ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「ロシア・サンクトペテルブルクの旅」
サンクトペテルブルグを旅した時の写真です。関空を出発しウズベキスタン経由でサンク
トペテルブルグのホテルに到着。ネバ川に係留されている「オーロラ号」は、日露戦争で
ロシア海軍が破れ、奇跡的に対馬海峡を脱出しペテルブルクに戻った戦艦です。
また、「エルミタージュ美術館」は、世界最大の美術館の一つで、1764年、時の女帝エカテ
リーナ二世は、ベルリンから225点の絵を購入し、ペテルブルクの王居である冬の宮殿に、
付属の別館を造り、エルミタージュと名付けた。(エルミタージュとは、『隠れ家』を意味
するフランス語の名称)です。水中翼船で世界遺産ペテルゴーフ「ピョートル大帝の夏の
宮殿」を観光、此処は水がたくみに生かされた白とクリーム色の宮殿で、広い庭にある無
数の噴水がすばらしく、これらの噴水は、ポンプ等を使わず、自然の高低差を利用して水
を噴き上げていました。ペテルブルグに戻り英雄広場や、マンスキー劇場でバレージゼル
を鑑賞し、帰国の途に着きました。





















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「冬の登別温泉」


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「登別温泉・第一滝本館」
北海道、登別温泉の第一滝本館は、150年余りの歴史がある登別温泉一の老舗宿です。
1,500坪の大浴場は地獄谷のすぐ隣にあり、肌を滑らかにする美人の湯や癒しの湯など、
七種類もの源泉が楽しめる登別唯一の宿で、効能豊かな名湯で湯巡りが楽しめます。
景勝地「地獄谷」にも近く散策なども楽しめます。地獄谷は、直径450mの爆裂火口跡で無
数の噴気孔からは、今なお盛んに熱湯や上記などが噴出しています。此の熱湯は98度と高
温で、又噴出量も豊富なため地獄谷はのおり越温泉の大きな泉源となっています。





















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「北海道大学」
札幌の中心から北に向かうと、「北海道大学」が有ります。12学部、21大学院
からなる国立大学です。緑豊かな札幌キャンバスは、札幌観光の人気スポット
で、博物館や明治時代から現存する建物、「少年よ、大志を抱け」のクラーク像、
ポプラ並木、北13条通りと呼ばれる380mの道路に70本ほどのイチョウ並木、
等の見所がいっぱいです。























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「京都大学 阿武山地震観測所」
阿武山観測所は、大阪府高槻市奈佐原944、標高218mの『阿武山』山頂から南
へのびる尾根の突端頂部、通称『美人山』の山頂付近にあります。JRからも
塔が見えます。美人山の標高は218m、山麓を有馬-高槻断層帯に境され、隆起
した北摂山地の南端に位置し天然の展望台となっています。塔の屋上はもちろ
ん、本館の2階以上からも、大阪平野を一望することができます。
塔を利用し、最上部から地階までワイヤーでおもりを吊るし、地球の自転を
証明するのに使われた「フーコーの振り子 」があります。
阿武山観測所は、昭和2年(1927)3月7日発生『北丹後地震』(マグニチュー
ド7,3、犠牲者約3,000人)の後、地震研究を進めるため、昭和5年(1930)、
『阿武山地震観測所』として創設されました。建物は、斜面であることを生か
し、2階建ての西館と3階建ての本館・東館を上下および左右にずらす変化を与
えています。平成19年(2007)大阪府『近代化遺産総合調査報告書』で『注目
すべき近代化遺産』として記載されました。平成30年4月『阿武山地震観測所・
サイエンスミュージアムプロジェクト』として本格化。

