矢嶋武弘の部屋

われ「記す者」なり
言葉は命、そして弾丸にもなる
もし勇気去らば、全てのもの汝より去る(ゲーテ)

歴史ロマン『落城』(その3)

2017年10月03日 05時20分04秒 | 文学・小説・エッセー

(3)

それからほぼ半年がたち、時は応永23年(西暦1416年)の初夏の頃になった(ちなみに山口貞清は31歳、尾高武広は29歳になっていた)。山口領内はこれといった出来事もなく、農民を始め庶民は平穏な生活を送っている。
関東の情勢探索の旅を終えた武広は、久しぶりに領内の様子を見て回ることにした。付き人の佐吉を従えてだが、そろそろ“田植え”の時期に入るので農民は忙しそうにしている。1年前に設置した幾つかの水車もスムーズに動いているようだ。
「今年は天候もよさそうで、豊作は間違いないようですね」
「うむ、ありがたいことだ。山口領は安泰のようだが、関東の北部では米づくりに苦労している所もある。また、畿内(きない)では“土一揆”が起きている地域があるそうだな。そうなったら大変なことだ」
「ええ、コメが取れなくなったら終わりですよ。ありがたや~、ありがたや~ですね」
田植えが順調に進みそうなので、武広と佐吉の話も明るく軽快に弾む。2人はそのまま田んぼのあぜ道に入っていった。子供の頃はよくこの辺で遊んだものだ。そして少し進んでいくと、向こうから中年の農夫が歩いてきた。
「おや、尾高さまではないですか。お久しぶりですね」
声をかけてきたのは、このあたりの田んぼを仕切っている庄太だ。彼は農民の“代表格”だけあって、いろいろな事情にくわしい。
「これはこれは庄太殿、今年は田植えも順調にいって豊作になりそうですね。安心して見ていますよ」
武広が気安く返事をすると、庄太は笑って答えた。
「今年は大丈夫、2年前とは違いますよ。もう年貢が払えなくて、夜逃げをするような百姓はいないでしょう。はっはっはっは」
彼は明るく答えたが、2年前は天候不順でコメが不作となり大変だったのだ。
「それに水車もよく動くようになりましたね。これで水回りも万全です」

庄太はそう言って、遠くにある水車を指差した。
「うむ、それは結構です。田畑が増えて稲作だけでなく、他の作物もずいぶん取れるようになったとか」
「肥料が良くなったんですよ。今じゃ厩肥(うまやごえ)だけでなく人糞(じんぷん)も多く使いますからね」
庄太が得意気に話すと、側で聞いていた佐吉が茶々を入れた。
「人糞か・・・ちょっと臭いな~、はっはっはっは。でも、みんな豊作になればそれに越したことはないね」
この当時は農業が進歩し、改善された時代だと言われる。二毛作も大いに行われた。このため生産力が増強して人々の生活が“底上げ”されたのだ。
「そうですとも。全ての作物が豊かに実れば、この山口領は万々歳ですよ。ところで、尾高さま、戦(いくさ)が近いとか噂が立っていますが、どうなんでしょうか?」
庄太が話題を変えて聞いてきたので、武広はしばらく返事に困った。武士だけでなく農民や領内の人々は戦に最も敏感なのだ。戦乱が起きれば、田畑の作物が踏みにじられることもあり、それは誰でも気になるところだ。ようやく武広が答えた。
「今のところそういう動きはない。しかし、大いに警戒しましょう。もし戦が起きても、大切な田畑が荒らされないように十分な措置を講じる考えです。これは全ての武士も気にかけているところです。
食料がなくなれば大変だと、誰もが思っていますよ。敵も味方もありません。だから、安心して田畑の作業に取り組んでください」
なんだか“優等生的”な答えだが、武広はこう言うしかなかった。たしかに戦闘となれば田畑のことなど考えないだろうが、多くの武士は農村出身なのである。これを『地侍』と言ったが、尾高家ももともとは一百姓の出身だった。それが何代か前から山口家に仕えるようになり、武士という身分になったのだ。
「そうですね、コメの収穫の時期には戦を避けるとも聞いています。われわれ百姓は山口さまを信頼して、農作業に一所懸命に取り組みますよ。ぶしつけに聞いてすみませんでした。これからもよろしくお願いいたします」
最後はほがらかな声で武広らに挨拶すると、庄太はあぜ道の先へ立ち去った。
「あの人は正直にいろいろ話してくれるね。ああいう人を大切にしなければ。さて、引き上げるか・・・あ、そうだ、領内を見て回ったから、もうすぐ秩父の温泉にでも行こうと思う。家族を連れてだな」
武広がそう言うと佐吉が答えた。
「それはいいですね。ゆっくりと休んできてください」

