。石黒君、山本君のことをよろしくね」
植木と石黒に挟まれて、啓太は組合に入らざるを得ない気分になった。彼はもともと労働組合は良いものだと思っていたし、このテレビ局にそれがないのはおかしいと感じていた。
「分かりました。加入しましょう」
啓太はそう言うと、加入届に氏名と社員番号を記入してそれを石黒に渡した。石黒は集計係なのか、ほかにも10数枚の加入届を持っている。
「ありがとう。明日の結成大会にもぜひ出てほしいね。よろしく」
植木は人懐っこい笑顔を浮かべると、右手を差し出した。啓太も無意識に手を差し伸べ握手に応じる・・・ 彼は以前、植木が「普通の会社なのに労働組合がないって変だよ。だから女子25歳定年制なんて酷いものがあるんだ」などと言っていたことを思い出した。
「植木さん、念願がかないましたね。これからも頑張ってください」
啓太の激励に、彼はまた微笑んでうなづいた。
「山本、ありがとう。今日はもういいよ。明日の結成大会への出席をよろしく」
石黒も笑顔を浮かべて言ったので、啓太は気持よく彼らと別れた。泊まり明けの午後だったが、彼は“組合誕生”という画期的な出来事に出くわし、それほど疲れを感じなかった。いや、むしろ歓迎する気持になっていたのではないか。
その頃の啓太の社会的思想から言えば、彼はむしろ“保守”の立場であった。啓太は高校から大学にかけて過激な左翼思想に染まったことがあり、60年安保闘争ではいつもデモに加わって戦った経験がある。しかし、左翼運動に挫折し転向したあとは、ごく普通の学生生活を送ってきた。
そして、就職でたまたまFUJIテレビに入ると、そうした過去の学生運動のことなどはすっかり忘れ去り、会社の身上書には支持する政党を『自民党』と書くまでになった。自民党と書いておけば、上司は安心するだろうという単純な理由からだ。
しかし、これには当時の石浜副部長も驚いたらしく、啓太に「別に自民党でなくてもいいんだよ」と、わざわざ注意したほどである。というのは、石浜は当時、日本社会党から分かれた民主社会党(民社党)を熱心に支持していたため、ついそういう感想を漏らしたのだろう。
話が少し逸れたが、啓太はごく普通の会社員として生活していたから、労働運動に特別の関心があったわけではない。しかし、先輩や同僚がつくった『労働組合』は当然の流れだと理解していたのである。

翌日、啓太は泊り明けの休日だったが、夕方、労組結成大会が開かれる東京・新宿のKN会館ホールへ向かった。彼は理屈では組合の結成にもちろん賛成だが、気持の上でいま一つ乗れない面を持っていたように思う。だから、前日もらったビラをよく読んでは、自分を納得させようとしていた。
自分は正しいことをしている。この会社がいくら「財界テレビ」と見られようとも、だからこそ、かえって組合結成が必要なんだと自分に言い聞かせた。会場のホールに到着すると、すでに2~300人の“組合員”が集まっていた。着席は自由なのでできるだけ前の席へ行こうとしていた時、石黒と連れの五代厚子に出会った。
「やあ、昨日はどうも。よく来てくれたね」と石黒が言った。五代が啓太に微笑みかけてくる。
「厚子さん、久しぶりだね。お元気ですか?」
啓太は少し照れながら彼女の様子をうかがった。厚子はこっくりとうなずいただけで無言のままだ。それ以上、彼女にこだわっているわけにもいかず、前方の席に着こうと進んでいくと、石黒と厚子も啓太の後を追うようについてきた。結局、2人は啓太のすぐ後ろの席についた。
やがて予定時刻になって、FUJIテレビ労働組合の結成大会が開かれた。会場には5~600人はいただろうか、啓太が振り向いて見渡すと、顔見知りの社員が何人も何人もいた。小出や今村はもちろん、報道の稲垣デスクや窪川ら先輩記者の姿も見える。会場はなにか“熱気”に包まれ、高揚した雰囲気が漂っていた。
すごいな~、啓太は正直にそう感じた。これが結成大会なんだ、FUJIテレビにとっては歴史的な日になる。啓太はそう思いながら、配られた資料に目を通した。組合の規約や運動方針案などが載っている。大体のことは分かるが、いくつか不明なものもある・・・ チェック・オフだって?
「チェック・オフってな~に?」
啓太は後ろを振り返って聞いた。
「会社に給料から組合費を天引きしてもらうことだよ」
石黒がすらすらと答えたので、啓太はちょっぴり感心した。さすがに石黒だな、組合に熱心なわけだ。啓太が彼にあと2~3点聞いているうちに、規約や運動方針は原案どおり採択された。会場からの質問や反対意見はほとんどない。
しかし、このあと、仮執行部が組合は直ちに『民放労連』に加盟するとの緊急動議を提案した。民放労連とは「日本民間放送労働組合連合会」の略称である。これには啓太らは驚いた。FUJIテレビ労働組合ができたばかりなのに、なぜすぐに民放労連に加盟しなければならないのか。そんな話は事前に聞いていない!
しかも、民放労連は共産党の影響力が強い上部団体だという。その上部団体に、これからFUJIテレビ労働組合は支配されていくのか。そんなことは認められない。仮執行部と民放労連との間になにか“密約”でもあるのか・・・
がぜん、稲垣デスクや窪川ら報道部の先輩が、民放労連加盟に反対の考えを次々に表明した。啓太も黙ってはおられず、挙手をして短いながらも反対意見を述べた。それまで順調に議事運営が進んでいた大会は、にわかに緊迫した事態になったのである。