「阿武山古墳」
昭和9年4月22日観測所敷地内の地震観測用トンネル掘削中偶然、『阿武山古
墳』を発見。阿武山古墳は、大阪府高槻市奈佐原にある古墳。国の史跡に指定
されています。 阿武山(標高281.1メートル)の山腹に位置する。昭和初期に
地下から古代の貴人の埋葬遺体が発掘され、被葬者を藤原鎌足ではないかと推
定されています、大阪府庁で文部省や宮内省なども出席して行われた関係者会
議で、被葬者がきわめて高位の人物であることは間違いなく、皇室につながる
可能性もあるため、これ以上の調査は冒涜であるとの意見が出た。こうしてつ
いに「貴人の墓」は埋め戻されることになった。
1982年、埋め戻す前のエックス線写真の原板が地震観測所から見つかった。
1987年分析の結果、被葬者は腰椎などを骨折する大けがをし、治療されてしば
らくは生きていたものの、寝たきり状態のまま二次的な合併症で死亡したこと、
金の糸の分布状態からこれが冠の刺繍糸だったことが判明した。しかも漆の棺
に葬られていたことや玉枕を敷いていたことなども考えると、被葬者は最上位
クラスの人物であったとされる。 これらの分析結果が鎌足の死因(落馬後に死
去)と一致すること、この冠がおそらく当時の最高冠位である織冠であり、そ
れを授けられた人物は、史上では百済王子の余豊璋を除けば大織冠の鎌足しか
いないことから、被葬者はほぼ藤原鎌足に違いないと報道された。

「フーコーの振り子」
フランスの実験物理学者J・B・L・フーコーが1851年に考案した振り子で、地球の
自転が振り子の振動面に与える影響力を調べる装置で、地球上で振り子を長時間に
わたって運動を持続させながら観測すると、この振動面が変わっていくことがわかる。
フーコーは67メートルの紐(ひも)の先端に28キログラムのおもりをつけ、これを
約半日にわたって観測した。すると、この振り子の振動面は、実験室で上から見て
時計の針が回る向きに回転していった。これは北半球での実験だからであり、北極の
上で実験すれば、この振動面は1日で完全に1周することになります。







































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「日吉大社の山王祭、NO2」
13日には、山王祭の神事中、最も華やかな神事「花渡式」が行われ、 甲冑を着た5歳位の
お子様方がその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える儀式です。
当日は満開の桜並木の中、かわいらしいお子様の姿とともに優雅な空気が漂います。






















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「日吉大社・山王祭」
日吉大社の山王祭は、4月12日~15日にかけ、7基の神輿が繰り広げる壮大なお祭りです。
延歴10年(791)、桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来1200年以上の歴史を
有する山王祭。 西本宮 大己貴神・東本宮 大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下
泰平・五穀豊穣をお祈りします。祭礼中、山王七社の7基の神輿(1基1500kg)が登場し、
桜満開の中、湖国三大祭にふさわしい勇壮な神事が行われます。
又、山王祭の神事中13日には、最も華やかな神事、 甲冑を着た5歳位のお子様達がその
日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える儀式です。 当日は満開の桜並木の中、
かわいらしいお子様の姿とともに優雅な空気が漂います。



























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「上醍醐寺」
以前、京都市伏見区醍醐山町の上醍醐寺と下醍醐寺へ行ってきました。上醍醐寺は西国三
十三ヶ所霊場中最大の難所の一つで、地下鉄「醍醐」駅から上醍醐寺までは、醍醐寺境内
を通り女人堂傍から上醍醐寺まで参道を登る事、約1時間10分かかります。現在閉鎖され
通行できませんが、京滋バイパス笠取ICからアクトバル宇治を通り横峯峠から上醍醐へ行
きました。平成20年8月24日未明落雷により、上醍醐寺の本堂に当たる准胝堂が全焼し、
入山が規制されていましたが、平成21年1月7日より上醍醐への入山参拝が可能(有料)
となりました。准胝堂の再建は未だですが以前の准胝堂をご覧ください。



























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「下醍醐寺」
総門から入り正面にみえる仁王門をくぐると、広大な下伽藍に出合うことができます。
中心である金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって紀州の湯浅から移築されたもので、主要部は
平安末期の様式を完全に残しています。本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、いず
れも重要文化財に指定されており、国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀
天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。京都府下最古の木造建造物で、内
部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれています。下伽藍には、その他清龍宮
本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂など多くの堂宇が点在しています。

















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