武広と佐吉が領内を見回ったその頃、遅れていた藤沢家の家督相続は、忠則が父の忠道から円満に引き継いだ。これは山口貞清が最も気に留めていたため、彼はほっと胸を撫で下ろしたのである。これで藤沢家はどの勢力からも「中立」を保つものと考えられた。
しかし、実情はかなり違ったようだ。忠道は前関東管領の上杉氏憲を強く支持していたが、その氏憲は鎌倉公方の足利持氏、時の関東管領・上杉憲基(のりもと)と鋭く対立していた。それだけでなく、氏憲は足利家の内紛に乗じて、持氏の叔父である足利満隆やその養嗣子の足利持仲(もちなか)に急接近したのである。
これは氏憲が持氏や憲基を追放し、鎌倉府の実権を手に入れようとするためで、関東中の諸豪族に陰に陽に働きかけていたのだ。要は“権力争い”だが、当時は京都にあった室町幕府、つまり足利将軍家の支配力や威令が関東には十分に行き届かなかったのである。
時の将軍は4代目の足利義持(よしもち)だが、彼は北山文化や金閣寺で有名な父の3代将軍・足利義満(よしみつ)に比べると、視野が狭く小物だったと言える。それが全てではないが、勃興する武家や諸豪族の力の前に、幕府はいつも戦々恐々としていたと言えよう。それが後に応仁・文明の大乱や下剋上、戦国時代の到来などに繋がっていくのだ。
歴史の話はこの辺にして、そんなある日、藤沢小百合の使者である詩織が“密書”を持って山口の館に来た。貞清に持参したものだが、館にはちょうど佐吉がいた。
「おや、詩織殿、お久しぶりです」
佐吉は彼女に好意を持っていたので、親しげに話しかける。
「佐吉殿、お元気そうですね。武広さまは息災ですか?」
「殿はお変わりありません。元気ですよ。ところで、今日は何のご用ですか?」
「小百合の方さまからの書状を、山口の殿さまにお届けに来ました。よしなにお取り計らいください」
詩織は用件を正直に述べた。2人はすでに数回会っているから、お互いに信頼感を持っていたのだろうか。佐吉は詩織をすぐに館の中に案内した。ほどなくして、貞清は小百合の密書に目を通したが、読むうちに愕然としたのである。それは驚くべき内容だった。
小百合の話を要約すれば、夫の忠則は家督を相続した直後、彼女に藤沢家の秘密を明かしたという。それによれば、昔、父の忠道になかなか“跡継ぎ”の男子が生まれなかったため、忠道は大恩のある主人の上杉氏憲の「庶子」を跡継ぎに迎える約束を交わしたという。
実は、その男子が忠則の弟の忠宗であったが、養嗣子の約束を交わした直後に、忠道の妻である志乃が子をはらんだ。忠道はそれが女子であれば良いと思ったが、生まれたのは男子でそれが忠則だったのだ。忠道はいろいろ悩み考えたが、妻の志乃が跡継ぎに忠則を強く望んだ上、自分も“実子”を跡継ぎにと思うようになったため、忠宗を忠則の弟分に決めたという。
これはもちろん、主人の氏憲から内密の了解を得た上のことだが、それによって忠道は氏憲にますます頭が上がらなくなった。実際は忠宗の方が忠則より1年近く早く生まれたが、成長するにしたがい、どちらが兄か弟かは判別しにくい状況になった。今では、忠則が30歳で弟の忠宗が29歳だと言っても、誰も不審には思わないのである。