「そんなに早く、民放労連に入るなんておかしいぞ!」
「もう少し、みんなの意見を聞いてみたらどうか!」などのヤジが飛ぶ。これに対し、仮執行部の方針に賛成の意見も出された。
議事は一時ストップしたが、議長団と称する数人の1人が緊急動議の賛否を問いたいと言い出した。結局、仮執行部と議長団の方針にしたがい、民放労連加盟をめぐって採決が行われたのである。
結果は、圧倒的多数をもって加盟が承認された。加盟に反対したのは、報道部の組合員ら20数人だけだった。結成大会は最後に執行部の人事を決めることになったが、啓太が驚いたのは、ドラマ制作部のあの岡山太郎が組合委員長に選任されたことである。岡山ディレクターとは、つい先日まで一緒にドラマ作りをしていた仲だ。
また、書記長には報道部の白井將平が選ばれたが、この先輩とも最近までいろいろ仕事の世話になった仲である。こうして、その日の全ての議事日程が終了し、FUJIテレビ労働組合が結成されたのだ。啓太は帰り際に石黒に声をかけた。
「組合はできたが、民放労連の問題はまだ残っているよ」
「そうかな~、もう決まったことだよ。前向きに進むだけだ」
石黒はそう言うと、さばさばした表情で五代厚子とともに立ち去った。

さて、組合結成の話が伝わると、陣内春彦社長は烈火のごとく怒りをあらわにした。彼は“財界テレビ”の守護者、反共の闘士を自認していたから、面目丸つぶれの感じだった。早速、役員や主だった管理職を集めると全員の辞表を取り付け、場合によっては放送免許を返上するとまで言ったのだ。
これには、ほとんどの役員や管理職が驚いた。「免許返上」などは聞いたことがないし、実際に簡単にできることではない。しかし、この男は逆上すると何を仕出かすか分からないところがある。結局、全てのことを陣内社長に一任することになった。彼は腹心の石浜報道部長らにこうつぶやいたという。
「民放労連にやられたな。左翼はSEIBU鉄道とFUJIテレビに組合をつくることが狙いだったというが、これでその一角が崩れたわけだ。しかし、このままでは済まんぞ! これから本当の戦いが始まる。逆に闘志が湧いてきたよ」
陣内はそう言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたという。彼の闘争心に火が付いたようだ。こうして、労働組合をめぐる経営側と組合側の熾烈な、長期にわたる戦いが始まったのである。