小百合の書状を読んで、貞清は世の中は複雑怪奇だと思った。自分に最も近い縁戚にこうした事実があることを知って暗然とした気持になった。藤沢忠則は家督相続が決まったのを機に、家の秘密を妻の小百合に明かしたのだ。
藤沢家にはまだ秘密があるかもしれないが、今それを詮索しても始まらない。貞清は小百合に返事を書いて、何かあれば、早く連絡を取り合うことに越したことはないと告げた。彼はいざとなれば、妹と忠則の味方になる決意を固めたのだ。
貞清は妹宛ての書状を詩織に託し、彼女に鎌倉で何か変わったことはないかと聞いた。藤沢家は鎌倉に近いのでいろいろな情報が入ってくる。
「そうですね、特段のことは聞いていませんが、氏憲さまが最近、娘を足利義嗣(よしつぐ)さまの側室に送り込んだという話は耳にします。確認は取れていませんが」
「なに、そんなことがあるのか」
貞清はまた驚いた。足利義嗣と言えば将軍・義持の異母弟であり、兄と非常に仲が悪いと取りざたされている。上杉氏憲は京都の将軍家にまで手を出しているのか。氏憲は野心満々の“怪物”ではないか・・・貞清の疑心暗鬼はさらに深まった。
「詩織殿、ありがとう。何かあれば、まず佐吉に知らせてほしい。佐吉、武広はどうしているのか?」
「殿はいま家族と秩父の温泉に行っています」
「ほ~、それは結構なことだ。ゆっくりと休めるのも今のうちだな、はっはっはっは」
貞清は側にいる佐吉にそう言ってさらに続けた。
「ところで、佐吉、お主は詩織殿が好きと見えるな」
「め、滅相もない! ただ同じような仕事をしているので顔を合わせているだけです」
「はっはっはっは、そうムキになるな。仲良くやれよ」
貞清は愉快そうに言い放って館の中に姿を消した。残った佐吉と詩織は少し気まずい雰囲気になったが、やがて佐吉が声をかけた。
「詩織殿、これからもよろしくお願いします。ここの殿さまは“ざれ言”が多くて・・・」
そう言いながら佐吉が苦笑いすると、詩織もようやく微笑んだ。2人はなお雑談を交わしたが、そのうち佐吉が途中まで見送ると言って、2人で山口の館を出たのである。佐吉は詩織の知的な美しさにすっかり魅了されていた。
また、彼女も佐吉の竹を割ったような明るい性格に惹かれていた。結局、2人は武蔵と相模の国境いまで馬に乗っていって別れたのである。佐吉にとってはちょうど主人の武広がいないので、時間を有効に使ったということだ。

 

(4)

季節はやがて秋を迎えた。稲の刈り入れもとどこおりなく終わり、山口領内は豊作の活気に沸いていた。その間、武広と佐吉は農夫の庄太と何度も会っていたが、彼は今年は滅多にない豊作だと喜んでいたのだ。このあと、二毛作の方も麦や大豆など順調に進みそうである。
仕事を終えて帰宅すると、武広は小巻に語りかけた。
「農家はみな活気づいている。その方もたまには太郎丸たちを連れて、実家に帰ってみてはどうか。父上、母上もきっと喜ぶぞ」
それを聞くと、小巻は嬉しそうに微笑んだ。数日後、彼女は2人の子供を連れて石神井の実家へ戻っていったが、ちょうどその頃、武広は主君の貞清から思わぬ不穏な情報を知らされた。それは彼と主だった家臣の和田信春、稲村幸正の3人が貞清に呼ばれたからである。
「氏憲さまがいよいよ挙兵するそうだ。というのは、氏憲方の豪族の動静がにわかにあわただしくなった。これは鎌倉の方にも伝わっているはずだが、なにせ関東は広い。常陸や上野、下総などの動きはまだ十分に知らされていないのではないか。いよいよ戦(いくさ)が始まるぞ」
貞清がそう言うと、すでに初老の和田信春が質した。
「殿、そんなに急な動きでしょうか。私もいくらかの伝手(つて)で情報を集めていますが、まだ表立った動きはないようですが・・・」
「いや、こちらに入った話では一挙に動きそうな気配だ。これは姉が嫁いだ下野(しもつけ)の領主からの情報だが、上野の岩松氏や常陸の小田氏などは、すでに領内の軍勢を集め終わったそうだ。いつでも出陣できるという」
「えっ、上野の岩松満純(みつずみ)は氏憲の娘婿ではありませんか! これは厄介だ。鎌倉へ向かう途中、われわれ公方(くぼう)方の陣営を攻撃するかもしれませんぞ!」
稲村幸正が大声を出した。彼はまだ30歳そこそこの屈強な男だが、いつも声が大きいとみんなから注意されている。しかし、この時は緊急事態なので貞清は特に注意しなかった。
「幸正、そうなんだ。氏憲方の軍勢はいつわれわれを攻めてくるかもしれない。だから、われわれは防備を固めなければならないが、まだその準備はほとんどできていない。しばらく戦(いくさ)がなかったから、堅固な土塁もまだ完成していないのだ」
貞清はここで一呼吸置くと、今度は武広に声をかけてきた。
「武広、いざという時は、領内でどのくらいの軍勢を集められるだろうか?」
「殿、今はせいぜい150人ぐらいです。それ以上は無理でしょう」
「そんなもんか、少ないのう~」
貞清はうつむいてしまった。武蔵の“小豪族”なら仕方がないのか。彼はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げると武広に対し決然として言い放った。
「石神井の豊島(としま)家はもとより、近隣の公方方の領主たちに緊急事態だということをすぐに知らせろ。多くの領主は気づいているだろうが、軍勢を整えることが先決だ。そうでないと、氏憲方に一気に攻略される恐れがある。お主も領内の動員態勢にすぐに取りかかってくれ」

 貞清の指図を受け、武広は翌日から領内の軍兵集めに取りかかった。コメの収穫が終わったばかりなので時期的には好都合だったが、二毛作を手がける農夫らはそう簡単には召集に応じてこない。武広は領地が危ないからと説得して、ある程度の軍勢をなんとか集めた。これには、農民の代表格である庄太の協力が大きかった。
そして、佐吉が率先して農夫らに臨時の軍事訓練、武術の特訓を行なったが、彼らのほとんどは家に槍や刀を準備していた。つまり、当時の農夫は“半農半兵”で、いざという時は戦いに出ていったのである。こうして山口領内の軍事態勢は進んでいったが、兵の数はせいぜい130人程度だった。
その頃、石神井の実家に戻っていた小巻ら妻子が帰ってきたが、彼女は武広の顔を見るなり言った。
「ずいぶん、ただ事ではない様子ですね」
小巻は少し驚いたようだ。
「いよいよ戦(いくさ)が始まるぞ。石神井の方はどうだ?」
「特に変わったことはありません。お館(やかた)さまも宗泰さまも普段どおりの様子でした。本当に戦が始まるのですか?」
お館さまとは領主の豊島(としま)範泰のことであり、宗泰はその長男だ。
「ああ、まちがいない。佐吉も領民たちの武術の特訓で忙しくしている。ふん、豊島さまにはあまり情報が入っていないようだな」
武広はそう答えたが、山口氏に比べ豊島家は相当に大きな領主である。兵の動員力も400人以上はあり、それで泰然自若としているのだろうか。武広は皮肉を言ったつもりで苦笑いした。豊島家にもいろいろ情報が入っているはずだが、小豪族の山口家とは“格”が違うのだろう。
小巻とそんなやり取りをしたが、武広は元気いっぱいの太郎丸と鈴の様子を見て安心した。子供は無邪気に成長している。この太郎丸もやがて甲冑を身につけ、戦場に出ていくのだろうか・・・そんな想いをめぐらせながら、武広は慌ただしい日々を送っていった。

そして、10月に入ったある日、武広のもとへ佐吉が息せき切って走り込んできた。
「大変です! 田んぼの向こうを4~500人の軍勢が南の方へ進んでいます!」
「なに! 一大事だ」
武広と佐吉はすぐに土塁の上へと向かった。そして見張り台に上ると、たしかに十数本の旗指物をかざした“人の群れ”が見える。軍勢にまちがいない! それが誰の軍勢かは分からないが、南の方角へ進んでいる。
「佐吉、お主はあの軍勢の後をつけてくれ。俺は貞清さまにすぐに報告する。いいか」
「合点(がってん)だ! あとで報告します」
そう言うと、佐吉は見張り台を下りて一目散に軍勢の後を追った。武広も貞清のもとへ走っていったのである。