それから数日たって、陣内社長は全社員を第5スタジオに集めて全体会議を開くことになった。この日も啓太は泊まり明けだったが、全体会議に出なければならない。欠席してもよかったが、報道のS副部長ら管理職が必ず出ろと言う。もちろん、上層部からのお達しがあったのだ。
「社長の挨拶はよく聞いてほしい。決してヤジなどは飛ばさないようにな」
S副部長が念を入れて言い含める。啓太はそれには答えず、会場の第5スタジオに入った。そこにはもう大勢の社員が着席していた。なにか緊張感が漂ってくる。やがて、陣内社長の挨拶が始まった。静かなスタジオの中に、陣内の声だけが響き渡る。
「・・・わたしはこれ以上のショックはない。この会社に労働組合が出来るなどとは、想像もしていなかった。わたしの考えが甘かったのか? たぶん、そうだろう。しかし、諸君、よく考えてほしい! わが社は“母と子どものFUJIテレビ”として、最も家族的な社内融和を第一のモットーとしてきたではないか。それが出来ないということか? 親の心 子知らずとは、君たちのことだ! わたしは残念だ・・・」
陣内の挨拶は真に迫るものがあり、場内は静まり返った。誰もなにも言わず、咳払い一つとして出ない。途中で抗議の意思を表わすため、退席する者が出るかと思われたが誰も席を立たない。一呼吸置くと、陣内はさらに力を込めて話し始めた。
「諸君、わたしは昨日までにすべての役員、すべての管理職から辞表を取り付けた。みんな、出処進退をわたしに預けている。そこで、わたしは言いたい。労働組合の是非はともかく、組合結成の直後に民放労連に加盟するとはどういうことか。この上部団体がどういうものか、諸君は知っているのか。君たちは上部団体に支配され、振り回されるだけだ!(ここで一呼吸)
そんなテレビ局ならもういらない。偏向して正しい道を誤るなら、そんなテレビ局の免許は返上した方がいい!」
免許返上の話まで出たので、会場は“お通夜”のようにし~んとなった。啓太は陣内の話に反発を覚え、居たたまれない気持になるだけである。やがて陣内の挨拶が終わり、静まり返った場内はホッと息を吹き返した感じになる。そして、社員が三々五々にスタジオを後にする時、啓太は報道の大橋剛と一緒になった。
「社長の話はずいぶん極端だったね。君はどう思う?」
啓太が小声で話しかけると、大橋はすぐに答えた。
「いや、僕はそうは思わない。社長の話は当然のことを言ってるまでだ」
「そうか・・・君は組合に入らないんだね」
「当たり前だ。あんなものに入れるか」
大橋が吐き捨てるように言うので、啓太はそれ以上 言葉が出なかった。彼はいつものように大股でどんどん先に進んで行く。啓太は大橋について行くことをやめ、いろいろな社員がいるものだと改めて思った。ある意味で大橋がうらやましい。運動部出身の彼には、迷いというものがないのだ。それに比べて自分は・・・と思うと、なにか前途が暗くなるような感じがしてきた。

全体会議で陣内社長の“毒気”に当てられた感じだったが、数日して、啓太は同期の小出や今村と報道の職場集会に参加した。集会と言ってもそれぞれの仕事の都合で、わずか10数人しかいない。そのうち女性は4人だ。組合書記長の白井たちは外勤記者なので、今日は欠席している。
集会の進行役は窪川のはずだったが、彼はなぜかそれを辞退して後輩の今村を指名した。結局、今村が進行役になったが、なにか盛り上がりに欠ける雰囲気だ。
「組合の“切り崩し”が噂されていますが、皆さん、協力し合って頑張りましょう」
今村が冒頭の挨拶でそう述べたが、陣内社長が管理職たちに組合潰しを指令したとの話が伝わっていた。陣内は「不当労働行為をやっても、死刑にはならない!」と発破を掛けたというのだ。いかにも彼らしい発言だが、経営者側はそれほどの危機感を持っているらしい。
報道部ではまだそういう動きは出ていないようだが、なにせ石浜部長のことである。彼が何をするか分からないので、みんな石浜の動向を警戒しているのだ。しかし、今のところ変な動きはない。組合の活動をじっと見守っているのだろうか・・・ その日の集会は結局、6月某日の“時限スト”の予定を確認して終わった。
「ストに参加するのか?」
啓太が小出に聞くと、彼はこっくりとうなづいて答えた。
「もちろんだよ。スト中は近くの○✖公園で集会だ。山本も来るだろ?」
「うん、まあな」
「気のない返事だな。頼むぜ!」
小出が念を押すように言ったが、彼は組合活動に積極的だ。アナウンス室(アナウンサー室から改名)の石黒ともよく連絡を取り合っている。報道では今村とともに若手の熱心な組合員だ。しかし、啓太は彼らの活動に同調しながらも、どこか傍観者的な自分を意識していた。
もちろん、組合活動は労働者の当然の“権利”だし、この保守的なテレビ局には無くてはならないものだと考える。特に陣内社長の一方的な財界寄りの姿勢には、反発せざるを得ない。そう考えながらも、この会社は将来、大丈夫なのかという漠然とした不安も心をよぎる。
とりわけ、FUJIテレビ労働組合が結成直後に「民放労連」に加入したことは、その不安を増大させるものだ。民放労連は明らかに“左寄り”で共産党色が強い。啓太はその点について、小出や今村とまだ十分に議論していないが、できるだけ早く彼らの本音を聞きたいと思っていた。彼らはどう考えているのだろうか? 


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