武広の報告を受けた貞清はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「その軍勢は鎌倉へまっすぐ行くのだろう。問題は後続の連中だ。どのくらい来るのか分からない。防備を固めるのはもちろんだが、まず味方の情報を待とう。鎌倉の方からもいずれ知らせが届くはずだ。気になるのは藤沢家だが・・・ 
とにかく、このあとの動静を見守るしかないが、お主はさっそく兵員を城の近くに集めてくれ。それから配置を考えればよい」
「はっ、承知しました」
武広はすぐに兵の召集に取りかかった。貞清は和田信春、稲村幸正にも命じて臨戦態勢を敷くことになったが、しばらく戦乱がなかっただけに準備はかなり手間取ったと言えよう。しかし、武広や信春、幸正が必死に取り組んだため、なんとか兵員約130人の態勢を整えたのである。
こうした中で、関東の情勢は大きく様変わりした。上杉氏憲(禅秀)を支持する勢力が一斉に蜂起したのである。彼らは鎌倉公方の足利持氏を倒し、事実上、関東を室町幕府から“独立”した地域にしようと企んでいた。このため、公方方の領主らに次々と攻撃をかけてきたのだ。
たとえば、武広の姉・忍(しのぶ)が嫁いだ後藤吉勝は柴山氏の家臣だったが、氏憲方の武将に攻められ、柴山城は陥落寸前となった。そこは山口から北へ30キロほど離れたところだが、忍から武広のもとに非常事態だという知らせが届いた。姉弟の父である武則と母の栞は非常に心配している。しかし、武広ら山口勢は自分の城を守るのが精いっぱいで、なんとも手の貸しようがなかったのだ。
そうした折、鎌倉の方へ探索に向かった佐吉がようやく帰ってきた。彼は血相を変えて語り始めたが、だいぶ疲れた様子である。
「殿、私がついていった軍勢は上野(こうずけ)の岩松氏の兵でした。詳細には知りませんが、彼らは鎌倉に着くやいなや公方さまの館などを襲撃したそうです。なんでも『大倉御所』というところに公方さまはおられたそうですが、敵味方が激戦になった末に敗れ、御所から脱出して逃げたといいますが所在は不明、安否は不明とのことです」
「ご苦労だった。しばらく休んでくれ」
武広はそう言って佐吉をねぎらうしかなかった。鎌倉公方の足利持氏はどうなったのか。また、味方の陣営は今どうなっているのか、皆目見当がつかない。武広はすぐに貞清に報告した。貞清の方も気が揉めるが、じっと待機するしかなかったのだ。
それから数日して、藤沢の方から詩織が小百合の書状を届けに来た。彼女は直接 貞清に会うと、奥方が息災であることだけを告げてすぐに引き下がった。書状の中身を要約すると以下のとおりだ。
<鎌倉公方と関東管領(上杉憲基)はどうやら無事に脱出したらしい。2人が殺害されたという噂があるが虚報のようだ。しかし、鎌倉府は完全に氏憲派が制圧し周辺の地域も支配した。幕府の出方はまだ分からない。このため、騒乱は長引くだろう。
藤沢家は“中立”を堅持しているので安心してほしい。これは夫(忠則)だけでなく、父上(忠道)や忠宗殿も了承していることだ。今のところ当方は、世の動静を注視し万全を期す考えである。重ねてご安心あれ。ところで、山口の情勢はどうですか?>
以上が小百合からの書状の要約だが、これを読んで貞清はとりあえず安堵した。しかし、この先どうなるかまったく分からない。今は藤沢家よりもこちらの方が危機的状況に陥っており、貞清は妹への返事を簡略に書いて詩織に託した。彼女は佐吉に一目だけ会うと、すぐに藤沢へ帰っていったのである。

それから数日後、武広らが心配していたことが現実になった。姉の忍がいた柴山城がついに陥落したのである。これは“山伏”に扮した密使が知らせに来たもので、主君の柴山盛久や夫の後藤吉勝は討ち死にし、くわしいことは分からないが、忍らは秩父方面へ脱出し逃げているというのだ。
やがて、上野や下野、下総(しもうさ)などの氏憲方の連合軍が山口にも近づいてきた。抵抗する領主はことごとく制圧する模様だが、山口貞清は断固として戦う決意を固めたのである。これは父・武貞の了解も得ており、彼は主だった家臣を集めて次のような指示を出した。
「この城はけっこうな要害の地だ。兵員は少なくても、十分に抵抗できる。土塁にはすでに防護柵をつくったが、空堀(からぼり)には逆茂木(さかもぎ)などをどんどん設けよう。あとは弓矢で徹底的に応戦し、援軍の到来を待つのみだ。味方は必ず救援に駆けつけてくれるだろう。それまで断固として戦うのだ」
貞清はこう言ったが、若さのせいもあってだいぶ“希望的”な観測だったと言えよう。しかし、家臣らも戦う決意を固め、山口家は徹底抗戦の最後の準備に入った。山口城はいわゆる「平山城(ひらやまじろ)」と言って、山岳にある「山城」よりは食料や武器、物資が運びやすいのである。家臣や家来たちは大急ぎでそれらを城に運び込んだ。
このあわただしい雰囲気に、太郎丸は父の武広に聞いた。
「父上、戦(いくさ)が始まるのですか?」
「うむ、そうなりそうだな」
すると、4歳の太郎丸は急に元気な声を出した。
「よしっ、“それがし”も出陣するぞ!」
「まあ、この子ったら、まだ早すぎますよ」
小巻が呆れたように諭したが、武広は笑ってむしろ満足そうな表情を見せた。戦を喜ぶのは男の子だけなのか・・・ こうして、山口城の臨戦態勢は整っていった。そして、貞清が援軍を頼んだのは、妻(牧の方)の父である石神井城の豊島(としま)範泰である。豊島氏は山口家よりもずっと大きな“身代”であり、多くの兵員を抱えていたからだ。

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